*
何度か引用させて貰っている田村隆一さんのエッセイ「ぼくのピクニック」に、「滑川哀歌」という詩があります。
*
「鎌倉を流れる最大の川は滑川
ナメリガワ
「鎌倉攬勝考(ランショウコウ)」巻之一には
「一流にして六名」とあり
くるみヶ谷にては胡桃川
浄妙寺前に至りて滑川と呼び
またその下流にては坐禅川
小町辺りにては夷堂川と唱え
延命寺辺より大鳥居辺に至り すみうり川と称し
閻魔堂の前にては閻魔堂川という
つまり滑川は名前を六回変えながら
鎌倉の町のなかを貫流する
滑川にかかる東勝寺橋を渡って右に行くと
東勝寺跡
・・・・」
*
詩は、東勝寺橋付近を中心に、東勝寺跡や近くの修道院などをうたったものですが、今日のエントリは、散策の折に出会った鎌倉を貫流するこの滑川が由比ヶ浜に注ぐまでを纏めました。
*
尚、田村隆一さんの関連で下記エントリがあります。宜しければご覧下さい。
田村隆一さんと光明寺
田村隆一さんと極楽寺あたりを歩く
田村隆一さんのお気に入り萬屋酒店
田村隆一さんのぼくの野原永福寺跡
*
*
宝戒寺橋から見た下流の東勝寺橋
アーチ型のきれいな橋です。
*
宝戒寺は北条得宗家(高時)の邸宅跡で、
すぐ近くの東勝寺は「高時はらきりやぐら」のある北条氏滅亡の地。
元弘3年(1333)5月22日のその日、
この辺り一帯は、紅蓮の炎に包まれたのでしょう。
*
宝戒寺橋から見た下流の東勝寺橋
アーチ型のきれいな橋です。
*
宝戒寺は北条得宗家(高時)の邸宅跡で、
すぐ近くの東勝寺は「高時はらきりやぐら」のある北条氏滅亡の地。
元弘3年(1333)5月22日のその日、
この辺り一帯は、紅蓮の炎に包まれたのでしょう。
*
*
*
「青砥藤綱旧蹟」(東勝寺橋ほとり)
「太平記ニ拠レバ 藤綱ハ北條時宗 貞時ノ二代ニ仕ヘテ引付衆ニ列リシ人ナルガ 嘗テ夜ニ入リ出仕ノ際誤ッテ銭十文ヲ滑川ニ堕シ 五十文ノ續松ヲ購ヒ 水中ヲ照ラシテ銭ヲ捜シ竟ニ之ヲ得タリ 時ニ人々 小利大損哉ト之ヲ嘲ル 藤綱ハ「十文ハ小ナリト雖 之ヲ失ヘバ天下ノ貨ヲ損ゼン 五十文ハ我ニ損ナリト雖 亦人ニ益ス」旨ヲ訓セシトイフ 即チ其ノ物語ハ 此ノ邊ニ於テ 演ゼラレシモノナラント 傳ヘラル」
*
この近くで、10文を落とした青砥藤綱は、50文を出して灯りを求め、
銭を探させる。
藤綱は、
10文は公の損である、50文は自分の損であるが、
(人を雇うので)人の益にもなる、と云ったという。
*
「青砥藤綱旧蹟」(東勝寺橋ほとり)
「太平記ニ拠レバ 藤綱ハ北條時宗 貞時ノ二代ニ仕ヘテ引付衆ニ列リシ人ナルガ 嘗テ夜ニ入リ出仕ノ際誤ッテ銭十文ヲ滑川ニ堕シ 五十文ノ續松ヲ購ヒ 水中ヲ照ラシテ銭ヲ捜シ竟ニ之ヲ得タリ 時ニ人々 小利大損哉ト之ヲ嘲ル 藤綱ハ「十文ハ小ナリト雖 之ヲ失ヘバ天下ノ貨ヲ損ゼン 五十文ハ我ニ損ナリト雖 亦人ニ益ス」旨ヲ訓セシトイフ 即チ其ノ物語ハ 此ノ邊ニ於テ 演ゼラレシモノナラント 傳ヘラル」
*
この近くで、10文を落とした青砥藤綱は、50文を出して灯りを求め、
銭を探させる。
藤綱は、
10文は公の損である、50文は自分の損であるが、
(人を雇うので)人の益にもなる、と云ったという。
*
*
*
*
「★鎌倉インデックス」をご参照下さい
*
0 件のコメント:
コメントを投稿