2012年8月1日水曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(22) 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その2)

東京 北の丸公園 2012-07-24
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(22)
 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その2)

ショック室
カストナーはアラン記念研究所に手紙を書き、医療記録の開示を求めた。最初、同研究所はそのような記録は存在しないと言ってきたが、最終的に彼女は全一三八ページに及ぶ記録を手にする。担当医の名前はユーイン・キャメロンだった。

手紙やメモ、カルテなどで構成された彼女の医療記録が語るのは、まさに悲痛な物語だった。
それは、一九五〇年代の一八歳の少女に与えられた選択の自由がいかに限られたものだったかだけでなく、政府や医師がいかにその権力を乱用したかについても雄弁に物語っていた。


記録はカストナーの入院時にキャメロン博士が行なったアセスメントから始まる。
カストナーは当時、マギル大学看護学科の成績優秀な学生で、キャメロンは 「これまではまずまずバランスの取れた人格を保ってきた」と書いている。ところがその時点で彼女は不安神経症を患っており、その原因についてキャメロンは、娘に対して「くり返し心理的虐待」を行なう「きわめて物騒な」男性、すなわち彼女の父親にあるとだけ記している。


入院当初の記録によれば、カストナーは看護師たちに好感を持たれていたようだ。看護を学ぶ者として看護師たちと親しくなり、彼らはカストナーを「明るく」「社交的」で 「きちんとしている」と描写している。
ところが入院生活が長引くにつれ、カストナーの性格は劇的に変化した。・・・

空白を求めて
・・・スコットランド生まれのアメリカ人ユーイン・キャメロンが、アメリカ精神医学会をはじめ、カナダ精神医学会、世界精神医学会の会長という、自身の専門分野において頂点をきわめた人物であること。
そして一九四五年、ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判でナチ党副総統ルドルフ・ヘスの精神鑑定を行なった三人のアメリカ人精神科医のうちの一人であったこと。


カストナーが調査を始めた時点で、キャメロンはすでに他界して長い年月が経っていたが、何十本もの学術論文や講演録が残されていた。
CIAが資金を提供した洗脳実験に関する本も何冊か出版されており、これらの本にはキヤメロンとCIAの関係についての詳細な事実が記されていた。
カストナーはこうした本をすべて読み、関係のある箇所には印をつけ、事実を時系列に整理して、自分の医療記録とも照合した。

その結果わかったのは、一九五〇年代初めには、キャメロンが患者の精神疾患の根本原因を探るのにフロイトの創始した「会話療法」という標準的な方法を用いるのをやめていたことだった。キャメロンは患者の症状を改善したり治療したりするのではなく、「精神誘導」という彼の考案した方法によって患者を作り変えようとしたのだ。

当時キャメロンが発表した論文には、患者に健全な行動を取り戻させるための唯一の方法は、彼らの脳の中に入って「古い病的な行動様式を破壊する」ことしかないと彼が確信していたことが示されている。
その第一段階は「脱行動様式化(デパターニング)」であり、その目的は脳をアリストテレスの言う「何も書かれていない石板」、すなわち「白紙状態」に戻すという驚愕すべきものだった。
脳に、その正常な機能を阻害するありとあらゆる手段を使って一斉攻撃をしかけることによって、こうした白紙状態が作れるとキャロンは考えた。それは人間の心に対する「衝撃と恐怖」作戦そのものだった。


一九四〇年代後半、ECTはヨーロッパと北米の精神科医の問に広まりつつあった。前頭葉を切除するロボトミー手術に比べて恒久的なダメージが少なく、効果も認められたからだ。ヒステリーの患者の多くは症状が治まり、電気ショックによって患者の意識が正気に戻る場合もあった。だがこれらはあくまで結果であって、この方法を考案した医師たちでさえ、なぜそれが有効なのかを科学的に説明することはできなかった。

だが彼らは、この療法に副作用があることは認識していた。
この治療を受けた患者がもっとも頻繁に訴える副作用は健忘で、ECTが健忘を引き起こす可能性があることは確実だった。記憶喪失と密接に関係するもうひとつの副作用は、退行だった。治療の直後、患者が指しゃぶりをしたり、胎児のような形に体を丸めたり、食事を赤ん坊のように食べさせてもらわなければならなかったり、母親を求めて泣いたりした(医師や看護師を親と間違えるケースもしばしばあった)ことが、何十もの臨床研究に記録されている。通常、こうした異常行動は一過性のものだったが、強いショックが与えられた場合には患者が完全に退行し、歩くことも話すこともできなくなるケースもあることが報告されている。・・・


ライスや他の患者たちにとって、この空白は埋めることのできない喪失を意味していた。
他方、キャメロン博士にとって、その空白には別の意味があった ー それまでの悪しき習慣がすべて除去され、新しいパターンを書き込むことのできる白紙の状態である。
彼にとって、強力なECTによって引き起こされた「すべての記憶の大規模な喪失」は不幸な副作用ではなく、この治療の核心をなすポイント、つまり患者を「精神分裂的な思考や行動が表出するよりずっと前の」初期の発達段階にまで引き戻すためのカギだった。

戦争を支持するタカ派が、爆撃によって相手国を「石器時代に戻す」と表現するのと同様、キャメロンにとって電気ショック療法は、強烈な一撃によって患者を幼児期へと押し戻し、完全に退行させるための手段だったのだ。

一九六二年の論文のなかで、キャメロンはゲイル・カストナーのような患者をどんな状態に持っていきたいのかについて、こう記している。
「単に時間的・空間的イメージが消失するだけでなく、すべての感覚が消えてなくなる必要がある。この段階で患者には、他のさまざまな現象が現れる場合がある。たとえば第二言語が話せなくなったり、自分の結婚歴も忘れてしまうなど。さらに進んだ形として、支えがなければ歩けない、自分で食事ができない、大小便の失禁などがある。(中略)記憶機能のあらゆる側面が大きく阻害されるのである」
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