〈100年前の世界014〉大正12(1923)年4月 満鉄ハルビン事務所に調査課(宮崎正義ら)設置 宮沢賢治、妹の死去後半年してようやく詩作を再開 窪川鶴次郎と中野重治が四高の短歌会で出会う より続く
大正12(1923)年
4月1日
・朝鮮民立大学期成会が創立
4月1日
・朝鮮水産令施行。
4月1日
・「科学画報」創刊(新光社)。
4月1日
・ソ連漁業庁と日本業者代表間でソ連沿岸漁区借区契約成立(但しソ連、日本の出漁を容認せず)。
5月10日、日本の漁夫への査証付与を承認。
4月1日
・樺太漁業税規則公布施行。
4月1日
・イギリス、タンガニーカに人頭税を採用。
4月1日
・フランス、義務兵役を1年半に短縮。
4月2日
・日本銀行、台湾銀行整理資金特別融通を承認(限度5,500万円)。
4月3日
・天津商会会董・行董会議、日貨排斥運動を議論(~4日)。
この日(3日)、商会会長は、「中国は武力を以って抵抗することがでない目下に於いて、我らにできるのは経済絶交のみ、この責任は吾輩商民にほかあるまい」と述べ、続いて団体代表会代表も「目下、政府による外交交渉の成敗は国民次第である。国民にして出来得ることは劣貨拒否であり、商人が日貨売買を止める以上、経済絶交の目的が達成できるのであろう」と呼びかけた。
会議の最後に、①政府国会に通電し、二十一個条撤廃の要求を促す、②日本政府に電文を発し、中日親善の真義を問い、中国政府による二十一個条要求撤廃の承認を促す、③全国各地商会に一致して行動を取るよう通電を発する、④日貨排斥にあたって、脅迫手段を禁ずるといった内容の決議。同日、天津商会は各業界公会に対し、「それぞれ代表を決め、毎日本会と連絡を取り、目的達成のため、民心鼓舞のために努めるべき」と求め、全国各省の各商会に「日本との経済絶交を公言し、日貨排斥を行う」と宣言し、「一致たる行動をとるよう」と呼びかけた。
翌4日の全体会議では、「民意の順応、輿情の体察、厳正な交渉、二十一個条廃止、旅大回収を以って、国権維持を図るよう」という政府に対する要請文が決定。尚、旅大に対する日本の侵略行為に抗議するため、商会が天津日本商業会議所に直接手紙を送り、「公約の保持と平和の維持がされるべく、貴国政府に旅大の返還、二十一個条要求無効の宣言を促してほしい」と求めた。
これに対し、天津日本商業会議所が「これは我が国の国策に関わることであり、一商業団体が容喙する事ではあるまい。政府に要請する事は到底できず、遺憾に存ずる」との意思を表明。天津商会会董楊暁林は、「日本商業会議所の回答に接し、日本商人が自国政府に対する声援熱意の高さが窺えた。吾人もまた我政府を必ず擁護し、外交交渉に声援し、我商人の人格を保つべき」と述べた。
4月3日
・共産党機関誌「赤旗」創刊。「前衛」「無産階級」「社会主義研究」3誌が合同。7月「階級戦」と改題。8月終刊。
「無産階級から見た朝鮮解放問題」と題する29人(うち朝鮮人2人)のアンケート。
①朝鮮の民族的独立と朝鮮無産階級の資本主義からの解放とを対立的に捉え、前者を無意義とし、後者とのみ連帯せよとする傾向。
国領伍一郎(総同盟京都連合会)、「「朝鮮の独立」と云ふ事は、朝鮮の資本家階級には日本の帝国主義的支配から独立して、自由に思ふ存分自国の労働階級の生血を吸ふ事を意味し、労働階級には日本の帝国主義支配から脱すると共に、同時に資本主義的搾取から脱する事を意味してゐると云ふ事が労働階級にも資本家階級にも解って来た。「朝鮮労働者共和国」こそ今日の朝鮮の無産階級の××運動の目標である。」。
赤松克唐(総同盟書記)は、「所謂朝鮮独立運動は時代遅れである」と答える。彼は、4月17日の総同盟中央委員会で、「朝鮮人労働運動の調査及び之れと提携の件」を説明し、「単なる民族独立運動であれは、それは大帝国主義に反抗する小帝国主義であるのだから、無産階級運動とは緑のないものである」と言う。
この日の中央委員会決議は、赤松提案を受けて、「朝鮮民族の解放運動は、それが無産階級化する限りに於て、日本無産階級の解放運動と共同の敵を有するものと認む」という表現をとり、赤松的見解が先進的労働者の間に一般的であったことを示す。1920年夏のコミンテルン第2回大会の、帝国主義国の共産党は共産主義的ではない革命的民族解放闘争を支持しなければならぬとの方針は、日本ではまだ理解されていない。
②朝鮮解放は日本革命達成によって初めて可能であるとの見解が支配的。
北原竜堆(「進め」主宰者の1人)は、「朝鮮を併合した者は、日本ではなくて「日本の有力者」です。それで此の権力者さへ消滅せは、併合そのものが消滅する」。
赤松克麿は、「極東民族の自決問題も極東無産階級の解放問題も、その一切の解決の鍵が日本の帝国主義的資本主義の没落に於て見出される」。
日本人27人の回答の中で、朝鮮放棄を迫れと明記しているのが、堺利彦(共産党総務幹事長)・渡辺政之輔・川合義虎(以上南葛労働会)、坂口義治(鉱夫庵連合会)、梶喜助(不明)の5人だけ。
③朝鮮無産階級は、日本無産階級と同一組織に属すペしとの主張が見られる。
野坂鉄(総同盟書記)は、「日本の労働者と朝鮮の労働者とが、一つの労働組合一つの政治的又は思想的団体を組織し、他方に、ロシアの援助を得て、朝鮮及び日本の資本主義に打突かることが朝鮮解放の唯一の手段と思ふ」と書く。「階級的解放即ち無産階級革命を目的とする運動と雖も、現に存在してゐる民族運動の勢力を無視せずに、飽くまでこの運動の内にペネトレートして、之を無産階級運動の方向へふり向ける事に努力すべきではないでしやうか」と、アンケートの中では例外的に独立運動を重視する荒畑寒村といえども、両民族の無産階紋は「同一の戦線を組織し、協同の戦術を採用し、合同の機運を促進」せよと主張。
組織合同論は、主観的善意から出ているとしても、①の朝鮮の民族運動の独自の意義の軽視と、②の日本革命優先の見解の結合から来る組織論としての結論である。朝鮮の解放はプロレタリア革命によらねは実現できず、それは日本革命があって可能だから、朝鮮革命家はすべからく日本の革命組織に合同して、まず日本革命に献身せよ。これでは、朝鮮人民のナショナリズムを無視した形を変えた同化主義だと云われても仕方ない。
南葛労働会指導者川合義虎 ;
「日本の労働者階級は、朝鮮植民地の絶対開放を叫び、経済的にも政治的にも民族差別撤廃を主張し、具体的には朝鮮よりの軍隊撤去、日鮮労働者の賃金平等を要求し、運動場の完全な握手と、同一戦線に立つことを、最大の急務として努めなければなりません。」
4月4日
・ソ連、トロツキー「日常的名人間関係における礼儀作法と礼節」。官僚の農民、労働者に対する粗暴さ
4月5日
・共産主義青年同盟結成。委員長川合義虎。
〈高瀬清の回想による青年同盟結成過程〉
高瀬は、この前年(1922年)1月、極東諸民族大会(モスクワとペトログラードで開催)に日本代表の一員として参加し、6月に帰国した。さらに9月末、高瀬はロシアへ向けて出発し、コミンテルン第4回大会(1922年11月、ペトログラードとモスクワで開催)において、日本共産党の創立(同年夏結成)を報告した。その際、高瀬は共産主義青年インターナショナルから日本共産青年同盟設立の指令をうけ、翌年1月頃帰国する。
青年同盟の組織準備委員会委員長に佐野学、委員に川崎悦行、荒井邦之介、高橋貞樹、猪俣津南雄、高瀬清が任命された。彼らは、1923年4月に青年同盟を非合法に結成した。暁民会事務所(東京都豊多摩郡戸塚町字源兵衛)が結成の会場で、委員長には川合義虎(本名川江善虎)、顧問として佐野、猪俣、高瀬、委員には川崎、荒井、高橋、岸野重春、高野実が選ばれた。
4月5日
・モンタナ、ネバダの両州で初の老齢年金法制定。
4月7日
・ドイツ、エッセン市内、アルバート・レオ・シュラーゲーター(ドイツの右派軍人)、フランス刑事警察に逮捕。
10日、デュッセルドルフのフランス軍法会議でスパイ・サボータージュにより死刑判決。2週間後処刑。極右派はプロイセン内相ゼーベリングに釈放運動を失敗させた罪ありと非難。事実無根。
4月8日
・中野鈴子(17、福井県坂井郡立女子実業高校を卒業)、金沢市古寺町の若林喜三郎方に下宿する兄重治と同居することになる。3月、兄重治は落第し、父藤作は重治が2年生を二度にわたり落第したことで危機感を抱いた。あと一度落第すれば、自動的に退校となり、重治の将来は閉ざされる。藤作は重治の「炊事兼監督」のために鈴子を金沢に送った。
この金沢の生活で、鈴子は村の家のなかに囚えられていだ自我の解放の時をむかえる。
鈴子ははじめて歌を知った。兄のまわりには歌があり、友があり、恋があり、青春があることを知った。
4月8日
・中原中也(3月、山口中学を落第し退学)、京都の立命館中学校に補欠合格し第3学年に編入。
中也は、京都市上京区岡崎西福ノ川沢田方に下宿(吉田神社と平安神官の中間にあり、広小路学舎(京都市上京区清和院口寺町東)へ通った。
9月、京都市上京区聖護院西町藤本大有方へ転居。
11月、京都市丸太町中筋菊ヤ方へ移る。
4月9日
・アフガニスタン、憲法発布
4月10日
・天津商会、商民10万余で天津商業界大デモ。同時に直隷省公署に請願書を宛て、省長に「この存亡に関わる事態に、輿情に目を向け、大総統及び国務院・外交部に旅大回収・二十一個条無効宣言するよう働きかけて貰いたい」と要請。請願書を受け取った当時の直隷省長王承斌が即座に「これは中国の存亡に関わる問題であり、中国人ならだれでも立向かわなければならぬ。国権国土の回復、子孫後世の幸福にも繋がる大問題である。旅大の回収に対する気持ちは諸君よりもなお一層強く、皆さんの行動に極めて同情しており、速やかに政府に打電するつもりである」と返答。
この月初めより、天津商会は商会直属の各同業会に日貨排斥の具体的方法を考えるよう督促していた。この督促により、海貨同業公会、祥号公会、綿糸綿布商同業公会などが相次いで日貨排斥の方法を決め、日貨排斥に対する確固たる態度を明確に示した。9日までに、「自覚的に(排斥方法)を報告してきたのは二十余行有り、国民の熱意そのものが感ぜられた」とのことで、同日に天津商会がこれらの方法を取り纏めて天津各業商に通告した。
具体的な排斥方法は、①日貨扱いのある各行商は在庫の日貨を棚卸し、その数量を本業公会と本会に報告、②新たに契約・購入することを禁ずる、③上記①の商品を忠実に申告すれば、その販売は許可する、④販売時にその販売証明を公会に提出し、闇販売を防止する。
4月10日
・競馬法が公布
4月10日
・樺太鉄道(株)設立(東京)。1927年11月20日、落合・知取間開業。
4月10日
・与謝野晶子(45)、評論集「愛の創作」刊行(アルス)。第11評論集。
つづく
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