2023年2月28日火曜日

〈藤原定家の時代285〉建久2(1191)年2月1日~3月28日 頼朝、後白河の院御所法住寺殿の再建開始 藤原定家(30)因幡権介 鎌倉大火(御所・若宮など焼亡) 後白河の新制36ヶ条(建久の新制)  

 


〈藤原定家の時代284〉建久2(1191)年1月1日~1月28日 正月垸飯(歳首垸飯)は千葉常胤、三浦義澄、小山朝政 頼朝の庶子を生んだ大進局が恩賞にあずかり上洛 より続く

建久2(1191)年

2月

・この月から、頼朝は木曾義仲の法住寺合戦で焼失した院御所法住寺殿の再建を開始

同年12月16日、後白河は美を尽くした新造の法住寺殿に移るが、この頃に病を得て、10日ほど滞在したのち六条殿に戻る。

2月1日

・検非違使別当源通親、更迭。後任に一条能保。

2月4日

・頼朝、二所詣。足利義兼、新田義兼、山名重国、佐貫廣綱、頼朝の後ろに従う(「吾妻鏡」同日条)。10日帰着。

北条義時(29)、二所詣に進発する頼朝に供奉す。

2月10日

・藤原定家(30)、因幡権介に任じられる

2月15日

・太宰府、宋の求めにより船頭楊栄らの処罰を申請。

2月16日

・藤原定家(30)、西行一周忌に良経と贈答歌各一首

2月17日

・頼朝、鶴岡に雪見。佐貫廣綱、頼朝の傘を持つ。「前の少将時家供奉す。」(「吾妻鏡」同日条)。

3月1日

・熊谷次郎直実、直家に熊谷郷内の田20町歩を与える。

3月3日

・頼朝、鶴ヶ岡で法会と臨時祭。山名義範、供奉(「吾妻鏡」)。

3月3日

・京都の六条若宮で歌人32人を集め、阿閻梨顕昭を判者にして歌合。源通親発起、源光行勧進。歌人は六条藤家の歌人達。俊成の御子左家の歌人は藤原隆信のみ。他に鴨長明(37)が参加。 "

3月4日

・鎌倉大火。小町大路から大火。義時邸、比企能員邸など数十宇が焼亡。大倉幕府御所、若宮神殿も焼ける。頼朝は甘縄の安達盛長の家に入る。   

3月6日

・安田義定、遠江守に遷任。従五位上に叙され、大内守護にも任ぜられる。

3月6日

・頼朝、特に(鶴岡)若宮の火事に嘆息。円暁の坊に入り、若宮造営を指示。戌の刻に鎌倉で地震。「戌の刻大地震(帝尺動く)。」(「吾妻鏡」同日条)。

3月8日

「若宮の仮宝殿造営の事始めなり。」(「吾妻鏡」同日条)。

「夜に入り若宮の仮殿遷宮。・・・随兵百余人、兼ねて宮の四面を固む。義盛・景時・盛長等これを奉行す。」(「吾妻鏡」同13日条)。

3月10日

・藤原長方(53)没

3月27日

・兼実、大江広元が五位の衛門尉に補任されようとしていると知って驚き、「未曾有か」と日記に記す(『玉葉』)

3月28日

・建久の新制。後白河皇、新制36ヶ条を下す。「諸国守護」を頼朝が請け負うことを認める一方、荘園公領制・神人供御人制を一層固め、軌道に乗せる。

16条「海陸盗賊、閭里放火…賊害…闘殺…、たしかに前右近衛大将源朝臣(頼朝)ならびに京畿・諸国の所部の官司等に仰せて、件の輩を搦めまゐらしめよ…」と定める。軍事統率権・検断権の武家権門への委任。

性格:

①政治権力の所在の明示、院=天皇権力の至上高権(超越権門)としての自己規定、

②職の体系・身分体系の整序、

③京都市中法の策定、

④軍事統率権・検断権の院=天皇権力による観念的掌握とその武家権門への委任。後白河院政期、院領荘園の集積と統合は飛躍的に進む。院・天皇権力(中世王権)は、院における最高封主としての性格(荘園制的知行体系の最上位者、秩序付与者、超越権門)と、天皇における律令諸制・官司制・律令法の観念的体現者としての性格(統治権的正統性の観念的源泉)との結合として存立。

「3月22日令」6・7条:

「諸社神人」「諸山悪僧」の交易・流通・金融活動への統制(「3月28日令」25・32条と連動)。「3月28日令」24・26・28・29・30・31・32・36条で都市法を体系化。

「3月22日令」8条:

権門領荘園における寄人の「結党」を規制。

「3月22日令」16条:

奉書「京畿の諸国・所部の宮司に仰せ、海陸盗賊、閭里放火を搦めまゐらしむべきこと」。本文「自今巳後、たしかに右近衛大将朝臣ならびに京畿の諸国・所部の宮司等に仰せ、くだんの輩をまゐらしめよ」。頼朝の軍事・検断権、諸国守護権は、王朝国家の体制下に位置付けられる。

①王権(の象徴)の警衛に関する法:

20条、衛府官人の勤務と左右馬寮の直(とのい)について。

21条、内舎人に一本御書所(世上流布の主要書籍各一本を収集する秘庫)、外記庁(政務・書記官庁)を守護させるべきこと。

35条、宮城を牛馬・馬の通路としたり、雑畜・牛馬を放し飼いすることの禁止。

②京都市中の法:

22条、京中の保(行政単位)の夜回りを励行すべきこと。

23条、法家検非違使(法曹官人出身の検非違使)に獄中の違法を検察させるべきこと。

24条、獄囚米、官田地子の徴収・給付を励行すべきこと。

25条、悪僧らが寺を離れて後、武家に身を寄せ、もと所属していた寺院・諸人に乱暴狼藉を行う事の禁止。

26条、諸人・奴婢を拘引し売買することの禁止。

27条、近隣の雑人が群飲・射的を行うことの禁止。

28条、在家の家主に寄宿舎を申告させる。

29条、京中の人が居住者のいない在家を領したり道路を耕作して、巷所に転換することの禁止。

30条、京中の道路・橋は京職が監督し、そこの面した家の家主に清掃させること。

31条、病人・孤児を京中の道端に遺棄することの禁止。

32条、私出拳の利息は1倍を上限とする。

36条、殺生禁断と京中寺社近辺での鷹など飼育禁止。

3月28日

・藤原兼房が太政大臣、藤原忠親が内大臣となる。


つづく


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