2012年9月11日火曜日

昭和17年(1942)8月9日 第1次ソロモン海戦 一木支隊のガダルカナル投入決定

東京 江戸城(皇居)東御苑
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昭和17年(1942)
8月9日
第1次ソロモン海戦(ツラギ海峡夜戦=サボ島沖海戦)。日本側の一方的勝利
午前1時30分(8日午後11時30分)、クラッチレー英海軍少将指揮アメリカ・オーストラリア重巡4(アストリア、クィンシー、ヴィンセンス、キャンベラ)、日本重巡1撃沈、第8艦隊(三川軍一中将)完勝。
但し、ルンガ沖米輸送船団は無防備ながら無傷でガダルカナルへ。

7日のフランク・フレッチャー中将指揮下リッチモンド・ターナー少将率いる水陸両用部隊のガダルカナル及びツラギ島上陸に対し、日本海軍は、ラバウルから零戦17、陸攻27が出撃、海からは三川軍一中将の第8艦隊に第18戦隊を加え出撃(重巡「鳥海」「青葉」「加古」「衣笠」「古鷹」・軽巡2・駆逐艦1)。

8日午後11時頃、サボ島南岸で哨戒中の南方艦隊を砲雷撃、重巡「キャンベラ」「シカゴ」駆逐艦「パターソン」は大破。
その後、第8艦隊は米軍北方艦隊を追尾、サボ島沖を北上し、9日午前0時頃捕捉、重巡「クィンシー」「ヴィンセンス」を大破。日本側は「鳥海」のみ小破で、日本海軍の夜戦能力の優秀さを証明。

戦果:
米重巡「アストリア」「クインシー」「ヴィンセンス」オーストラリア重巡「キャンベラ」撃沈、米重巡「シカゴ」駆逐艦「ラルフ・タルポット」「パターソン」大破。
日本の損害は重巡「鳥海」「青葉」小破。

ニューアイルランド島カビエン入港直前、重巡「加古」が米潜水艦S44に撃沈。但し、輸送船団を攻撃をせず。
引揚げ途中、「鳥海」早川艦長は三川中将に再攻撃を進言するが、中将は最初から一撃で引揚げる決心。1発射ったとたんに電気が消え、コンパスが止まる「天竜」のような中古艦を連れていること、艦隊練度が低く態勢再編成に時間がかかること、護衛機を持たぬ「ハダカ艦隊」のため空母の反撃を恐れたことなどがその理由。

9日午前零時23分、三川中将は全軍引揚げ下令し、泊地の船団攻撃せず。
艦隊は天明までに敵空母搭載機追撃圏外に出るという艦隊温存を重視。連合艦隊司令長官は、作戦目的を達成していないとして大いに不満という。

「第八艦隊甲巡五を撃沈して帰途に就けるが如し。敵空母を恐れたるか。今一息と言ふ処、遺憾至極なり。斯くてツラギ(ガダルカナルを含めての呼称)は遂に敵の蹂躙に委したるか。果して然らば之が快復は容易に非ず。・・・」(二見第17軍参謀長の日記)。
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8月9日
・朝、ガダルカナル対岸ツラギ守備隊(横浜航空隊、呉第3特別陸戦隊)全滅。700人中脱出70、捕虜23、他全員戦死。
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8月9日
・英国インド政府、国民会議派弾圧、ガンジー、ネルーら逮捕
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8月9日
・ドイツ、哲学者・カルメル会修道女シュタイン、アウシュビッツ強制収容所で没。
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8月9日
・ドイツ、クラスノダールおよびマイコブを占領
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8月10日
・大本営陸海軍部、7日以降連絡研究を行い、海軍の陸兵派遣要請に対し、一木支隊2千のガダルカナル島投入決定
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8月10日
・午前7時10分、第8艦隊第6戦隊重巡「加古」、カビエン湾で潜水艦の雷撃を受け沈没
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8月10日
・大田實大佐、呉鎮守府付け(ミッドウェー上陸部隊「二連特」残務処理)から佐世保第2海兵団長に任命。
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8月10日
・福岡日日新聞と九州日報が統合して、西日本新聞が興される
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8月10日
・~15日。連合軍、マルタ島救援「ペデスタル(台座)作戦」を実施。マルタ向けの「ペデスタル」護送船団大打撃を受ける。英軍艦「イーグル」沈没
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8月11日
・南方軍、インド侵攻計画を大本営に提出(21号作戦)。第15軍第18師団長牟田口廉也中将反対。
9月1日、南方軍、15軍に準備指示。
11月23日、大本営は実施保留通達
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8月11日
・ドイツ、ヘルベルト・ヒューベナー(17)、反ナチ・ビラ配布により処刑
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8月12日
・第1次モスクワ会談。スターリン・ソ連首相、チャーチル英首相・ハリマン米大使、第2戦線問題討議。~15日。
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8月12日
・ドイツ軍、ドン川下流を越え、マイコプ油田地帯を占領。
・ドイツ軍、クバニ地区で前進。
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8月13日
永野軍令部総長と杉山参謀総長、上奏

永野の上奏要旨:
ガダルカナル上陸の敵は兵力未詳であるが、行動は活発でない。7、8日我方の攻撃によって受けた甚大な損害と、10日には既に全艦船が引揚げている状況(25航戦の攻撃と誤った報告による都合の良い解釈)に鑑み、陸上残存兵力の戦力は大きくないものと判断している。(実際は、日本軍の推測を遥かに上回る陸戦兵力を揚陸し終えての艦船引き上げ)

同日、杉山は前日陸海軍で協定した作戦要領を上奏。
「・・・・・・・
一 ポートモレスビー作戦ハ既定計画ニ基キマシテ速ニ之ヲ遂行致シマス 
二 ソロモン群島方面ニ対シマシテハ速ニ出発シ得ル第十七軍ノ一部ヲシテ海軍ト協同致シガ ダルカナル島所在ノ敵ヲ撃滅シテ同島ノ要地特ニ飛行場ヲ奪回致シ又努メテ速ニツラギヲ攻略奪回致シマス」
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8月13日
ガ号作戦発令(ガダルカナル・ツラギの奪回攻略)
同日、第17軍百武晴吉中将・第11航艦塚原二四三中将、ガ島奪回作戦に関し現地協定締結(「キ号作戦」;一木支隊と海軍陸戦隊でガ島飛行場を奪回)。

同日、第17軍、一木支隊2千と横須賀鎮守府第5特別陸戦隊(横5特、司令安田義道大佐、グアム島在)616のガダルカナル先遣決定
14日、第2水雷戦隊(田中頼三少将)、第8艦隊指揮下に入りガダルカナル支援。

横5特もミッドウェー攻略作戦用兵力で、一木支隊同様グァムに引き返し、ガダルカナル方面に米軍の反攻が始った8月7日、第8艦隊に編入され、一部の高橋中隊(高橋大尉以下113)だけは12日ラバウルに進出。

12日、一木支隊はグアム島から南下してトラック島へ入る。
第17軍百武司令官は一木支隊をラバウルに呼んで確実に掌握した上で戦地へ送ろうとするが、敵機や敵潜の哨戒圏をなるべく避ける方がよいとの海軍側意見に従い、ガダルカナルへ直行させることにする。
一木支隊はグァム島以来トラっク島でも輸送船「ばすとん丸」「大福丸」2隻に載っているが、これらは最高速度9.5ノットと低速の為、敵航空兵カ配備に先んじて飛行場を奪取する作戦目的には不適当。そこで、数日前まで兵力寡少を憂えられた一木支隊を、更に2梯団に分けて、第1梯団約900を駆逐艦6隻に分乗させ、ガダルカナルへ高速輸送することになる。
この段階では、第17軍は一木支隊第1梯団900だけで飛行場奪取できるとの判断
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8月13日
・エジプトの第8軍司令官にモントゴメリー就任。
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8月13日
・米、原爆開発計画(後のマンハッタン計画)始動
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