2012年8月29日水曜日

原発事故と「受忍論」 免罪と被害の矮小化と

毎日JP
現代をみる:ノンフィクション時評 8月 原発事故と「受忍論」
毎日新聞 2012年08月28日 東京夕刊

 福島第1原発の事故後、「責任者捜し」が進んでいる。責任者番付東西の横綱は、東京電力と政府だ。東電を取り上げたもののなかで、ジャーナリスト・斎藤貴男(54)による『「東京電力」研究 排除の系譜』(講談社)が読ませる。

 批判者への容赦ない攻撃。自己催眠術のような「原発安全」論。インタビューと資料を駆使して、その企業体質を浮き彫りにする。

 責任追及とともに急がれるべきは、被害者への補償だ。これからの訴訟は膨大な数に上るだろう。斎藤は、司法でまかり通る「受忍論」から警鐘を鳴らしている

 たとえば東京大空襲のように、戦争で被害にあった国民や遺族が国に補償を求めて訴訟する。すると司法は「戦争でみんな被害にあった。だから、みんなでがまんしなければならない」という判断をしばしば下す。これが「受忍論」だ。

 斎藤はこの受忍論が東電への損賠訴訟に転用されるとみる。「戦後補償に限らず、重要な国策にかかわる訴訟ではことごとくこの受忍論でしりぞけられてきたから」。実際、地裁レベルではその萌芽(ほうが)がみられるという。

 「膨大な数の被害者たちにまっとうな補償をしていったら、相当な予算が必要となる。財源は税金と、確実に値上がりする電気料金だ。いずれも国民一人一人に負担が及ぶ。それでいいのか」。そういう反論はあり得るだろう。それに対し斎藤はいう。「まず責任者に応分の負担をしてもらう。もちろん限界はあるだろうが、それでも何ができるか考えるべきだ」。まず被害者に耐え忍ぶことを求める受忍論とは、立ち位置が違う。

 福島第1原発の事故後、ドイツは2022年12月31日、つまりおよそ10年後までに原発を全廃することを決めた。

 22年間ドイツ・ミュンヘンで暮らすジャーナリスト、熊谷徹(52)による『脱原発を決めたドイツの挑戦 再生可能エネルギー大国への道』(角川SSC新書)は、かの国で進む「エネルギー革命」のリポートだ。

 たとえば電源構成(発電量)に占める原子力の割合をみると、2000年の29・5%が漸減し、11年には17・7%となった。一方で風力などの再生可能エネルギーは6・6%から徐々に増え19・9%となった。背景には環境保護に「宗教的なまでに執念を燃やす」国民性があるという。

 一方で、原発大国フランスから電力を輸入していることなど課題も指摘する。礼賛するだけでないだけに、信頼感がおける。【栗原俊雄】=文中敬称略


東京新聞
また受忍論ですか 東京大空襲も原発事故も 
2012年8月16日 朝刊

 終戦の日の八月十五日も、「戦争の後始末は終わっていない」と訴える人たちが、東京都の台東区民会館に集まっていた。国に空襲被害者への援護を義務づける法の制定を求めている全国空襲被害者連絡協議会の二周年の集会。受け付けをしていた河合節子さん(73)=千葉市中央区=は、東京大空襲で母親と弟二人を亡くした。昨年その体験を紙芝居にして、小学校などを回っている。
 一九四五年三月十日の東京大空襲の夜、河合さんは疎開先の茨城県にいた。東京の空は、「あかあかと美しく輝いて」見えた。当時五歳。後日、大人たちが泣いているのを見たが、幼い河合さんは理由が分からなかった。
 七月ごろ、包帯をグルグル巻きにした「ミイラのような姿」の父親が迎えにきた。母や二歳と三歳の弟はもういないと悟った。
 紙芝居では、赤くただれた顔の父親と自分が街を歩く場面が出てくる。
 <手をつないで街を歩けば、顔中ケロイドの父とすれ違う人はみんな振り返ります。耳たぶは溶けてなくなり、まぶたや唇はひきつれて外側に反り返っています。(略)私は振り向いて、にらみ返しながら歩いていました。>
 七十七歳で亡くなるまで、父は戦争の話をほとんどしなかった。
 紙芝居はこう続く。 <父の傷は外見だけではありませんでした。妻や子を守ってやれなかったことを生涯くやみ続けました。毎晩のように、何百回も火の海の夢にうなされていました。>
 「あのね、お父さん…」と話しかけようとしただけで、お互い涙がどっと出たときのことを河合さんは忘れられずにいる。
 三十年ほど医療系の仕事をした後、退職。介護のボランティアで、元軍人の家庭に派遣された。軍人やその遺族には恩給制度がある。自分には国からの何の補償もない。生活のゆとりの差がそのせいなのかと思えてくる。二〇〇七年に東京大空襲訴訟の原告になった。
 政府や裁判所は「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない」という論理で、補償を認めていない。国策で被害を生みながら、誰も責任をとらない東京電力福島第一原発事故にも同じ構造を感じ、昨年は脱原発集会にも参加した。
 「なぜ戦争を止められなかったのか。昔大人たちに言っていたことを今問われている気がします」 (橋本誠)


福島医大の山下俊一副学長の発言はもう殆ど「受忍論」(コチラ)
「日本という国が崩壊しないよう導きたい。
チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。
そうなった時の最終的な被害者は国民だ。」



ご参考に、「るいネット」というサイトの
「福島より、SOS!-福島の実状」


<転載>
加害者である東電の非人間的対応、それを助長する国、そしてそれを見ぬふりする(報道しない)マスコミ。
筆者が「いじめ」と表現している通り、確かに昨今のいじめ問題の加害者(東電)、教育委員会(国)、教師(マスコミ)と構造が重なってみえる。

以下転載
福島より、SOS!(リンク )
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福島の実状がなかなか伝わってこない中、以下のメールをいただきました。
読んでいただければわかりますが、やはり、福島では大変なことが起きています。
皆さん、国もメディアもいっさい報道しないこのようなことを許せますか?
私は怒りで震えています。
福島の人を、見殺しにしようとしている国も東電も許せません。
ぜひ、拡散をお願いします。

以下、転載
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福島の被災者をこのまま放っておいてはいけない。
皆様は福島の被災者の現実をご存じですか?

 (中略)

 まず、支援品についてです。福島は未だ寝具、衣類、下着、食器、生活消耗品、水、お米、調味料、食品などが不足しており、皆さまの温かいご支援をお願い申し上げます。

 災害当初から支援は宮城、岩手に集中しておりました。福島は、原発への恐れからでしょうか、福島へ支援は入ることなく、宮城、岩手に流れておりました。支援品があふれて困っているとお聞きした宮城に、福島にお願い出来ないかと問い合わせましたが、他県に入ったものを福島に流すのは無理とのこと、ここでも決まりがあることを知りました。

 私たちの義援金についてお話しさせていただきます。これは日赤の方からうかがった話です。私たちの義援金はそのまま県に渡し、県から市町村、そして被災者にと委ねたそうです。海外からの義援金は被災者への家電6点セット、教育支援、体育館、病院修繕費、ソフト事業費に。日赤としては国から資金をもらうことはなく、以前からの日赤の資金で毛布配りをしたとのことでした。被災者に義援金のことをたずねると、一家族につき5万円、7万円、30万円と町によって異なっておりました。それにしても余りにも少ない義援金。私たちの義援金はどこに使われてしまったのでしょう? 被災者にとって悲しかったことは、国からのお見舞金が何もなかったことです、とおっしゃっていました。

 東電の補償金についてお話しいたします。東電は賠償金の一部として昨年秋頃、単身者75万円、一家族(2人でも7人でも一様に)100万円支払いました。しかも申請のためには何ページもの書類を書かせられて。
 しかし、この賠償金は仮払金なので、全額返すように言われ、12月頃から被災者は返金させられています。また、昨年6月から3カ月毎に、精神的損害金が一人10万円ずつ支払われるようになりました。しかし、このお金も仮払い金なので、6月からの3カ月分を返済するように言われ、被災者は自動的に引かれています。つまり、単身者は105万円、3人家族なら190万円を返金しなければならないのです。人によっては、毎月の10万円で返金することにした、という人もいます。何ということでしょう。お金のない被災者は、どうやって生きて行ったらよいのでしょう?

(中略)

 双葉町の町役場の責任者からうかがった話ですが、3月11日に職員は出張で仙台に行っていたそうです。それで当日双葉町にいなかったからと言って、東電はその人に賠償金を出さなかった、とのことです。かわいそうに、その職員は、家を新築して3月13日に入る予定だったとのこと。一日も住むことなく、ローンだけが残り、東電からは賠償金ももらえないのです。

 福島の被災者に対する国や東電の対応については、いっさい報道されないために、地元の人でさえ本当のことが分からず、「あなた達は東電のお金で楽な生活をしているんでしょう」と言われ、子どもまでもがいじめにあっています。周りから白い目で見られている被災者たちは、お世話になっているからと小さくなって生活し、家の中にこもりがちになり、孤独とストレスで、鬱病、パニック症候群になっていく人が多く、自殺者が絶えなくなりました。死んだ方がまし、死にたい人の気持ちがよくわかる、とよく耳にします。

(中略)

 除染について、被災者の声をお伝えします。
「わたしたちの町は、もう住めないことが分かっている。30年40年帰れないことも分かっている。だのに、住めない所をどうして除染するのか。お金を捨てているようなものです。それよりも被災者の生活安定に目を向けて欲しい。別なところに新しい町を作って欲しい。新しい住まいも作って欲しい。除染ばかりに目を向けず、被災者の生活をまず第一にして欲しい。汚染された所は仕方がない。そこを廃棄物置き場にしたら良い。ふる里を失うことは辛いです。しかし、前を向かなければならない。私たちはもう住めないと思っているのですから。しかし、東電と国は除染したがる。そして解除したがる。解除して自宅に帰れると、補償金を出さなくて済むからです。国と東電は一つです」と、ある被災者は言いました。

 最近、驚いていることがあります。南相馬市小高区は来年の5~7月ごろ除染することになりました。その前に復興庁は2000万円の予算を出し、被災者に日当で草刈り、ガレキ処理をさせることになりました。「雇用の確保に、ということですが、それは放射能を浴びさせることです」と役場の人も言いました。実際、現場で働く被災者が30分草刈りしたら1.25マイクロシーベルトあった、と言います。彼は担当者に言ったけど無視された、とのこと。現場には役場の人は来ていません。被災者はマスク無しで、普段着姿で働いています。弁当も出ません。そして、5月から働きだして、3カ月過ぎましたが、今でもお金は出ていません。8月10日過ぎに出ると言われた言葉を信じて、被災者たちは黙々と働いています。「お金のない我々は農協からお金を借りて生活しています。8月10日過ぎにお金が入ったら、農協に返金するつもりです。1日8時間、月~土曜日まで働いています。休みは雨の日と日曜だけです。」

 皆さま、福島の方々は悲しすぎませんか? 全てが人道的に許されることでしょうか?これは、国をあげての「いじめ」になりませんでしょうか? いじめは犯罪行為でもあります。私は国の無関心、対策の先延ばしに、ナチスのユダヤ人虐殺が重なって感じられます。どうぞ皆様、被災者を救ってください。皆様のグループに現地の方をお呼びしてお話を聞いて下さい。そして物品や義援金のご寄付をお願い申し上げます。ご協力頂けます方は、よろしくお願い申し上げます。
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以上。(文字数の関係で若干内容を割愛しました)
<転載終り>

福島の現状をよく知っておかないと、受忍論の陥穽に落ちることもありうる。

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