ただ、新町通りだけでなく、東は烏丸通り、西は西洞院通りくらいの幅をもたせての「そぞろ歩き」です。
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前回(6)で、四条通りを渡ってその下手まで行ったのですが、今回は、少しあと戻りします。
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(明倫小学校の設立経緯)
明治元年(1868)の「小学校建営の布達」に基づき、翌明治2年5月21日、日本で最初の小学校として京都で上京第27番組小学校(柳池校)と下京第14番組小学校(修徳校)が開校。その後、年内に64の小学校が建設されます。
この明倫小学校も、明治2年、石田(梅岩)心学教化の拠点であった「明倫舎」の土地・建物を転用し、下京第3番組小学校として建設されたもの。このため、明倫舎は新町二条上ルに移転したとのこと。
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平成5年、明倫小学校は閉鎖されますが、昭和6年建設の校舎は、京都市が10億円の改修費をかけて京都芸術センターとして生まれかわったとのこと(平成12年にオープン)。
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「番組」:
伝統的な京都の町組を、明治2年、27程度の町組を1番組として、上京に33、下京に32の番組に再編成したもの(上京・下京の境は三条通り)。
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当初の京都の小学校では、儒書の講釈や心学の講義が行われていましたが、その後は、徐々に洋学に変わってゆきます。
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以下は、新町通り・室町通りとは離れていますが、テーマの関連事蹟として、ご参考まで。
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日本最初小学校「柳池校」の碑
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*日本最初小学校「柳池校」の碑
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石田心学は町人・商人の精神的支柱となる「哲学」で、当時越後屋(三井家)・大丸(下村家)と肩を並べるほどの呉服屋「大黒屋」当主も門下生になるほど普及していたそうです。
全くの門外漢ですが、資本主義の発展に寄与したというプロテスタンティズムの倫理と相似するような位置関係にあるのでしょうか。
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「京都インデックス」をご参照下さい。
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