2012年6月17日日曜日

天慶4年(941)11月 藤原純友の残党掃討 東西兵乱の平定「今月以後、天下安寧、海内治平」と平和回復宣言「

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-06-13
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天慶4年(941)
8月17日
・官軍、日向国において賊徒と交戦(『本朝世紀』)
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8月18日
・官軍、日向国において賊徒と交戦。佐伯是基を捕獲。(『本朝世紀』)
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9月6日
・この日申刻から酉刻(午後3時~午後7時)大宰府警固使源経基は豊後国海部(あまべ)郡佐伯院に襲来した「賊徒」桑原生行(くわばらのなりゆき)らと合戦し、負傷した生行を生け捕り、賊徒を撃ち殺し、馬・船・絹綿・武器などを捕獲し、翌7日、これらの戦況・戦果を記した「合戦日記」を大宰府に提出した。
さらに経基は生け捕った生行が死去したのち、生行ら賊徒の首級・鹵獲(ろかく)物を大宰府に提出し、大宰府は生行首級などの戦果を府解とともに政府に届けた。

これら大宰府での勲功申請のあり方は、基本的に諸国でも同じである。
このように、廻文によって動員された国内武士が勲功賞に与ろうとすれば、国衙に合戦日記と具体的な戦果(犯人の首級や身柄)を提出し、実否査定を受け、国衙から勲功者注文を太政官に提出してもらわなければならなかった。
国衙の推挙がなければ勲功賞には与れなかった。
武士が国衙の動員に積極的に応じるのは、国衙が勲功を認定し、勲功賞を推挙してくれるからであった。
そして、国内武士の郎等が勲功賞に与ると、正規の国内武士として認知されることになると考えられる。

6日、源経基(「追討凶賊使」権少弐)、豊後国海部郡佐伯院において賊徒と合戦す。

賊首の桑原生行を捕獲し、さらに賊徒の馬船戎具をも獲得する。(『本朝世紀』)
7日、源経基、大宰府へ「合戦日記」を送付。
8日、桑原生行、歿。死体を斬首刑に処し、首級を大宰府へ進送。(『本朝世紀』)
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9月16日
・この頃、純友の有力な部下である藤原文元は、弟文用(ふみもち)・三善文公らと備前国邑久(おく)郡に上陸して播磨に逃れ、10月20日頃、赤穂郡で追撃してくる国衙の軍勢と戦って文公が殺される。


19日、備前国「馳駅使」で健児の額田・弘則、朝廷に「凶賊」の藤原文元・藤原文用・三善文公らが備前国桑浜に上陸した旨を報告。(『本朝世紀』)
20日、朝廷、「凶賊」に関する官符12通を山陰・山陽・南海諸道に下す。
朝廷、凶賊の佐伯是本を捕獲し更に多くの賊徒を射殺した藤原貞包を「筑前権掾」に任命し日向国賊徒追討の功績を賞す。(『本朝世紀』)
22日 播磨国「馳駅使」の山吉蔭・飯高主丸、朝廷へ賊徒の三善文公を誅殺した旨を報告。
但し、藤原文元・藤原文用兄弟は追捕できなかったという。(『本朝世紀』)
23日、朝廷、官符を山吉蔭(播磨国飛駅使)等に下す。(『本朝世紀』)
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10日18日
・純友の有力な部下である藤原文元、但馬国で逃走途中に殺害される(『本朝世紀』ほか)。
迫撃を振り切った藤原文元兄弟は、この日、僧形に身を変えて、かつて恩を与えたことのある但馬国朝来郡の賀茂貞行の館にたどりつき、ひとときの休息と東国へ落ちのびる旅支度を求めた。だが貞行は快く応じると見せかけて、翌19日、宿舎を取り囲んで射殺し、首をはねた。
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10月23日
・追捕山陽南海遣使と諸国警固使が停止されて戦時体制が解除される。
山陽・南海両道諸国へ派遣した「警固使」・「押領使」・「撃手使」等を停止する官符を発す(『本朝世紀』)
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10月26日
・朝廷、賀茂貞行(但馬国朝来郡朝来郷蔭孫)より藤原文元・藤原文用兄弟等の首と報告を受ける(『本朝世紀』)。
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10月27日
・菅原在躬(右少弁)、左衛門陣外において但馬国国府からの解文を携帯した賀茂貞行(但馬国朝来郡朝来郷蔭孫)と会見(『本朝世紀』)
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11月
・この月、「今月以後、天下安寧、海内(かいだい)治平」と平和回復宣言がなされた
(この後、諸国警固使が置かれることはなく、その任務は国(くに)追捕使に受け継がれる)。
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11月5
・東西兵乱の平定により上下賀茂社へ行幸することを決定(『本朝世紀』)。
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11月28日
藤原忠平、摂政を辞して関白に任命される
「万機巨細にわたって、百官を指揮し、案件は皆太政大臣(忠平)に『関白』し、そののちに奏し下すこと、すべて仁和の故事通りにせよ」(『日本紀略』天慶4年11月28日条)

蒲柳(ほりゆう)の質とはいえ天皇は既に19歳なので、摂政廃止は当然ではあるが、天下大乱の為に遷延した。天皇成人後も摂政が親政に切り替えられず、摂政から関白へというコースが出来上がった。忠平の大権代行には変更はない。
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11月29日
・賊首である桑原生行の首級が朝廷に到着(『本朝世紀』)
同日、佐伯是基(「西国賊首藤原純友之次将」)、捕獲され左衛門府に送還。
佐伯是基の身柄は「検非違使」に拘束され左獄に下される(『本朝世紀』)。
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