無職 三上美代子
(千葉県 90)
「わたしが一番きれいだったとき」という詩を読んだ瞬間、あの大尉が蘇った。作者は、私と同じ年に生まれた茨木のり子さん。詩には「男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差だけを残し皆発っていった」とある。
東京の高等女学校5年で17歳だった44年春。勤労動員の職場に、すぐ帰るよう自宅から連絡があった。家では、若く凜々しい大尉と父が座敷で向き合っていた。
大尉は、私が小学生のとき書いた慰問文に返信をくれた方。帰国した折に我が家に来てくれたことがあり、これが2度目だった。
父とどんな話をしたのか。促され、大尉と2人で家を出たが、大尉は無言。私のすぐ後ろをついてくる。そのまま浅草の街を歩き、離れた席で喜劇を見た後、地下鉄への階段を下りる姿を見送った。
あのひとときが、私のただ一つの青春だ。
翌春、わが家は東京大空襲を受け、一家で静岡県に疎開した。大尉の消息は分からない。彼が写った3葉の写真だけが手元にある。
(『朝日新聞』2016-07-18「声 語りつぐ戦争」)
『朝日新聞』2016-07-18「声 語りつぐ戦争」
茨木のり子さんの詩は別記事にて(コチラ)
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