東京 北の丸公園
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(34)
「第2章 もう一人のショック博士
- ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その4)
フリードマンの師ハイエク:政府の経済的介入は「隷属への道」
フリードマンのこうした純粋主義に大きな影響を与えたのは、一九五〇年代にやはりシカゴ大学教授の座にあったオーストリア出身の経済学者・哲学者で、フリードマンが師と崇めていたフリードリヒ・ハイエクだった。
ハイエクは、政府が行なういかなる経済的介入もその社会を「隷属への道」へと導くものであり、排除すべきであると主張した。
長年シカゴ大学で教授を務めたアーノルド・ハ-バーガーによれば、この派閥中の派閥とも言うべき「オーストリア人たち」は熱狂のあまり、政府の介入はすべて間違っているだけでなく「悪」だと決めつけた。
「非常に美しく、かなり複雑に込み入った絵があり、それ自体が完壁な内的調和を保っていたとしよう。もしそこにあるべきでない染みがあったら、見られたものではないし(中略)その絵の美しさそのものが損なわれてしまう、というわけだ」
大恐慌;「自由放任の終焉」、即ち市場原理に任せることの終焉
そして、ケインズの登場
ニューディール政策から戦時体制へのと移行
一九四七年、スイスのモンベルランでハイエクを中心とする自由市場経済学者がモンベルラン協会を設立したとき(これがフリードマンとハイエクの最初の接点だった)、企業にはいっさい規制を加えず、その意の赴くままに世界を支配させるべきだなどというのは、表向きにはとても持ち出せないような考え方だった。
当時はまだ、一九二九年の株価大暴落とそれに続く世界大恐慌の記憶 - 一夜にして消え去った貯金、多発する自殺、炊き出しの長い列、仕事も家も失った人々 - が生々しく残っていた。
この、市場のもたらした災いのあまりの規模の大きさに、徹底した管理を行なう政府形態を求める声が高まっていた。
大恐慌は資本主義の終焉を知らせるものではなかったが、経済学者ジョン・メイナード・ケインズがその数年前に予言していたように、「自由放任の終焉」、すなわち市場原理に任せることの終焉を意味していた。
一九三〇年代から五〇年代初めにかけては、大胆なまでの「行動」の時代だった。
ニューディール政策のなせばなる精神が次第に戦時体制へと移行していくなか、切望される職を創出するために公共事業計画が実施され、人々が左翼に転向するのを防ぐために新しい社会福祉政策が発表された。
この時期、左派と右派の妥協はけっしてタブーではなく、ケインズが一九三三年にフランクリン・D・ローズヴェルト大統領に宛てて書いた、「正統主義と革命」が「とことんまで戦う」ような世界を招来させないための、尊い目的を持った作戦の一環だとみなす人が少なくなかった。
アメリカにおけるケインズの後継者ジョン・ケネス・ガルブレイスは、政治家と経済学者の主要な役割はともに、「恐慌を回避し失業を防ぐこと」だとしている。
ケインズの警告、ナチスの台頭への反省
;市場経済は、国民に十分な基本的尊厳を保障すべき
第二次世界大戦は、貧困との戦いに新たな緊急性をもたらした。
ドイツでナチスが台頭したのは、第一次大戦後の膨大な賠償金の支払いによって経済が破綻し、さらに一九二九年の株価大暴落によって深刻な不況に陥っていた時期だった。
ケインズはそれ以前に、もし貧困に窮したドイツに対し世界が自由放任のアプローチをとれば、手痛いしっぺ返しを食うと警告した - 「あえて言わせてもらうが、その報復は生やさしいものではない」。
当時、この警告に耳を貸す者はいなかったが、第二次大戦後にヨーロッパが復興すると、欧米の大国は、市場経済は国民に十分な基本的尊厳を保障すべきであるという原則を支持するようになった。そうすることで、幻滅した国民がふたたびファシズムや共産主義といった思想に心惹かれることを防げるというわけだ。
今日、往年の「まともな」資本主義と言えば思い浮かぶほとんどすべてのもの ー アメリカの社会保障制度であれ、カナダの公的医療制度であれ、イギリスの社会福祉であれ、フランスやドイツの労働者保護制度であれ ー が生み出される原動力となったのは、まさにこの実際的な要請だったのである。
開発主義あるいは第三世界ナショナリズム
発展途上世界においては、これと類似した、より急進的な空気が高まりつつあり、通常それは開発主義あるいは第三世界ナショナリズムと呼ばれた。
開発主義経済学者たちはこう主張した。
自然資源の価格は下落し続けており、発展途上国が貧困の悪循環から抜け出すには、これまでのようにヨーロッパや北米への自然資源の輸出に依存するのではなく、国内指向型の工業化政策を追求する以外に道はない、と。
彼らは石油や鉱物をはじめとする主要産業の規制や、場合によっては国有化を提唱し、それによって収益のかなりの部分を政府主導の開発プロセスに注入できると主張した。
南米南部地域;開発主義のもっとも先進的な実験室
一九五〇年代には、開発主義者たちは先進国のケインズ主義者や社会民主主義者と同様、一連の目覚しい成功物語を誇れるまでになっていた。
開発主義のもっとも先進的な実験室となったのはチリ、アルゼンチン、ウルグアイ、そしてブラジルの一部で構成される南米南部地域(サザンコーン)であり、その中心を担ったのは国連ラテンアメリカ経済委員会(本部はチリのサンティアゴ、一九五〇~六三年までアルゼンチンの経済学者ラウール・プレピッシュが事務局長の座にあった)だった。
プレピッシュは複数の経済学者チームに開発主義理論を叩き込んだうえで、この地域の各国政府に政策顧問として派遣した。
民族主義を掲げるアルゼンチンのフアン・ペロンのような政治家はその助言を猛烈な勢いで実行に移し、公的資金を高速道路や製鉄所などの基幹プロジェクトに投入したり、国内企業に潤沢な補助金を提供して車や洗濯機を生産する新しい工場を建設させたり、法外に高い関税を課して輸入品をシャットアウトしたりした。
開発主義の成功;第一世界と第三世界の階級格差は解消できることが証明された
この急速な経済拡大の時期、南米南部地域はほかのラテンアメリカや第三世界より、ヨーロッパや北米に近い様相を呈し始めた。新しい工場で働く労働者たちは強力な組合を結成して中産階級レベルの賃金を得るべく交渉し、その子どもたちは新設された公立大学に進学した。
この地域のひと握りのエリート層と貧しい農民階級との間に横たわっていた大きな格差は次第に狭まり、一九五〇年代にはアルゼンチンは南米大陸で最大の中産階級を擁するまでになった。隣国のウルグアイの識字率は九五%に達し、すべての国民に対し医療が無料化された。
この時期、開発主義が目覚ましい成功を収めたことで、南米南部地域は世界中の貧困国にとって希望の象徴となった。賢明で実際的な政策を積極的に実施することによって、第一世界と第三世界の間の階級格差は解消できることが証明されたのである。
シカゴ学派の失意の日々とシカゴ学派に関心を寄せる僅かな人々
このように管理経済- 「北」におけるケインズ主義、「南」における開発主義 - が成功を収めたことは、シカゴ学派に失意の日々をもたらした。
シカゴ学派にとっては学問上の宿敵であるハーバード大学やイェール大学、オクスフォード大学の学者たちは、各国の大統領や首相に請われて市場の暴走を抑えるために力を貸した。
市場が荒々しく変動するままに任せよというフリードマンの大胆な考えに興味を示す学者は、もはやほとんどいなかった。
とはいえ、シカゴ学派に鋭い関心を寄せる者はごくわずかながら存在した。しかもそれは少数といえども強力な布陣だった。
アメリカの多国籍企業の苦々しい時代
戦後の好景気はアメリカの多国籍企業のトップにとって、苦々しい時代だった。
発展途上国はあからさまに冷淡になり、自国の労働組合はより強い要求を突きつけてきたからだ。
経済の急速な成長に伴い膨大な富が創出されていたものの、企業経営者や株主はこうした富のかなりの部分を、法人税や労働者の貸金という形で再分配せざるをえなかった。
誰もが豊かになりつつあったが、もしニューディール政策以前のルールに戻れば、はるかに豊かになるはずの人々も少数ながら存在したのだ。
シカゴ学派の役割;
企業の失地回復のためにケインズ主義に対抗する「反革命」を起こすこと、
大恐慌以前よりさらに規制のない資本主義体制に戻ること
自由放任経済を否定するケインズ革命は、企業部門に多大な代償を強いるものだった。
企業の失地回復のためにはケインズ主義に対抗する「反革命」を起こすこと、つまり大恐慌以前よりさらに規制のない資本主義体制に戻ることが必要なのは明らかだった。
だがウォール街自らが行動に出ることは、当時の情勢からいって無理だった。
仮にフリードマンの親しい友人でシティバンクの巌高経営責任草CEO)ウォルター・リストンが、最低賃金と法人税はともに廃止すべきだなどと発言したら、たちまち悪徳資本家だとして糾弾されたにちがいない。
そこで、まさにその役割を担ったのがシカゴ学派だった。
卓越した数学者であり弁舌の才にも恵まれたフリードマンの手にかかると、同じ主張がまったく違った様相を帯びてくる。
誤った考えだとして片づけられることはあっても、そこにはいかにも科学的に中立性があるような雰囲気が漂っていた。
企業側の見解を学者(あるいは疑似学者)の口を介して発表することには膨大なメリットがあることから、企業はこぞってシカゴ学派に多額の寄付を行なった。
そればかりか、短期間のうちに世界的な右派シンクタンクのネットワークを作り上げ、反革命の歩兵を世界中に送り出すことになったのである。
(つづく)
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