2023年7月16日日曜日

〈100年前の世界003〉大正12(1923)年1月 中国国民党改進委員会「改進宣言」発表 パリ賠償会議、フランスの反対でモラトリアム計画失敗 レーニン(53)遺書の補遣 

 

レーニン 1920年5月

〈100年前の世界002〉大正12(1923)年1月 『主婦之友』発禁(風俗攪乱) 『赤と黒』創刊 長与善郎「青銅の基督」 青野季吉「階級闘争と芸術運動」(「種蒔く人」) 小林多喜二(20、小樽高商在学)「健」(「新興文学」当選入選) より続く

大正12(1923)年

1月

■永井荷風『断腸亭日乗』(大正12年1月、荷風45歳)

正月二日。烈風暁に及ぶ。午に近く起出で顔を洗はむとするに、水道の水凍りゐたり。・・・

正月五日。水道の水今朝は凍らず。雑誌女性の草稿をつくりし後、四谷の妓家に往きお房と飲む。

正月八日。臺灣喫茶店女給仕人百合子といへるもの、浅草公園に往きたしと言ひければ哺時公園に赴き、活動写真館帝國館に入り、仲店にて食事をなし、安来節を看、広小路のアメリカンに憩ひタキシ自働車にて四谷愛住町なる女の家まで送り、麻布に歸る。方に夜半三更なり。・・・。

正月十日。・・・。寒風凛洌。厨房の水昼の中より凍りたり。

正月十二日。・・・。南風吹つゞきて心地悪しきほどの暖気なり。市中雪解にて泥濘歩むべからず。

正月十七日。厨房の水道鐵管氷結のため破裂す。電話にて水道工事課へ修繕をたのみしに、市中水道の破裂多く人夫間に合はず両三日は如何ともなし難しとの事なり。

正月二十日。午後雪を催せしが夜に至り風吹起りて晴る。宵の中より水悉く凍る。病床讀書。

正月廿一日。風南に轉じ寒稍寛なり。・・・。夜清元秀梅来る。

(*註 清元師匠「秀梅」さんがこの頃のメインの女性。

但しあくまで「メイン」。違う女性の名前がアチコチに散見)

正月廿四日。微雨雪となりしが須臾にして歇む。

正月廿六日。・・・。秀梅来る。

・ソ連、初頭、政治局会議。第12回大会にはレーニンの出席が不可能なため、スターリンはトロツキーに政治報告を行うよう提案。カリーニン、ルイコフ支持。トロツキーは、病気のレーニンに取って代わる企てに見えるため、各自が担当分を報告することを提案。ジノヴィエフが休暇から戻り、自分が政治報告をすることを要求。スターリン同意。トロツキー反対せず。

・メキシコ、「国王キリスト」の反政府運動起る。

・ヘミングウェイ(24)、詩6編「さすらい」(シカゴの詩誌「ポエトリー」1月号)。

・ドイツ政府、フランス・ベルギーによるルール地方占領中、仕事のない労働者への支払いと雇用者への補償のために紙幣を過剰に増刷。マルクのインフレ化を促進。

1月1日

・国民党改進委員会、「改進宣言」発表。政綱には普通選挙の実施、労働者・農民の保護がうたわれる。

しかし、実際には国民党は旧態依然のままであった。これらの内容を新しく規定し直し、国民党との苦しい折衝により国共合作を実現させたのは、ソビエトから国民党顧問として派遣されてくるボロディンであった。

1月1日

・広東省海豊、最初の農民協会(県総農会)、設立。

1月1日

・中国との間で膠済鉄道国庫証券借款4千万円成立。

1月1日

・日華郵便約定実施。

1月1日

・~7日、与謝野晶子(45)、寛、伊上凡骨、高木藤太郎と共に伊豆(天城山、奥伊豆の湯ケ野、谷津、蓮台寺、修善寺、長岡、三洋ケ浜、沼津など)旅行。

1月1日

・有島武郎、唐沢秀子(女優)から詰問調の手紙を受け取る。秀子は、「エゴイストだ、堕地獄だ、それは本当だ」と武郎を責める。

2月、武郎と波多野秋子との恋愛感情が決定的となり、3月4日に秀子は武郎との最後の宴を設ける。

しかし、3月17日、武郎はいまならば引き返すことが出来ると確信して、秋子に交際を絶つ手紙を届ける。"

1月1日

・インド、スワラジ党が結成。

1月1日

・オランダ領インドネシアでバタビア人協会、設立される。

1月2日

パリ賠償会議開催。~4日。イギリスの賠償支払い猶予(モラトリアム計画)提案、フランスの反対で失敗。

9日、賠償委員会、ドイツ側が石炭引き渡しを不履行と宣言。イギリス・フランス・イタリア決裂

1月2日

・ドイツ、ゲッペルス、ドレスデナー銀行ケルン支店勤務。9月、解雇。

1月2日

・マルク急落

1月2日

・オーストリア国立銀行開業。

1月2日

・アメリカ、石井ランシング協定廃棄を正式希望。

1月2日

・ビルマ、行政法により総監補佐の内閣が導入され、立法評議会と合わせて両頭制となりインド統治法がビルマにも適用される。

1月3日

・チェコスロバキア、作家ハシェク(39)、没(1883年4月24日生)。

1月4日

・紛争中の岡山県藤田農場(小作439戸、1,287町歩)争議で小作争議史初の立入禁止仮処分。小作側、脱穀強行し50人が検束。5月3日、組合側惨敗で解決。

1月4日

・ソ連、レーニン(53)、遺書の補遣

①②ジノヴィエフとカーメネフ、1917年の両者の降伏は彼らの本質に根ざしたもの。彼らに革命の指導はできない。しかし、過去のことで彼らを非難してはならない。

③ブハーリンはマルクス主義者でなくスコラ学者。ただし、周囲から巷間を持たれている。

④ピャタコフは有能な行政官だが政治家ではない。ブハーリン、ピャタコフはまだ勉強中。

⑤トロツキーは最も優秀だが欠点は自信過剰。

⑥スターリンは粗暴で、不誠実で、権力乱用の傾向がある。分裂を避けるためには、スターリンを解任する必要がある。

前年(1922年)12月16日朝、レーニンは非常に激しい発作を襲われ、面会は禁止になった。病状確認・監視人にスターリンが選ばれた。ここから、情報を入手し、意見を出し、適当な人々に伝えるためのレーニンの困憊した闘争が始まる。

12月22日、前日にクルプスカヤがレーニンの口述で書簡を書いたことを通報者から知ったスターリンは、彼女に電話をかけ、彼女に「下劣な罵言と脅迫」(クルプスカヤ)を言ったという。彼は医師の命令に従わせなかったという理由で、党中央統制委員会に彼女を処分させると脅かした。書簡はトロツキーに宛てられ、外国貿易独占についての中央委員会の討議で勝利したことを祝うものであった。

レーニンは、12月23日に起こった激しい発作のあと、翌朝、右手と右足が麻痺していることを知った。彼は、毎日5分ずつ口述の許可を求めた。医師たちは止めたが、レーニンは一切を拒否し、「遺書」はこのようにして、12月23日~31日と、1月4日の補遺とからなった。

12月23日の覚書は、政治局員の回覧に供するため直ちにスターリンに送付された。おそらく、スターリンはそれを誰にも見せなかったと思われる。それに続く他の覚書は、レーニンの指示によって「絶対的な秘密」にされ、しばらくは誰にも伝達されなかった。レーニンが危惧した党の分裂は、権力の頂点にいる人的関係にあった。彼が、「近い将来」の脅威として描いた分裂は、中央委員会メンバー間のものであり、スターリンとトロツキーの関係は、「その分裂の危険の大半」であった。それから6人の指導者(スターリン、トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン、ピヤタコフ)の肖像を描き出していた。

レーニンからにみたスターリンとトロツキーの肖像は次の通り。

「同志スターリンは、書記長になってからは無限の権力を手中に集めた。私は、彼が常にその権力を充分な注意をもって行使できるかどうかについては確信がない。他方、同志トロツキーは、通信人民委員の問題をめぐる彼の中央委員会に対する闘争がすでに立証したように、傑出した能力によって群を抜いているだけではない。彼は個人としては、おそらく現在の中央委員会の中でもっとも有能な人であろう。しかし、彼は、あまりにも大きい自信を誇示し、仕事の純粋に行政的な側面に過度の関心を示してきた」。

1923年1月4日、レーニンは、「遺書」に最後の部分を加えたが、それは初めの部分の均衡をまったく覆し、スターリンから書記長としての権力を剥奪することを提案した。

「スターリンはあまりに粗暴である。この欠陥は、われわれだけの中では、またわれわれの中で党員を扱うには充分耐えていけるが、書記長にあっては耐えがたいものになる。それが、私が、同志諸君がスターリンをその地位から取り除く方法について考え、彼に代えてあらゆる点で同志スターリンよりも優れた別の人、つまり彼よりも寛容で、忠誠で、鄭重で、同志にたいして配慮に厚く、気紛れでない別の人を任命することを提案する理由である。」

これは、12月23日のクルプスカヤにたいするスターリンの無礼な取り扱いが原因になったと考えられるが、レーニンが怒りに任せて中央委員会内部のバランスを崩すような政治的行動に出るとは考え難いという側面もある。

M.レヴィンは、12月30,31日に口述された民族問題と自治化に関する覚書にその解があると指摘する。

民族問題に関する考察は、自己批判から始まる。レーニンは彼の政権が、少数民族を守るために充分手を尽くしてこなかった、党の指導者は国際主義的な精神で、民族問題を解決するに当たって、自らを導くべき第一の原則すらわきまえていなかったという。スターリンは、乱暴なまでに性急で、いわゆる「社会民族主義者」に対する怒りに身を任せたと非難。レーニンはオルジョニキーゼとスターリンを、大ロシア的な弱いものいじめをもたらした、プロレタリア国際主義の原則を破った、そして、帝国主義的な態度に陥ったと非難。彼は、オルジョニキーゼに対する「みせしめ的な懲罰」を要求し、スターリンとジェルジンスキーにも公的な非難を行うよう要求。


つづく

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