京都 祇園白川 2016-04-03
*行方不明の時間 茨木のり子
人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁(ささや)くものがあるのです
三十分であれ一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒(ふらち)なことをいたすにしろ
遠野物語の寒戸(さむと)の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です
所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯を取る
道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
<すぐに戻れ>や<今 どこ?>に
答えるために
遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすれば
絶望は更に深まるだろう
シャツ一枚 打ち振るよりも
私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです
目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
無気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ
『茨木のり子集 言の葉3』(2002年10月 筑摩書房)
詩人76歳
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