2016年4月28日木曜日

後藤和智 「「ゆとり世代」学力低下はウソだった~大人たちの根拠なき差別に「ノー」を!」 (現代ビジネス) ; 「ゆとり世代」の特殊性と言われているものの虚構に甘え、その言葉の差別構造の温存に、上の世代も若い世代も乗ってしまっているというのが問題の本質なのです。


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・・・1990年代終わり頃に、実態とはかけ離れた形で煽られ、また寺脇研などの推進派もやはり自らの正当性を主張するため一部歪めてきた「ゆとり教育」という概念が、論争の中で、既存の大人世代と若者世代を決定的に分かつものとして定着し、若者論のガジェットとして普及してきたことが挙げられるでしょう。

大人たちにとって、いまの若者がいかに自らの世代と「違う」のかを主張するために、「競争を否定する」「詰め込みを行わない」とされる「ゆとり教育」は、非常に都合のいいものだったのです。

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例えば「『なぜ、ゆとり社員は俺の飲みの誘いを断るのか』問題」というブログ記事では、いまの若い世代が上の世代の飲み会を断るのは、「ゆとり世代」は役職などでは人を判断しない新しい考え方を持っているからだ、という主張がなされています。

しかしそれは「ゆとり世代」に特有と言えるのかどうか、客観的な根拠が必要ではないでしょうか? これでは、「ゆとり世代」という言葉に込められた差別構造にただ乗りして自分を正当化することにしかならないのです。

「ゆとり世代」の特殊性と言われているものの虚構に甘え、その言葉の差別構造の温存に、上の世代も若い世代も乗ってしまっているというのが問題の本質なのです。それを崩すために必要なのは「ゆとりって言うな!」という言明です。決して「ゆとりですが何か?」と差別構造を正当化してはいけないのです。

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