2013年5月1日水曜日

憲法改正条項の改正論 心許ない政治家の技量 「自民党などが現在提起している改正条項の改正案の妥当性には疑問を抱く」

毎日JP
時代の風:憲法改正条項の改正論=京都大教授・中西寛
毎日新聞 2013年04月28日 東京朝刊

 ◇心許ない政治家の技量−−中西寛(ひろし)

 安倍晋三首相は最近、きたる参院選で憲法改正、なかんずく憲法改正に関する手続きを定めた96条の改正を争点にする意向を示している。自民党は改憲を党是としてきたのだから、改憲を掲げて選挙を戦うのはある意味で潔い。しかし憲法改正は具体的な条項の改正を巡って行われるのが本筋で、改正条項という技術的規定についての改正を提起するのは、国民にとって判断が難しい世界的にも憲法改正条項だけの改正というのは恐らく例がないだろう。

 言うまでもなく、護憲か改憲かというのは戦後日本政治の最大の争点である。もちろんその中心には、憲法9条をめぐる対立があった。私自身は、憲法9条に関する限り改憲論である。憲法9条、特にその第2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という条項は、敗戦直後の日本が長期的に非武装状態に置かれることを前提として制定されたものであった。しかし冷戦のために状況が変化して再軍備が実現した以上、サンフランシスコ講和条約で独立した時か国連に加入した時に本来は改正されるべきだったのである。しかし国内政治の分裂状況の中でそれは実現せず、政府は解釈をもって自衛隊を合憲としてきたのが現実だが、そもそもから言えば9条、特にその第2項は改正されて然(しか)るべきだと考える

 従って、護憲派か改憲派かと言えば私は改憲派ということになろう。しかし護憲、改憲のレッテル貼りには意味がないと思う。憲法を変える、変えないは目的ではなく手段である。変えることで良くなるなら変えればよいし、変えることで悪くなるなら変えるべきではない。私は、近年の「ねじれ国会」で明らかになった衆参両院の権限関係の曖昧さや、地方自治に関する規定の不足も現憲法の弱点であり、改正に値すると考えている。

 しかし自民党などが現在提起している改正条項の改正案の妥当性には疑問を抱く。憲法96条では衆参両院の総議員数の3分の2以上の賛成で改正を発議し、国民投票ないし国政選挙の際の投票での承認を要するとなっている。各院議員の3分の2という発議要件を過半数に改めようというのが改正案である。しかしこれでは現状から考えて改正が容易になりすぎるのではないだろうか。両院の過半数というなら、出席議員の過半数で採決される通常の法律の採決にかなり近づく。国民投票の要件はあるが、一度も憲法改正が行われたことのない現状で考えると国民投票は大事のように思えるが、憲法改正の発議が繰り返されると改正支持者以外の投票率が低下してしまうことも予想される。そうなると憲法改正がほとんど普通の法律なみの容易さで実現することになる

 国会の過半数で憲法を変えるということが絶対的に悪いわけではない。憲法を法律とさして変わらない扱いにすることもあり得るし、イギリスのように特定の憲法典をもたない国もある。しかしそのためには国民の意識と立法者たる政治家の法律を扱う技術が伴っていなければならない。国民の憲法に対する意識は今のところ、普通の法律に対してと大きく異なっていることは明らかであろう。

 それ以上に懸念をもつのは政治家が憲法を含めた法律を取り扱う能力である。侮辱するなと叱られそうだが、よい例が中選挙区から小選挙区比例代表並立制への選挙制度の移行である。中選挙区制の時代を知る世代の議員で、小選挙区制への移行がよかったという声は圧倒的に少ない。それではどうして賛成したのかと問うと、要するに「雰囲気」に流されたということのようである。その時と今と比べて、制度や法律に関する見識で今の政治家は格段の進歩を遂げたと自信のある政治家は果たしているだろうか。

 もちろん経験から学ぶことは大事である。しかしそれなら、違憲判決の出た1票の平等をめぐる選挙区割りの是正問題や、「ねじれ国会」で問題となった憲法上規定のない参院の問責決議や予算関連法案の取り扱いといった格好の練習問題がある。この程度の問題について議論を尽くして解決できないようでは、憲法改正を云々(うんぬん)するのは心許(こころもと)ない。後になって「あの時は雰囲気で憲法を変えました」と言われては国民も立つ瀬がないだろう。=毎週日曜日に掲載

「今回の件で誰が味方か敵か、よくわかったのは収穫」(猪瀬直樹) 「敵への報復を匂わせる牽制の雰囲気」(小田嶋隆)






確かに、ヤ○ザの捨てゼリフの匂いがする。

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菅官房長官、主権回復記念式典の「陛下万歳」は自然発生 「尾を引く違和感」(沖縄タイムス) 「戦争国家に向けて最初のくいを打ち込んだ」の意見も

WSJ
2013年 4月 30日 13:00 JST 更新

 菅義偉官房長官は30日午前の記者会見で、政府主催の主権回復記念式典の際、天皇、皇后両陛下に対し参加者が「天皇陛下万歳」と唱和したことについて、「政府の式典(の予定)にはなかったことで、全く予想していなかった。自然発生的であり、政府として論評すべきではない」と述べ、式典とは無関係との認識を示した。

 万歳の唱和は両陛下の退席時に起こり、安倍晋三首相、麻生太郎副総理らも加わった。 

[時事通信社]


沖縄タイムス
4・28式典:「陛下万歳」尾を引く違和感
2013年5月1日 10時00分 (5時間7分前に更新)

「主権回復の日」政府式典であった「天皇陛下万歳」の三唱は、県民に強い違和感を残した。出席した高良倉吉副知事は「式典の趣旨がぶち壊しになった」と不快感を隠さない。一方、政府配信の動画は「天皇陛下」の音が消え、一部「なかったこと」になっている。

28日、会場に用意された高良副知事の席は、他府県の知事を差し置いて筆頭の位置だった。次に小笠原諸島がある東京都の猪瀬直樹知事、その次に奄美群島を含む鹿児島県の伊藤祐一郎知事。高良副知事は「政府は相当に配慮していた。式典自体も厳粛でいい雰囲気だった」と振り返る。

最後の万歳は、唱和しなかった。「なぜそうなるのか理解できない。アジアや沖縄への戦争責任に向き合えない、柔軟性を欠く日本社会を表している」

沖縄国際大学の石原昌家名誉教授も、テレビで見て衝撃を受けた。「4・28は沖縄戦の結果を反映したもの。式典での『天皇陛下万歳』に、体験者や遺族は脳天を殴られた気持ちだったのではないか」と語る。

「為政者は既成事実の積み重ねのパワーを熟知している。安倍晋三首相は自ら天皇・皇后の前で万歳し、戦争国家に向けて最初のくいを打ち込んだ」

菅義偉官房長官は30日、首相らの唱和について「自然発生的であり、政府として論評すべきではない」と深入りを避けた。

式典の模様を伝える「政府インターネットテレビ」。出席者の1人による「天皇陛下、万歳」の声は聞こえず、それに続く「万歳」の唱和から音が戻る。

内閣府は「式典が終了したので、運営業者が会場のマイクのスイッチを切り、万歳に気付いて入れ直した。意図的な編集ではない」と説明する。ただ、テレビのニュースでは三唱の声が流れており、なぜ政府のカメラだけが音を拾えなかったのか、疑問も残る。(阿部岳)




横浜 ヘボン博士邸跡 フランス領事官邸跡 愛の母子像 港の見える丘公園

4月29日の横浜散歩の続き

▼ヘボン博士邸跡
合同庁舎前にある


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▼緑濃いフランス山へ

▼フランス領事官邸跡


▼地下水を汲み上げる風車の再現

▼愛の母子像
決して忘れてはいけない事故の記憶
横浜米軍機墜落事件(Wiki)

ぐずぐず言って「説明文」設置を引き延ばしたのは、当時の横浜市長、大赤字の事業を途中で投げ出して、今や維新の国会議員となった中田某。
「愛の母子像」にやっと碑文設置




▼林の中を通り抜けて・・・

▼そして、港の見える丘公園
山下公園方面を見たところ

最近、一部の大学教員のグループが、TPP参加に反対する要望書を出したという記事を見た。・・・その多くはマルクス経済学者の方々だった。(伊藤元重)

(略)
 最近、一部の大学教員のグループが、TPP参加に反対する要望書を出したという記事を見た。どのような経済学者が参加しているのかと思ったが、その多くはマルクス経済学者の方々だった。
(略)

ダイヤモンドオンライン
日本がTPPに参加すると、本当に“米国の思うまま”にされてしまうのか?
伊藤元重 [東京大学大学院経済学研究科教授、総合研究開発機構(NIRA)理事長]
より

何だか悲しい言いっぷりである



大阪維新の会の木下誠・大阪市議、市議団から政調費約200万円の返還請求受ける ⇒ 返還 「海外視察を計画していた」と釈明

MSN
維新市議、市議団から政調費約200万円の返還請求受ける
2013.5.1 07:00 [west政治]

大阪維新の会市議団「領収書の提出ない…不備ある」

 大阪維新の会の木下誠・大阪市議(46)=生野区=が平成24年度の政務調査費のうち約200万円について、領収書の提出がないなど支出に不備があるとして、維新市議団から返還を求められていることが30日、複数の維新関係者への取材で分かった。木下氏は5月1日に返還する意向を示しているとされるが、市議団は支出内容などを詳しく調査する方針。

 市議33人が所属する維新市議団には、毎月、市から政務調査費約1700万円が交付され、市議団がその中から議員1人あたりに約50万円を配分。さらに交付が必要な議員は市議団に申請し、交付を受けている。

 維新関係者によると、木下氏は政務調査費の口座を管理する市議団の事務スタッフに対し、「議員活動に使う」として交付を頼んでいた。この際、木下氏は、政務調査費の管理責任者の市議団幹部にも申告していなかったとされる。

 維新市議団を含む各会派は24年度の政務調査費について領収書を添付した収支報告書を市に提出した上で、5月1日に使わなかった残額を返還する。維新関係者によると、維新市議団が返還に向けて準備中、木下氏が受け取った政務調査費のうち約200万円について、支出目的を裏付ける領収書がないなど不備があることが分かった。

 政務調査費は調査研究活動の経費として地方自治体が議会の議員や会派に支出。具体的な使途は各自治体の規則などで定められ、資料の購入費、事務所の管理費、会議の参加費などが多い。3月1日施行の改正地方自治法で名称が「政務活動費」に変更され、選挙や私的な支出などを除き幅広く使えるようになった。


YAHOOニュース
維新・木下誠氏、政調費200万円返還 「海外視察計画してた」と釈明
産経新聞 5月1日(水)15時0分配信

 平成24年度の政務調査費の一部について領収書の提出がないなど不備があったとされる大阪維新の会の木下誠・大阪市議(46)=生野区=が1日、市役所内で記者団の取材に応じ、約200万円を市議団に返還したことを明らかにした。「海外の視察などを考え、準備のためにお金が必要だった。取りやめになり、口座に入れたまま使わなかった」と釈明した。

 木下氏の説明によると、昨年秋、市政に関する調査を目的に、市議団10人ほどでシンガポールやベトナムへの視察をしようと独断で計画していた。視察を計画していることは市議団幹部には報告しておらず、ほかの市議にも「はっきり行こうと声をかけていなかった」としている。

 旅行会社へ支払う前払い金が必要となったとして、政務調査費の交付を事務局に求めたといい、視察目的は「水ビジネスの調査」としている。

 木下氏は「次からは誤解を招かないようきちんと企画書を出す」と述べた。

最終更新:5月1日(水)15時16分


MSN
明言避けた末に「旅行会社に前渡し金が必要でしょ」 木下氏ら一問一答

政調会長への事前説明「必要ないと思っていた」 木下氏ら一問一答







オスプレイ12機を普天間基地に追加配備 沖縄県民の懸念は全く無視 「県民の我慢の限界を超えている」(稲嶺名護市長)

NHK
オスプレイ追加配備 宜野湾市に伝える
4月30日 19時26分

アメリカ軍の新型輸送機「オスプレイ」の沖縄県の普天間基地への追加配備について、防衛省沖縄防衛局の担当者が、30日、普天間基地を抱える宜野湾市を訪れ、配備を正式に伝えるとともに理解を求めました。

アメリカ軍の新型輸送機「オスプレイ」は、去年10月、沖縄県の普天間基地に12機配備されたのに続き、この夏、新たに12機が追加配備される計画で、アメリカ軍は30日、防衛省に通知しました。

これを受けて、防衛省沖縄防衛局の担当者が、30日午後、普天間基地を抱える宜野湾市を訪れ、通知の内容を説明しました。

宜野湾市の担当者は、「市民からもオスプレイへの懸念の声が上がっており、安全性が担保されていないままの追加配備には反対だ」と述べ、配備計画を撤回するよう求めました。

また、宜野湾市の佐喜真淳市長は、「反対してきたにもかかわらず、追加配備の通知を受けたことは残念でならない。今の12機でも基地負担が加重になっているのに、さらに12機配備されれば市民の不安は増える。普天間基地の危険性の除去が返還の原点なのに、遺憾だ」と述べ、配備は受け入れられないという考えを示しました。沖縄防衛局の担当者は、沖縄県も訪ね、基地問題を担当する親川達男基地防災統括監に説明しました。親川統括監は、「すでに配備されているオスプレイの、運用や安全性についての質問に対する防衛省からの回答も不十分なままであり、追加配備は認められない」と、沖縄県として、配備の見直しを求めていく考えを示したということです。

オスプレイを巡っては、ことし1月、沖縄県内の41すべての市町村が、政府に配備の撤回を求めていて、県内で今後追加配備への反発が強まるものとみられます。

沖縄県の仲井真知事は、「これまでに配備された12機について、安全性への県民の不安は払拭(ふっしょく)されていないうえ、日米で合意された運用のルールも守られていない。こうしたなかで、ほかの12機の配備をOKするという状況ではなく、とてもとても受け入れられることではない」と述べ、政府に見直しを求めていく考えを示しました。


日経新聞
オスプレイ追加配備の見直し要求 沖縄県知事 
2013/5/1 0:02

 沖縄県の仲井真弘多知事は30日、オスプレイの安全性への不安は解消されていないとして、追加配備を見直すべきだとの考えを示した。地方公聴会のため同県を訪れた参院予算委員会メンバーとの会談で伝えた。

 その後、記者団にこれまで普天間基地(宜野湾市)に配備された12機の不安が払拭されていないと強調。さらに12機を追加することは「オーケーだととても言えない」と述べた。

 名護市の稲嶺進市長も那覇市で記者団に「県民の我慢の限界を超えている」と指摘、追加配備を批判した。〔共同〕







牧野和春『桜伝奇』を読む(4) 第2章 根尾谷淡墨桜(ねおだにうすずみざくら 岐阜県本巣郡) (その1)

桜伝奇 日本人の心と桜の老巨木めぐり 牧野和春
第2章 根尾谷淡墨桜(ねおだにうすずみざくら 岐阜県本巣郡) (その1)
1 齢一千年を越えてなお

継体天皇お手植えの伝承
・・・
この桜は岐阜県根尾谷にある樹齢一千数百年ともいわれる老木で、昔から継体天皇お手植えの伝承のある、近在に知られた名木である。
この桜が全国的に知られるようになったのは昭和五〇年代後半からであろう。

再生の努力の積み重ね
・・・昭和二三年(一九四八)頃のこと。
文部省(当時)から調査のため現地にきた専門家も三年以内に枯れるだろう、といったという。
桜を惜しむ人々の声は急にひろがった。
当時、老木の回生について名手といわれていた人がいた。岐阜市で歯科を開業する前田利行医師である。
氏は人々の願いをかなえようと回生の手立てを考えた。
根元を掘り返してみたところ驚いたことに大きな根は殆ど枯死している。しかもシロアリの巣になっていた。そこで、最初に着手したことは枯れた根を切り、同時に無数のシロアリを徹底駆除することであった。
その結果を待って、残った健康と思われる根に、若いヤマザクラの根を根継ぎしてやったのである。土壌は新しいのに入れ替え、もちろん肥料も施した。
この作業が翌、昭和二四年三月十日から四月五日まで続けられた。根継ぎの数、なんと二三八本。

こうして淡墨桜は奇跡的に活力をとりもどしたのである。

ところが、次に昭和三四年(一九五九)、まだ記憶に残る人も多い伊勢湾台風にやられた。この風害のため樹勢はおとろえる。
しかし、植物というものは動物以上に一見、もう駄目かと思うくらい弱っていても、残る微小の生命力を支えにゆっくりと回復してみせる離れ業もやってみせるのである。
この老樹も、地元の人々が見守るなか約十年かけて昭和四四年(一九六九)頃、不思議に回復したのであった。

美濃国の地理的・歴史的位置
・・・、「大化改新」(六四五)の偉業を成し遂げた天智天皇の最晩年、近江の郡より難を避けて吉野の奥に隠れ棲んだのが、のちの天武天皇、当時の大海人皇子であった。
しかも、大海人皇子は、天智天皇没後、大友皇子擁立の近江朝に追い詰められる形で、当時にあっての東国、美濃に脱出して挙兵。ついに近江を征服し、天武朝を確立したのであった。
つまり、壬申の乱の決定的行動は美濃に開始され、大海人皇子とともに決起した中心人物は村国連男依(むらくにのむらじおより)、身毛君広(むけのきみひろ)らで、右二人とも美濃出身の舎人、しかも動員された美濃の軍勢三千人である。

美濃は天下を狙う人間にとって、決定的な歴史的舞台を、このあと二回あたえた。
織田信長の活躍の舞台は美濃が中心であった。
関ケ原はいわずも「天下分け目」の戦いであった。

つまり、美濃国にしても、飛騨国にしても、隠れ棲むにまことふさわしい国であり、しかも、歴史をたどるとき、美濃の方は歴史転換の決定的場面におどりでてくるのである。
つまりは美濃がわが日本列島勢力図の東西を分つ地勢的接点となっているからであり、地勢的接点であるということはそのまま地質構造上の特質をも意味しているだろう。

2 継体天皇ゆかりの桜

伝承、それは民衆の情念の世界の投影
・・・
建前上、主役は、伝承の主人公であることにはなっているが、それはコインの「表」の話で、「裏」の話は、語られざる民衆の情念の世界の投影であることを意味しているだろう。
逆説的だが、そうであるからこそ、それは伝承という形で、人の胸のうちに共感として響き合い、歴史的時間をいまに生きのびてきているといえるのである。

ナゾ多きキーワード:「継体天皇」
かく解釈するとき、「継体天皇」をいかなるキイ・ワードに置くかは興味をそそられるところだ。

『日本書紀』(巻第十七)によれば、「継体天皇」は「男大迹天皇(をほどのすめらみこと)」とある。武烈天皇の後を受けて六世紀前半在位の第二六代天皇だ。
書紀の伝えるところでは、父は彦主人(ひこうし)王。
近江国高嶋郡三尾の別業(滋賀県高島郡安曇川町三尾里付近)に、三国坂戸井(福井県坂井郡三国町)から振媛(ふりひめ、垂仁天皇の七世孫)を妃として迎え、誕生したのが継体という。
彦主人王の死後、振媛は越前に戻り、継体を養育。
武烈が崩じて、その継嗣がなかったため、仲哀天皇五世孫、倭彦(やまとひこ)王(丹波国桑田郡にいた。現在の京都府北桑田郡京北町、美山町、亀岡市の一帯)を擁立せんとしたが王は怖れて逃げた。
そこで越前より継体が迎えられ、河内の樟葉(くすは)宮(大阪府枚方市楠葉)に即位した。

ところが、その後、継体は山背の筒城宮、弟国宮などを転々、なんと即位二〇年目(七年目の説あり)にやっと大和、磐余(いわれ)玉穂宮(奈良県桜井市池之内付近)に都したというのである。

朝鮮南部における政治情勢の急変(任那四県の百済への割譲など)、筑紫の磐井の乱などが起ったのも継体の時代だ。

継体天皇を応神五世孫とする伝承はかねてから疑わしいとされていたが、越前・近江を地盤とする地方豪族としての継体が、武烈崩後、大和政権の混乱を衝いて、実力により王位を継承したとみる見解もあることは知られているところ。
さらに安閑、宣化二帝、欽明帝の問題もからめて、いってみれば、わが国、歴代天皇のなかでも継体天皇は謎の人物の一人なのである。

越前国と継体天皇
そこで、越前であるが、日本海に面し、古くより大陸からの文化を直接に吸収してきた地方でもある。広くは「越国(こしのくに)」であり、大化改新以後、都に近い方から越前、越中、越後の三国に分けられた。越前では大化改新により今の武生市に国府が置かれた。

継体天皇の面影は越前国にないのであろうか。
福井市は福井県(越前、若狭両国)の県都であるが、その福井市中心部、足羽山(あすわやま)公園に福井平野を見降ろすようにして巨大な石像が立っている。”越の大王”即ち、継体天皇である。この足羽山、大小三〇余基の古墳群が昭和二九年に発掘されている。

世阿弥の「花筺」と越前国味真野
すると、世阿弥の能「花筺(はながたみ)」がすぐに思い浮かぶ。
「花筺」では、若き日の継体天皇は「大迹部皇子(おおあとべのおうじ)」と呼ばれ、越前国味真野に住んでおられた。そこへ武烈天皇、崩じられ、急に継体天皇としてあとを継がれることになり、あわただしく奈良の都へ出発される。
皇子には日頃、寵愛の照日(てるひ)の前がいたが、照日に別れを告げるいとまもない上洛であった。皇子は照日の前に、きっと都に迎えよう、との手紙と愛用の「花筺」を形見として贈り届けられた。

天皇は大和国玉穂(奈良県磯城(しき)郡安倍付近といわれるが不詳)にて宮造りに着手される。便りを待つ照日の前は片時も皇子のことが忘れられず悶々として月日を送るが、ついに皇子を慕うあまり奈良の都へのぼる。
折しも天皇の行列と行きあい、狂女と間違えられて官人達に退けられるが、天皇の命により、彼女は「花筺」を抱え狂おしく舞う。
そして、その「花筺」が証拠となって照日の前はめでたく宮中に上り、安閑天皇の母となられた、という物語で、世阿弥の狂女物として知られる。

さて、能にででてくる「味真野」であるが、現在の武生市東部地域を指す。
武生市は現在、人口約七万の小都市であるが、かつては越前国の国府が置かれた政治、文化の中心地であった。市の東方約七キロの味真野地区が「花筐」の舞台とされる。
同市池泉町には味真野神社があり、境内には「花筐」の記念碑が建っている。ついでながら武生は平安の昔、父、藤原為時とともに若かりし日の紫式部が滞在した土地でもある。

今立町琴弾山の「薄墨桜」と継体天皇
武生に隣接するのが今立郡今立町で、俗にいう丹南平野(武生、鯖江、今立一帯)の中心地である。「国中の要石」と呼ばれる場所もある。
その今立町にあるのが標高二百数十メートルの琴弾山(ことびきやま)を中心とする「花筐公園」である。
桜の名所でもあるが、その頂上近く、なんと樹齢六百年の「薄墨桜」(根尾は「淡墨桜」と書く)の巨木があって、昭和四五年、福井県の天然記念物に指定された。
正式には「栗田部の薄墨サクラ」と呼ぶ。樹高十八メートル、根元の周囲五・三メートル、目通りの周囲四メートルのしかも種類はエドヒガン。花はうすい紅色とされる。

伝承では、継体天皇がこの地におられたころ、いつもこの桜を愛され、都へ上られたとき、手紙にこの桜の枝をそえて愛妃照姫に贈られた。継体天皇が形見に残されたので、「カタミの桜」とも呼ぶようになった。
しかし、天皇が都へ上られて以来、寵愛が薄くなったので花の色はあせ、いつの頃からか「薄墨桜」と呼ぶようになったという。
ついでながら麓には安閑、宣化両天皇(継体天皇の御子)が産湯をつかったとされる「皇子が池」もある。

「大滝神社のゼンマイザクラ」
桜では大滝神社(同町大滝)山林内に「大滝神社のゼンマイザクラ」と呼ぶ巨木がもう一本ある。
根元の周囲八・一メートル、目通りの周囲四・六三メートル、樹高二三メートル、枝張りは東西十九メートル、南北二一メートルでかなりの巨木である。
ゼンマイのでる頃、この桜が咲くので「ゼンマイザクラ」と呼ぶようになった、といわれ、昭和三九年、福井県天然記念物に指定された。
しかし、こちらの方はヤマザクラであって、継体天皇ゆかりの伝承はない
たぶんヤマザクラの花と自然暦、農耕のサインとしての意味で、地元の人々に重宝されてきたのではあるまいか。

和紙の原料は楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)であるが、楮を原料とする越前奉書は、その風格と強靭なところから全国に有名であり、福井藩は延宝三年(一六七五)、奉書紙の他国への移出を厳禁したほどである。
その越前奉書の本場がここ今立町の、不老(おいず)、大滝、岩本、新在家、定友の旧五箇村である。・・・
*
*
(その2)につづく



九電、鹿児島・川内原発の再稼働を7月に申請へ

日経新聞
九電、鹿児島・川内原発の再稼働を7月に申請へ
2013/4/30 18:05

 九州電力の瓜生道明社長は30日の決算発表の席上で原子力発電所の再稼働について、「新安全基準が施行される(7月)時点で速やかに申請したい」と表明した。実際に再稼働までどの程度の時間がかかるかは判断できないとしながらも、「まずは川内原発(鹿児島県薩摩川内市)1、2号機を申請し、玄海原発(佐賀県玄海町)3、4号機も速やかに申請したい」と述べた。

参議院予算委員会・地方公聴会、自民党の山崎力議員、普天間基地を受け入れようという自治体はないので選択肢は辺野古しかないと主張。 沖縄だって反対していると沖縄側は反撥。

琉球朝日放送 2013年4月30日 18時36分
参議院予算委員会・地方公聴会

29日は4・28の日を巡る沖縄と本土との歴史認識の違いをお伝えしましたが、普天間基地の移設問題を巡っても、改めて大きな溝を感じさせる出来事がありました。

参議院予算委員会の地方公聴会が先ほどまで那覇市で開かれましたが、普天間基地の移設問題を巡り、自民党の山崎力参議院議員の発言に、公述人として出席した名護市長などから反発があがりました。

山崎力参議院議員は「どうすれば良いんですか?放射能の汚染がほとんど無いというがれきを受け入れて燃やそうという時に、それを拒否するために、焼却場の前にバリケードを張って入れさせない人たちのいる国民性になっているわけです。日本の自治体が普天間基地を受け入れられるか、ほとんど残念ながら受け入れられることはないだろうという。辺野古をやらないと、普天間にあの基地が残らざるを得ない」と発言し、これに対し名護市の稲嶺市長は「二者択一で語られる問題ではなく、真剣に考えたことがおありなんでしょうか」と話し、県商工会連合会の照屋義実会長は「沖縄県にとっては今のような先生の理屈でこたえられるものではないと思います。おりのようにたまった差別的なことへの反発だと思います」と話します。

参議院予算委員会の地方公聴会は地方の意見を聴取するため開かれたもので、6つの党から8人の国会議員が参加しました。

しかし東日本大震災のがれき問題を例に普天間基地を受け入れようという自治体はないだろうと持論を展開した山崎議員の言葉に、沖縄の参加者からは反発の声が上がっていました。