2023年7月22日土曜日

〈100年前の世界009〉大正12(1923)年2月7日~20日 三悪法(過激社会運動取締法案・労働組合取締法案・小作争議調停法案)反対示威運動 全国普選記者大会 日農第2回大会   

 

賀川豊彦

〈100年前の世界008〉大正12(1923)年2月1日~6日 京漢鉄道総工会ストライキ 弾圧(二・七惨案、二・七事件) 後藤・ヨッフェ会談 共産党第2回秘密大会(千葉県市川町) 「赤化防止団」の一員、後藤新平邸内に乱入、家財・窓ガラスを破壊 記者同盟の普選演説会(神田青年会館) より続く

大正12(1923)年

2月7日

・朝鮮総督府爆破陰謀の理由で,義烈団団員金始顕ら14人逮捕

2月7日

・中米5ヶ国、軍備制限条約調印。

2月8日

・内相水野錬太郎、衆議院本会議で過激法案提出の意志なしと明言。院内外の反対運動強く、普選運動との連携も危惧。

2月9日

・北京の学生、京漢鉄道ストライキ支援デモを実施。

2月11日

・三悪法(過激社会運動取締法案・労働組合取締法案・小作争議調停法案)反対示威運動(メーデーを除いては初めての全国無産団体の統一行動日)。

東京・千葉・大阪・名古屋・京都・八幡・長野県飯田。政府は小作争議調停法案のみ上程するが、審議未了に終わる。

〈東京〉

2つの集会・デモ。全国同盟1200人は芝浦埋立地に集会、半数が深川公園まで行進。内2割近い106名が検挙。機械連合は、全国同盟の倍の組合員を動員、本所被服廠跡~亀戸天神をデモ。総同盟の最大拠点大阪では、約4千名と全国一の動員を誇り、東京では参加しなかった官業労働総同盟系組合が参加し、朝鮮労働者同盟会が東京の10倍の300人を参加させる。他に、京都(500人)、名古屋(2千人)、長野県飯田(2千人)、福岡の八幡(600人)の各地でもデモ。

〈名古屋〉

この日、東海普選断行連盟主催大演説会。名護屋労働同盟(総同盟系)、普選断行三悪法案反対の集会・デモを行ないこれに参加。一方、右寄りの荒谷宗治率いる中部労働組合連合会も同様デモを行い演説会に合流。

18日の連盟主催普選要求デモには、名古屋向上会を加え、在名すべての労働組合が参加。

この過激法反対・普選要求の組合の統一行動は、5月26日、官業組合を除く一切の組合の連合体として新しい中部労働組合連合会を成立させる。

下伊那地方飯田町〉

在郷軍人会の妨害を排除して、自由青年連盟・郡青年会・天竜労働団(伊那谷一帯の大工・左官・桶職など職人の組合)・飯田在住新聞記者団・飯田印刷工組合・南信壮年団(憲政会系)共催により、「過激法案を葬れ」「普通選挙即時実施」ののぼりを立て、長野県最初のデモ。2千のデモと4千の集会。演説会場では、総同盟赤松克麿が過激法案反対、憲政会院外団高橋秀臣が普選要求の演説。しかし、このデモの為に、いくつかの村青年団が郡青年団を脱退するという事態もおこる。自由青年連盟は、政治的自由の擁護・拡大が無産階級当面の任務であるとの認識に基き、悪法反対を統一スローガンに加える条件で、普選をスローガンとすることに賛成。悪法反対決議文、「民衆の運動と思想の自由を現在以上限定し、拘束せんとするが如き法律の制定及び現法規にも極力反対する。我々は全国の兄弟に檄し、団結のカをもって常に為政者を監視し、あくまで大多数の民衆の自由を擁護する」。東京の組合同盟の決議文「労働組合運動を圧迫せんとする資本家及び議会に対し極力反抗する」と比較する時、後者がアナ系組合を戦列に加える為の手段でもある事を考慮しても尚、思想的・戦術的に低いレベルと云える。

1921年2月、全国に先駆けて官製青年団の自主化を遂行した長野県下伊那郡青年会に属する羽生三七ら急進的青年は、22年3月山川均と接触し、十数人で下伊那文化会を結成。9月、方向転換論の実践として自由青年連盟(約100人)を組織、一方で、郡青年会の後援を得て猪俣津南堆(早大講師)・鈴木茂三郎(「東京日日新聞記者」)の両共産党員を招き「社会問題講習会」を開催するなど啓蒙活動を展開し、他方で、発電事業を独占する伊那電気会社に対抗して村営電気建設運動をおこした上郷村民や、また公書をひきおこす製紙会社建設に反対する松川流域3ヶ村の運動を応援するなど、地域民衆の生活擁護運動に献身し、影響力を強める。

2月12日

・衆議院、陸軍軍縮決議案否決。

2月13日

・大杉栄、マルセイユ着。

「僕はマダム(N)といっしょにマルセイユに上陸して、或るホテルに着いた」

「其の翌日マダムと別れて、リヨンに行った」「そこには僕の仮りの国籍の同志が数名いて、僕はそれらの人達にあてた上海の同志からの紹介状を持っていたのだ。そしてヨーロッパにいる間其の国籍の人間として通って行くには、まずその同志のいろんな厄介にならなければならなかったのだ」

2月16日

・与謝野鉄幹五十年誕辰(たんしん)祝賀晩餐会。帝国ホテル。秋声、荷風、信綱、虚子、野口米次郎、岩波茂雄、有島武郎ら150人出席。

2月16日

・台湾議会期成同盟会設立(東京)。

2月22日、蔡培火ら、台湾議会設置請願書を議会に提出。

12月16日、蒋渭水、蔡培火ら首謀者検挙。

2月16日

・平林初之輔「玩具の洋刀の『挑戦』 福士幸次郎氏に答へる」(『讀賣新聞』)

2月16日

・連合国大使会議、ポーランドへの保障を条件としてリトアニアにメーメル統治権を与えることを認める。

2月20日

・全国普選記者大会。全国より400余名の記者たちが参集。

「吾人は普選実行の目的を達するため凡ゆる立憲的手段を執るべし」との決議を採択。この前後には、西日本新聞記者大会(大阪)、東海普選連盟大会(名古屋)、普選即行神戸民衆大会、北陸三県新聞記者大会(金沢)などが開かれるなど、地方の動きも活発になっていった。

2月20日

・神戸、日農第2回大会。300支部1万人に成長。闘争性強まる。

①組織では、これ迄の個人加盟を止め、組合支部を単位とし、関東同盟に倣い関西同盟を置いて闘争体制を整える。

②耕作者本位の小作法秦を作りその実現の為に連動するとし、土地問題解決を重視する方針をとる。

③各種弾圧法令への反対運動を決議するなど、労働者と共通の要求を取上げる。

④普選運動は、「地方自治機関については徹底的に普選の実現を期し、国会の普選運動は各支部の任意にまかす」とする。

22日の普選議論。

普選促進に努めようとする本部提案に対し、先に日農関東同盟大会で普選運動反対を決議した関東派は、組合運動のカを削ぎ、ブルジョワジーの傀儡となる恐れありと反対。多数を占める関西派は、普選により組合の堅実な発達ができるなど、「世間の普選論者がやるやうに、いろいろと普選の効能書きを述べ立て」、果てには普選反対派は政友会の回し者だと罵倒。

結局、賀川豊彦が、「地方自治機関に対しては徹底的に普選の実現を期し、国会に対する普選促進運動は各支部の任意に任す」との調停案を提出、満場一致でこれを可決。根強い普選熟は共産党負には、農民の「思想的自覚の不充分と保守的色彩」の発露として受けとられ、佐野学らの普選大害論に根拠を与え、他方、だからこそこのまま農民の普選熟を放置できぬという危機感を若手の活動家たちに与え、議会進出派を強めることになる。

日農関東同盟会の活動家早稲田大学建設者同盟浅沼稲次郎・稲村隆一は、普選運動参加を不可としながらも、棄権運動=議会ボイコットは、大衆をブルジョワジーに惑わされ利用されるままに放置することになるから、農民・サラリーマンを味方に引き付ける為にも合法政党を作り、議会に進出し、革命的議会行動をとれと主張。

2月20日

・東京駅前に丸の内ビルディングが竣工。


つづく

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