2011年8月20日土曜日

永井荷風年譜(16) 明治44年(1911)満32歳 幸徳秋水らを運ぶ囚人馬車を目撃する

明治44年(1911)満32歳
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1月か?
「明治四十四年慶応義塾に通勤する頃」、市谷監獄から日比谷の裁判所まで幸徳秋水らを輸送する囚人馬車を目撃する
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明治四十四年慶応義塾に通勤する頃、わたしはその道すがら、折々市ヶ谷の通りで囚人馬車が五、六台も引き続いて日比谷の裁判所の方へ走って行くのを見た。

わたしはこれまで見聞した世上の事件の中で、この折程いうにいわれない厭な心持のした事はなかった。

わたしは文学者たる以上この思想問題について黙していてはならない。小説家ゾラはドレフュース事件について正義を叫んだため国外に亡命したではないか。
しかしわたしは世の文学者とともに何もいわなかった。
わたしは何となく良心の苦痛はたえられぬような気がした。
わたしは自ら文学者たる事についてはなはだしき羞恥を感じた。

以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引き下げるに如(シ)くはないと思案した。
その頃からわたしは煙草入をさげ浮世絵を集め三味線をひきはじめた。
わたしは江戸末代の戯作者や浮世絵師が浦賀へ黒船が来ようが桜田御門で大老が暗殺されようがそんな事は下民の興(アズカ)り知った事ではない - 否とやかく申すのはかえって畏(オソレ)多い事だと、すまして春本や春画をかいていたその瞬間の胸中をばあきれるよりはむしろ尊敬しようと思い立ったのである。(小説「花火」)
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1月
戯曲『秋の別れ』を「三田文学」に発表。
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1月18日
井上唖々と上野博物館に錦絵を鑑賞。
この日の夜、精養軒にて「スバル」「三田文学」「新思潮」「白樺」の同人が会合。合同号(雑誌)刊行の相談があって出席。
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2月
『下谷の家』を「三田文学」に発表。
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2月4日
第9回三田文学講演会を慶応義塾の32番教室で開催。
荷風は『十分間』なる演題のもとに日本の伝統建築と現代の建築との比較を論じる。
黒田鵬心、馬場孤蝶、平出修、岩村透、岩野泡鳴らが講演。
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2月8日
エリセーエフの寓居で茶話会。荷風、森田草平、小宮豊降らが出席。
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2月17日
慶応大学構内の倶楽部で開かれた三田文学座談会に出席。
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3月
『霊廟』を「三田文学」に発表。
「すみだ川」を籾山書店から刊行。
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3月上旬
病臥する。
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4月
逗子に行く。
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5月13日
交詢社にて実業家と文学者の懇談会。
実業家側より高橋義雄、門野幾之進、波多野承五郎、文学者側より、荷風、足立荘が出席。
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5月24日
松本泰、久保田万太郎、小泉信三、沢木四方吉、水上瀧太郎らの「例の会」に招待され、ヴィツカース・ホールで文学芸術の話をする。
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8月
『眠られぬ夜の対話』(のち『短夜』)を「三田文学」に発表。
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8月18日
神戸を経由して長崎に遊ぶ。25日頃帰京。
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10月
「三田文学」7月号に続いて10月号が発売禁止処分。
以来、塾監局の検閲をへて印刷所へ原稿を入れることになる。
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11月
「谷崎潤一郎氏の作品」を『三田文学』に発表。
同月、『紅茶の後』を籾山書店から刊行。
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11月17日夕
浜町常盤屋での西園寺公望の催す第6回雨声会に初めて出席。
「椎の実の栗にまじりて拾はれし」と詠む。
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12月17日
田村成義の紹介により、六代目(尾上菊五郎)と歌舞伎座で逢い、菊五郎の新しい淡劇運動について意見を求められる。
この日、父久一郎は郵船の横浜支店長を退く。
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「★永井荷風インデックス」をご参照下さい。
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