19世紀フランスを代表する画家、ジャン・フランソワ・ミレー作『羊飼いの少女』。
ミレーを国民的画家に押し上げた代表作。
上野、東京国立博物館の『生誕150年 黒田清輝-日本近代絵画の巨匠』に行った 圧巻の『智・感・情』(重文) 2016-04-26
▲オルセー美術館
ミレー
1814年、農家の長男として生まれる (~1875)
1835年、父が急死
1837年、奨学金を得てパリへ
1849年、バルビゾンに移住
「たとえ木靴一足分たりとも、後ずさりすることなく、大地に留まるつもりだ」
農村に生きる人々の普遍的な美しさを描こうとした。
しかし、作品は農村の貧困を告発する危険思想だと解釈され、なかなか評価を得られない。
▲晩鐘(1857-59)
▲落ち穂拾い
「貧困の三女神」「ぼろを着た案山子たち」と酷評
▲種をまく人(1850年)
友人から「優しさ」を描けとアドバイスをうける。
これまでは作品に普遍性をもたせるために曖昧にしていたが、
ミレーは表情の描き方を変えた。
次女ルーズをモデルにして羊飼いの少女の顔を丁寧に描き込んだ。
少女は編み物をしているが、
毛糸は羊が作り出すもので、その命を支えているのが草原。
少女の足元のタンポポの綿毛も、これから大地で芽吹く。
ミレーが考えた「優しさ」は、ここに描かれた生き物の循環、命の連鎖であった。
1864年のサロンに出展し、この作品によってミレーの評価が高まることになった。
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