東京 北の丸公園 2012-08-24
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(32)
「第2章 もう一人のショック博士
- ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その2)
シカゴ学派の創設者の一人であるフランク・ナイトは、個々の経済理論は議論の余地のある仮説ではなく「システムの神聖な特性」であるという考え方を学生に「吹き込む」ことが教授の使命であると考えていた。
このシカゴ学派の神聖なる教えの中核には、需要、供給、インフレーション、失業といった経済に影響を与えるさまざまな力は、自然の力と同様、固定した不変のものだという考えがあった。
シカゴ学派の講義や教科書で想定されている真の自由市場においては、これらの力は完全な均衡状態にあり、供給と需要はちょうど月の引力と潮の干満のような関係にあるとされた。
フリードマンの提唱した厳格なマネタリズムによれば、経済が激しいインフレーションに陥るのはおしなべて、市場の自由に任せればおのずから均衡が生まれるところを、政策立案者が誤ってシステムに過剰なマネーを流入させたことに起因するという。
生態系がそれ自身の力でバランスを保っているように、市場もまたそのままにしておけば、生産される商品の数も、その価格も、それを生産する労働者の貸金も適正になり、十分な雇用と限りない創造性、そしてゼロインフレというまさに地上の楽園が出現するというのである。
ハーバード大学の社会学者ダニエル・ベルによれば、急進的な自由市場経済学を特徴づけるのは、この理想化されたシステムへの愛である。
彼らの考える資本主義は「精巧な時計のように寸分の狂いのない」「この世のものとは思われないほどの絶妙なしかけ」であり、「その素晴らしさは、小鳥が飛んできてついばもうとするほど本物そっくりのブドウを措いたアペレス(古代ギリシアの画家)の有名な絵画を思い起こすほどだ」という。
フリードマンとその同僚たちにとっての課題は、現実世界の市場が彼らが熱狂的に思い描いた理想どおりになるということを、どうやって証明するかにあった。
フリードマンは常に、経済学を物理学や化学のような厳密な科学として扱っていることを自負していた。だが自然科学の場合、要素の振る舞いを指摘して理論を証明することができるのに対し、あらゆる「歪み」が取り除かれればその社会は完全に健全で豊かなものになるというフリードマンの主張は、証明不能である。なぜなら、この世界には宗全な自由放任という基準に当てはまる国など、どこにも存在しないからだ。
自分たちの理論を中央銀行や商務省で検証することはかなわないため、フリードマンらは社会科学研究棟の地下にある作業室で複雑で巧妙な方程式やコンピューターモデルを作成することで、良しとしなければならなかった。
フリードマンは数字やシステムが好きだったことから、経済学の道に進んだ。自伝によれば、高校時代、幾何学の教師が黒板にピタゴラスの定理を書いたときに啓示のようなひらめきを感じた。その教師はこの定理の美しきを説明するのに、ジョン・キーツの 「ギリシアの壷に寄せて」から「「美は真実であり、真実は美だ」と - この世で知ることのできるのはそれだけであり、知るべきこともこれしかない」という一節を引用したという。
フリードマンは、これと同じすべてを包み込む美しいシステムに対する熱狂的な愛を、簡潔さとエレガンス、そして厳密さの探究とともに、数世代にわたる経済学者たちに伝えたのだ。
すべての原理主義の教義がそうであるように、シカゴ学派はその信奉者たちにとって、白己完結した世界だった。
まず出発点は、自由市場は完璧な科学的システムであり、個々人が自己利益に基づく願望に従って行動することによって、万人にとって最大限の利益が生み出されるという前提にある。
すると必然的に、自由市場経済内部で何かまずいこと(インフレ率や失業率の上昇など)が起きるのは市場が真に自由ではなく、なんらかの介入やシステムを歪める要因があるからだ、ということになる。したがって結論は常に同じだった - 基礎的条件をより厳格かつ完全に適用することである。
(つづく)
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