2011年8月29日月曜日

永禄7年(1564)8月1日~12月31日 信長、犬山城攻略  [信長31歳]

永禄7年(1564)8月
この月
・信長(31)、美濃に出兵、井口城近辺に砦を築く。犬山・金山城陥落。同時期、伊勢にも出兵。

犬山城攻略
丹羽長秀、犬山の家老和田新介(黒田城)・中嶋豊後守(小口城)を調略、信長へ内通させる。
信長勢、両名の手引により犬山へ侵入、城下を焼き、鹿垣により城を重包囲。
攻囲は丹羽長秀が担当、まもなく落城。織田信清(信長の従兄弟)は城を脱出して甲斐へ亡命。
これにより信長の尾張統一がほぼ完成    
犬山攻めと並行して、東美濃の鵜沼城(各務原市)・猿啄城(坂祝町)への作戦進行。
木下秀吉が鵜沼城主大沢次郎左衛門を調略、降伏させる。
猿啄城へは織田軍が城攻め。
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・越前朝倉勢、加賀深く侵攻、能美郡一帯~石川郡境目までが戦線と化す。
本願寺は、豊後の門末にまで支援を要請して全国的規模の支援体制を講じる。
越前周辺の坊主衆・門徒衆には甲冑をつけて陣詰めして戦うよう、遠方の門徒衆には軍費を用立てて進上するよう命令。
小松口・本折口・鵜谷口・湊川・寺井口などで翌8年4月・8月と激戦が続く。
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・永禄の盟約。
独立性が強く、時には「合戦」に及ぶこともあった日蓮宗(法華宗)寺院が盟約を結ぶ。翌年6月の「十六本山会合」の成立に繋がる。
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8月1日
第5次川中島の合戦。上杉輝虎(35)、更科八幡宮に戦勝祈願。
3日、犀川渡河し川中島に進み武田軍と対峙。対陣60余日に及ぶが戦闘に至らず。
飯山城を修復し、桃井義孝・加地春綱に守らせ、10月1日、帰国の途につく。    

4日付け輝虎(謙信)の常陸の佐竹義昭宛て書状。
一戦を遂げるため川中島に出陣したが、「今に陣所を聞き得ず候」と、信玄の所在がつかめないと告げる。
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9月9日
・信長、上杉輝虎宿老直江景綱(「直江大和守」)へ書簡。
先月に美濃の稲葉山城下に攻め入り近辺に砦を築き、犬山・金山を落城させ、さらに伊勢にまで出兵しと報ずる。
年次には異説あり。
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9月11日
・将軍義輝、摂津有馬湯山に赴く。細川輝経・細川藤孝・一色藤長が随行。
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9月15日
・信長、美濃常在寺へ100貫文の領知を寄進。    
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9月27日
・越前朝倉氏、若狭に侵入、中山の付城(美浜町太田)を築城、これを拠点に山東郷・山西郷(美浜町)へ乱入、稲を刈り取り、大豆・野菜まで奪い取る(「若州国吉篭城記」)。
この日、若狭武田義統に反抗する被官粟屋勝久、250を率い夜襲、焼打ちして勝利。
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9月28日
宮中御倉職の立入宗継、正親町天皇の宮廷御料地回復、御所修理の密勅うけ尾張に下向
信長の声望が中央でも高まりつつあることを示す。
信長上洛⇒天下統一への名分としての意義をもつ。  
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月末
・信長、木下藤吉郎に稲葉城下侵入放火、城下南方加納占領、築砦、指示。
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10月
・カトリーヌ・ド・メディチ、シャルル9世、アンリ・ド・ナヴァール(後、アンリ4世)、ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)を訪問。  
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10月1日
・信玄、帰国。関東へ出陣    
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10月18日
・スペイン、新大陸貿易のための定期護送船団制度確立。
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10月24日
・佐野昌綱、再び上杉輝虎に背き、輝虎(35)、沼田城に着陣。
27日、唐沢山城を攻略し再び佐野昌綱を破る。
11月21日、虎房丸と佐野の人質30余人を連れ色部勝長と共に帰国。(唐沢山城攻め)
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11月
・平戸の度島(たくしま)滞在のフロイス、迎えのアルメイダと共に出発、口之津~豊後など経由し、12月堺に上陸。  
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月初
・木下藤吉郎、稲葉山西方瑞龍寺山侵入。
下旬、稲葉城下攪乱。瑞龍寺山勢と合流。加納占領、砦築く。  
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11月1日
・落雷によって焼失した東寺の五重塔の再建のため、同寺は空海作と伝え彼の没後秘仏となっていた1尺5寸の大黒天像を開帳して奉加を募る(「言継卿記」同日条)。
当時の社寺は権力者の外護は殆ど期待できず、勧進によって一般の浄財を集中するのが造営の大きな財源。この時も上下の人士が殺到。
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11月7日
・信長、上杉氏宿老直江景綱へ書簡。
上杉輝虎から信長の息子を輝虎の養子とすることを承諾されたことを謝す。
この養子の一件は、他の史料には見えない。交渉のみに終わり何らかの事情によって実現しなかった。信長は近隣諸国と結んで、美濃の攻略を押し進める作戦をとったと推測できる。
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11月21日
・スペイン王フェリペ2世命により、ミゲル・ロペス・ド・レガスピ司令官のフィリピン遠征隊、メキシコを出発。
フィリピンに到達後、セブ島で1ヶ所、ルソン島マニラで1ヶ所の植民地建設。1565年、メキシコに戻る。  
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11月23日
・朝廷、東寺再建のため諸国に勧進させ造営を開始させる(「言継卿記」)。
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12月
・13代将軍足利義輝より信長に天下統一の御内書到着。
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・アルメイダとフロイス、堺訪問。日比野了珪宅に滞在。日比野一族、入信。
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12月1日
・信玄、快川紹喜を、美濃崇福寺より恵林寺に再び迎える。  
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12月3日
・ロシア、イヴァン4世(雷帝、34)、突然の失踪事件。65/2/2モスクワ帰還。
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12月20日
・信長、幕府内談衆大館晴光(左衛門佐)へ将軍御内書の請状を出す。
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12月26日
・大坂で火災。本願寺などが焼失。
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12月27日
・丹羽長秀、笠覆寺に寺領を安堵(笠覆寺文書)。
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「★織田信長インデックス」 をご参照下さい。
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