勧められて、野中広務・辛淑玉「差別と日本人」を読んだ。
刊行当時評判になり書店で平積みされていたのを何度か立ち読みをしたことがあったが、今回はしっかり読ませてもらった。
辛さんが差別の本質、誰が(何が)それを作り、温存してきたかをよく認識されている一方、野中さんのほうは、そういった本質論よりも、政治家として、差別をなくすためには、差別される側が差別を利用して利益を得たりすることを排除していかねばならないという行動論に力点が置かれている。
辛さんは、ところどころで、野中さん、そっち側へ行っちゃダメですよ、と呼びかけている。
多分、野中さんは、それに気づいている。
この方、謙虚な方だと思う。
辛さんがところどころに挿んでいる「解説」がまたよくできていて、大変勉強になる。
以下、目次と私がメモした内容につきご紹介する。
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目次
まえがき 野中広務
第一章 差別は何を生むか
昭和という時代と差別
部落出身の男とは
自民党という不思議な政党
日本人とは何なのか
第二章 差別といかに闘うか
関東大震災における虐殺
軍隊と差別
軍隊内差別
政治家を目指す
部落差別は地域差別ではない
結婚と部落差別
解放運動と地方政治
差別をめぐる事件
糾弾闘争とはなんだったのか
野中広務と共産党・解放同盟
町長から府議へ
第三章 国政と差別
阪神淡路大震災と差別
オウム真理教事件と破防法
軍用性奴隷と国民基金
国旗国歌法案
部落民にとって、「天皇」とは
新井将敬の死は何を意味するのか?
女性の社会進出
アメリカにとって日本とは
第四章 これからの政治と差別
ハンセン病訴訟で国が控訴を断念
人権擁護法案
重度障がい者の授産施設
石原慎太郎の暴言
麻生太郎の暴言
財閥、天皇制、被差別民
小泉純一郎の政治姿勢
オバマ大統領の存在意義
これからの時代に
最後の使命
あとがき 野中広務
あとがき 辛淑玉
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私の読書メモ
1.野中の京都府議時代、「・・・自由民主党の府議として、蜷川(京都府)知事の戦争責任を真正面から問うたことがある。
自分を平和論者の如く言っていた蜷川さんが、京都大学経済学部教授時代、学徒出陣に際して、京大の学生新聞に次のようなことを書いておられた。
「鬼畜米英を倒して、神国日本の御楯となれ」「ペンを執るより銃を執れ」
その矛盾を質問したのだが・・・。」
2.野中の対中姿勢と南京での残虐行為
「・・・最初に訪中したのは七一年」、南京の雑踏の中で私の後援者の一人が倒れたまま起きあがれなくなってしまった。
聞けば、南京で残虐行為に加担したという。
3.関東大震災後の朝鮮人虐殺はよくしられているが、実は、被差別部落の人々も同じような目にあっていた。
辛の解説
「・・・震災から五日後の九月六日、香川県の被差別部落から売薬行商で千葉を訪れていた女性や幼児、妊婦を含む十人が、自警団に組織されたごく普通の人々によって殺され、利根川に沈められた。
・・・
加害者は、福田村および隣接する田中村(現柏市)の自警団だった。
虐殺に加わった八人が殺人罪に問われて懲役三~十年の刑を受けた。
しかし、彼らの大半は、結局、昭和天皇即位による恩赦で釈放された。
取り調べの検事は「彼らに悪意はない。ごく軽い刑を求めたい」と新聞に語り、村は弁護料を村費で負担。
村民は義援金を集め、被告人たちの家の農作業を手伝うなどして留守家族を助けた。
加害者は村のヒーローのように扱われたのである。
虐殺の中心人物の一人は、出所後、村長になり、合併後も市議として市の要職にとどまり続けた。・・・・」
「・・・村当局も県当局も、殺されたのが被差別民だったからという理由で、あたかも事件そのものが存在しなかったかのように扱ったのである。
そこに私は、部落差別というものがたんに伝統的共同体の因習に起因するものではなく、近代の天皇制統治構造に深く根ざしていることの本質をみる・・・」
3.1982年3月3日、水平社創立60周年記念集会での野中広務京都府副知事のコメント。
「全水創立から六十年ののち、部落解放のための集会をひらかなければならない今日の悲しい現実を、行政の一端をあずかる一人として心からお詫びします。
私ごとですが、私も部落に生まれた一人であります。
私は部落民をダシにして利権あさりをしてみたり、あるいはそれによって政党の組織拡大の手段に使う人を憎みます。
そういう運動を続けておるかぎり、部落解放は閉ざされ、差別の再生産がくりかえされていくのであります。
六十年後にふたたびここで集会をひらくことがないよう、京都府政は部落解放同盟と力を合わせて、部落解放の道を進むことを厳粛にお誓いします。」(「解放新聞」一九八二年三月二二日付)」
4.国旗国歌法案
辛ははっきりと言う。
「野中さんがおやりになった法案でいちばん印象に残っているのほ、「国旗国歌法案」です。」
「日の丸は、私にとっては、ナチスドイツの国旗ハーケンクロイツと一緒なわけですね。」
辛・野中のやりとりは、はがゆい。
辛の解説
「一九九九年には、そのような混乱にさらに拍車をかけるように国旗国歌法案が可決された。
その法文では、強制ではないとしながらも「第一条国旗は、日章旗とする。第二条国歌は、君が代とする。」と国旗国歌がはじめて明文化された。
その結果、ますます実質的な強制は加速され、反対した教師への制裁、イヤガラセ人事が続発し、今も続いている。
教育現場での混乱の最大の原因は、日の丸君が代を強制しようとする学校や教育委員会の管理者たちが、「お上の通達だから」という理由をまるで方便のように使ったことである。」
「現場では、「君が代」「日の丸」を国歌国旗として認めるかどうかという問題に加えて、国家が個人の思想信条の領域に手を突っ込むことへの不快感と反発がわき上がった。」
「のちに野中氏は、テレビ(TBS「時事放談」〇六年十一月二十六日放送)で、
「自分が小渕政権で官房長官やってる時に、国旗国歌法案を触発的にやったんですよ。
やったけれどもね、そのあと自分振り返ってみたら、その勢いのまま、住民基本台帳とか、周辺事態法とか、もう怖い怖いのかどんどんどんどん出来たのを、自分で非常に反省してます」
と語った。
私は、当時の小渕氏は、″野中がいうならできるかもしれない〞と判断したのだと思えてならない。「日の丸君が代」問題での最大の抵抗勢力は部落解放同盟だ。
そこを、野中氏なら押さえられると踏んだのではないだろうか。
国旗国歌法案は、最大の抵抗勢力、広島の解放同盟を叩く意味でも大きかった。
ターゲットは、部落解放の原理主義者とも呼ばれた、元社会党議員で解放同盟中央本部書記長をつとめたことのある広島県連の重鎮、小森龍邦だったと言われている。」
辛は、野中さん、あなたは私たちの向こう側に加担したんですよ、と言っている、と思う。
そして、かなりの部分で、野中はそれに気がついたとも思っている。
教科書問題も、国旗国歌法案のあとに続いている。
どんどん悪くなる。
5.新井将敬
「辛 ・・・あの時の、新井将敬を取り巻く自民党の中の状況はどうだったのか・・・」
「野中 僕は新井将敬に関わったはうなんですが、いまだに彼は自殺じゃないと思ってる・・・」
「辛 ・・・私は新井将敬を精神的に殺したのは石原慎太郎だと思ってるんですね。最初の選挙の時に……。
野中 ああ、ビラを貼ってということか?
辛 そうそう、新井将敬のポスター三千枚に、真っ黒いシールで「北朝鮮から帰化」と書かれたものを貼った。
同じ選挙区だったので脅威に感じたのでしょう。
すさまじいまでの差別事件でした。
確か、彼の秘書が捕まったけど、その後も石原さんは、日本人の血ではないものが国政に関わっていいのか、と執拗に言い続けていた。・・・」
6.土地使用特別委員会の委員長としての発言
委員会の最後に、昭和37年、園部町長時代に初めて沖縄を訪れた時のことを話す。
辛の解説
「沖縄行きの目的は、沖縄戦で二千五百四人もの京都の人たちが命を落とした宜野湾市に慰霊碑を建てることだった。
空港から現地へ案内してくれたタクシーの運転手がいきなり車を停め、
「あのサトウキビ畑のあぜ道で私の妹は殺された。アメリカ軍にではないです」
と言った。
野中氏はその時の体験を話した上で、次のように述べた。
「この法律が、沖縄を軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないように、古い、苦しい時代を生きてきた人間として、国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります」
委員長報告に自分の意見を加えてはならないという規則があるため、その発言は後日、議事録から削除された。」
7.石原慎太郎の暴言
「辛 さきほど名前をあげましたが、石原慎太郎さんだけでなく、政治家からとてもたくさんの差別発言が出ますよね。植民地支配のこともそうですし、黒人に対する発言もそう。
とくに石原さんの「三国人発言」。これは自衛隊を前にした発言でしたが、「もし地震が起きたら外国人が暴れるから、その時は自衛隊、よろしくお願いします」 みたいな発言をしている。
さらに中国人の犯罪に関して、手口が 「民族的DNAを表示するような犯罪」だと発言したり。
・・・
かつて日朝関係が悪化したとき、足もとの在日の子が叩かれていたとき、記者の質問に対して当時の海部首相は「俺が叩いたわけじゃない」とかって言っちゃうし。いったいあの感覚は何なんだろうって思うんですね。」
「野中 いやあ、煩わしい問題から逃げようとしているだけのことですよ。」
(物足りないリアクションである)
(さらに、野中が昨夜石原と飯食ったと言う)
「辛 え?なんで石原さんと御飯食べられるんですか。なんで!? だって石原さんってハンディのある子どもたちを見て、「ああいう人ってのは人格あるのかね」といいはなった。・・・・」
(そして、辛の追求に、野中は、こんな発言を)
「野中 そうかね。あんなのボンボンですよ。」
7.麻生太郎の暴言
辛の解説
「麻生太郎自民党政調会長(当時)は、二〇〇三年五月、東京大学の学園祭で、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した。
・・・・・・
麻生氏は、植民地支配で財を築いた麻生財閥の中でぬくぬく育って、首相にまで上り詰めた。
麻生財閥を構成する企業の一つ、麻生鉱業は、強制連行されてきた朝鮮人を強制労働につかせ、消耗品の労働力として、その命を紙くずのように扱った。
一九四五年までに麻生系の炭鉱に連行された朝鮮人は一万人を超える(厚生省勤労局「朝鮮人労務者に関する調査」福岡分統計)。
賠償は今に至るまで行われておらず、遺骨さえまだ遺族の元に戻っていない。
また、麻生炭鉱は部落民を一般の労働者と分け、部落民専用の長屋に入れて奴隷のように酷使した。
〇七年二月、麻生氏は米議会での日本軍性奴隷制に対する決議案に対して、衆議院で「客観的な事実に基づいていない」と批判し、米国の共和党議員でさえ憤慨するお粗末な歴史認識を披露した。
天皇家と親戚関係をもち、いつも上から目線で見る麻生太郎の目には、朝鮮人も部落民も同じく消耗品であり、人の数には入らなかったのだろう。
ソウル大学の学生が公式に麻生氏に公開討論会を申し入れたが、彼は一切応えなかったという。」
(野中・辛ともに怒り炸裂。読者の私も同じく怒り炸裂)
対談
「辛 私は麻生さんの顔を見ると背筋が寒くなるんです。
とくに彼の中にあるひどい差別意識には、ぞっとさせられる。
野中 まだ麻生さんが総理になる前の、二〇〇一年四月の頃だったけれども、ある新聞社の記者が僕に手紙をくれたんです。手紙には、こんな内容のことが書かれていた。
<麻生太郎が、三月十二日の大勇会の会合で
「野中やらAやらBは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハ」
と笑っていた。
これは聞き捨てならん話だと思ったので、先生に連絡しました>
彼がそれを言ったとき、その輪の中に数名の政治家がいたらしいのだが、その一人が、今は国民新党にいる亀井久興君だった。私自身が亀井君に確認したら、「残念ながらそのとおりでした」と。
・・・・・・。」
「辛 麻生さんというのは、自民党の中でもそういう発言をする人なんですか。
野中 そうだろうね。
実際そう思っているんでしょ。朝鮮人と部落民を死ぬほどこき使って、金儲けしてきた人間だから。
彼が初めて選挙に出た時、福岡の飯塚の駅前で、「下々の皆さん」って演説した。
これが批判を受けて選挙に落ちたんだ。彼はずうっとそういう感覚なんですよね。
辛 飯塚って在日も部落の人もたくさん住んでいるところですからね。
野中 何の疑問もなしにそう言うんだ。不幸な人だ。一国のトップに立つべき人じゃない。
・・・・・
辛 麻生さんは差別意識が体の中に染み込んでるんだと思う。
野中 そうそう。」
辛の解説
「差別は、古い制度が残っているからあるのではない。
その時代の、今、そのときに差別する必要があるから、存在するのだ。
差別の対象は、歴史性を背負っているから差別されるのではない。
差別とは、害や資源の配分において格差をもうけることがその本質で、その格差を合理化する(自分がおいしい思いをする)ための理由は、実はなんでもいいのだ。
部落だから、外国籍だから、朝鮮人だから、沖縄だから、女だから……。
自分たちの利権を確保するために資源配分の不平等を合理化さえできれば、その理由などなんでもいい。
近代日本における部落差別は、近代化過程における富の配分をにざる藩閥政府の官僚たちと、それに支えられた新興財閥の特権を維持するために、あらたに作り出され、また再生されてきた。
そして、彼らの特権的支配をささえるもうひとつの原理が天皇制イデオロギーだった。
部落差別と天皇制は近代における差別構造の車の両輪、といわれるゆえんがここにある。
その構造の上に乗っかって麻生財閥があるのだ。
「麻生太郎」とは、日本社会が生み出した差別の結晶であり、差別による旨みが骨の髄まで染み付いた人間の典型なのだろう。」
8.小泉純一郎の政治姿勢
「辛 小泉さんの性格がよく表れていたのが、北朝鮮に行った時、向こうでお茶一杯飲まないで帰ってきたことだと思うんですね。
野中 お茶飲まない、食べない、それから泊まらない。全部日本から持っていったものを食べていたようだ。一切向こうから出されたものは食べないということで徹底しておった。
向こうは共産主義国家とはいえ、もともとは儒教の国ですよ。そういう国に行って、おまえが出したものは一切食べんぞと、こんな失礼な言い方があるかと。そこからこの訪朝は間違っている。
・・・・・・・」
9.オバマ大統領の存在意義
「辛 私は、大きな政治的なものはあまりわからない。けれども私は、三つのことが気になったんです。
(中略)
それと三つ目は、多くの白人の人たちは、オバマさんのことを怖がっていないということなんですね。
なぜなら、彼は傷ついてないから。
オバマさんはインドネシアやハワイで育って、アメリカ黒人の歴史的な傷つき方をほとんどしていない。文化的にもない。
ダブルだということもあって白人が投票しやすい。
もっと言うならば、仕返しされる心配をしなくていい。
安心して投票できる人だから大統領になったんだなって気がしたんですね。
・・・・・」
10.野中広務のあとがき
「辛さんとは立場の違いもあるので、どんな対談になるのかと思った。しかし終えてみると、「こういう見方があるんだなあ」ということがわかったことも大きな収穫だった。」
(謙虚だ)
「とくに対談の最後の部分は、初めて話したことがほとんどだ。
これは辛さんがご自分の体験や心情を包み隠さず話してくださったことが大きく影響している。
あえて舞台裏を明かすと、辛さんはこの部分を話すとき、時に鳴咽を堪えながら、また言葉も切れ切れに本心を語ってくださった。
私も差別されてきた体験とそれと闘って来た体験を持つだけに、彼女の気持ちが痛いほどわかり、思わず言葉を詰まらせた。
心と心、魂が触れあうような気がした。」
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1 件のコメント:
とても丁寧で優れた解読でした。この対談本が出版されておよそ10年が経過しましが、時代は当時に比べて、さらに深刻さを増しているように思います。ネット上での差別的言説はあらゆる領域に広がり、街頭における差別煽動も恒常化しています。日本の国力の目に見える凋落に起因する精神上の不安感を、他者への差別意識で埋め合わせ、なんとか均衡をとろうとしているのかもしれません。たぶん我々は、政治的経済的、更には精神的に没落していく国家をリアルタイムで目の当たりにしているのでしょう。この国は、あたかも成人病の進行により機能不全に陥った回復不可能な身体のように、既に再起不可能のように思われます。
https://youtu.be/jQSnuM4Feq0
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