2016年7月27日水曜日

「弱者を抹殺する:優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのか」という Yahoo!知恵袋の質問に対する進化学な見地からの丁寧な回答。 → 我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです


参加者同士で質問、回答するサービス“Yahoo!知恵袋”で、質問者からの「弱者が生き残れない自然界に対して、弱者を税金などで保護する人間社会は理にかなっていないのでは?」というインパクトのある質問に対して、ある回答者の回答がとても興味深いとネットで話題になっていまいしたので紹介します。

(略、以下は「回答」の後半)

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)


アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです


我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです





この回答を見たユーザーからは、「とても勉強になった」「“適者生存”かなるほど・・・」「分かりやすく納得がいきました!」など賞賛の声があがっていました。この質問、回答自体は2011年のものですが、数年たっても話題になるとはスゴいですね。






「相模原の事件の犯人の思想は生物学的にも完全にまちがっていて、進化の過程では強い種が生き残ってきたのではない、多様性を尊重した種が生き残ってきた。」 (福岡伸一)





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