2016年4月30日土曜日

たそがれの光景 (石垣りん 「とうきょう広報」増刊号、1974年)

鎌倉 長谷寺 2016-04-25
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たそがれの光景  石垣りん


私が三十年以上働いてきたのは
家族が最低の生活を営む
その保障のためでした。
私の持ち帰る月給が
ケンポーの役割を果たしてきたと
思っています。

でも第二十五条の全部ではありません。
月給袋が波間に浮かんだ小舟の
舟底のように薄くて。
不安な朝夕を流れ流れて。
戦火も飢餓もきりぬけました。

このちいさな舟に乗り合わせた人たちを
途中でおろして
どうして私が未来とか希望とかに向かって
船出することができたでしょう。
長い間漕ぎつづけましたが
文化的な暮しは
そんなやすらかな港は
どこにもありませんでした。

当然の権利、と人は言いますが。
力の強い人たちによって富もケンリも独占され
貧しく弱い者はその当然のものを
素手で勝ちとるほかない
さびしい季節に生まれました。

もういちど申します。
最低限度の生活を維持したいのが
私の願いでした。
国はそれを保障してくれたことがありません。
国とは何でありましょう。

おかしな話になりましたが
その単純さで
ケンポーは自分のものだと思っています。

望遠鏡のむこうで
第二十五条がたそがれてきました。
けれど引き返すことのできない目的地です。
もうひといきです。
私は働きます。


(「とうきょう広報」増刊号、1974年)
詩人54歳(翌年、55歳で日本興業銀行を停年退職)





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