2011年8月14日日曜日

「とことん絶望したら、書くしかないねんで」 細川布久子著「わたしの開高健」を読む

薦められてこの本を読んで、久しぶりに開高ワールドに触れた。

この本の真価は、開高健の担当編集者として筆者が聞いた標題の開高健の言葉

「とことん絶望したら、書くしかないねんで」

に尽きるのではないだろうか。

著者は、こう書く。

「「ホソカワクン。とことん絶望したら、書くしかないねんで」。
この言葉だけが闇のなかに光る宝石のように重く残った。
この言葉を抱えたまま三十五年が過ぎた。
私はとことん絶望したのか、まだしていないのか。」

著者は、
「もし『夏の闇』と『輝ける闇』に出会わなかったら、私はずっと大阪で暮らしたかもしれない。」
という。

私の場合は、ちょっと違う。
ちょっとエラソウに言わせて頂ければ、「夏の闇」と「輝ける闇」で開高健を読むのを止めた。

何故か?
下手な駄洒落のようだが、開高(カイコウ)さんにはカイキュウ性が欠けている、と感じたからだ。
階級性、もっと柔らかく言って社会性が希薄。
社会性よりも人間存在の深遠の探求と言われてもチョットね、という感じであった。
それと、一方では、開高さんが釣りやグルメに突き進む、その落差にも、戸惑いというより失望を感じていた。

開高文学の評価は海外でも高いそうで、本書で知ったフランス「ル・モンド」の書評。
(翻訳は著者であろう。文章表現も味わい深い)

******(段落を施す)

『ル・モンド』に『流亡記』の書評を見つけたのは、実に幸運な偶然というしかなかった。
一九九二年四月三日のアジア文学欄である。万里の長城の大きな写真が添えられ、そのページ一面の半分を占める記事である。
フランス語のタイトルは『万里の長城一人の逃亡者の物語』。次のように書かれている。

厭世的な反逆者
万里の長城の建設に服しつつ逃亡を夢見る一人の囚徒
カイコウ・タケシによるカフカ風寓話

カイコウ・タケシには、虚無感と向き合った、ほとんど原始的といえる生命感がある。
それは実存的な問いからきているものでなく、むしろ青春期に受けた苦痛にみちた体験がもたらした幻滅が基盤となった明晰な精神から喚起されたもののようである。
膨大な量の語彙、豊かで官能的な言葉を通してひとつの息吹が読み取れる。
それは物理的生理的実存的な広がりを持って描かれている。
世界中を旅したカイコウが、肉体や土地との接触を通して掴み取った生の尺度といえるだろうか。
・・・・・
******

読後感では「明暗」があった。

「暗」は、開高夫妻間の様々な葛藤。開高さんの亡くなる直前の病院でのことなど。
知らなかったことが多く、その後少し自分なりに調べたが、これに関しては省略する。
(文字にしたくない)

「明」は、開高健にまつわる様々なエピソード、或いは開高健を取り巻く人々のエピソード。

順次列挙すると。

(1)金子光晴さんの風貌

(2)「アワレナカイコウデスガ」という開高健の電話口での口上に対する、丸山真男夫妻の対応。
開高健も一本やられた話。

(3)開高健の知人、「思想の科学」編集長、那須正尚さんの見事な「死に方」。

(4)フランスで筆者が開高健から貰った「万能薬」の話。


「ホソカワクン。キミも今は元気そうやが、いつ病気になるかわからんよ。ご存知のように、私は世界中をあちこち歩き廻ったおかげで、ドエライもんが手に入りましてナ。万病に効くという薬や。それをアナタにさしあげます。そやけど、一遍にたくさん飲んだらあかんデ。ちびちび飲むんやデ。病気になったら飲みなさい」


これは泣かせる。

本雑文では、著者が開高健担当編集者になったこと、それを止めて単身フランスに向かったことなどの経緯は省略した。

是非ご一読を。

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わたしの開高健
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