長渕絶叫 原発を止めてくれ今すぐ
音楽家長渕剛(55)が12日、福島県郡山市民文化センターで全国ツアー「RUN FOR TOMORROW」の福島公演を行った。7月22日の神奈川公演で左膝の靱帯(じんたい)を損傷し、全治6週間と診断されたが、約3週間で復帰。昨年3月11日に発生した東日本大震災後、復興支援活動を続けてきた長渕の、福島から岩手、宮城へと続くツアー終盤「東北シリーズ」への並々ならぬ意欲がステージにあふれた。
被災地でのステージ。長渕は、いつにも増して気力をみなぎらせた。
会場には福島第1原発の事故で、今も避難を余儀なくされている浪江町の子供たち15人も来ていた。長渕が昨年の夏休み、子供たちを故郷の鹿児島に招待していた。中盤で、子供たちをステージに上げて座らせ、彼らを思って作った「ガーベラ」を歌った。歌い終えて「お前たちがヒーローだぜ。みんなもこの子たちに負けないよう頑張ろう。俺も頑張る」と訴えると、会場は大歓声に包まれた。
続く曲は「カモメ」。今年2月、自ら放射線防護服を着用し、線量計を携帯して福島第1原発から20キロ圏内の浪江町に入って目にした光景をリアルにつづった歌だった。
<歌詞>浪江の街の駅前の ひしゃげたまんまの商店街 パン屋も床屋も雑貨屋も 命の音が聞こえない…止めてくれ 原発を 止めてくれ 今すぐ
「福島の浪江町に行ってきた。そう、みんなも知っているように悲惨な光景が広がっていた。俺は言葉をなくした。腹が立つよね、腹が立つよね」と絞り出すように語りかけた。会場は静まりかえり聞き入った。
7月22日の神奈川県民ホール公演で、左膝の靱帯を損傷した。翌日には左足はギプスで固定され、全治6週間と診断された。直近の北海道公演は延期した。この日まで約3週間、地道なリハビリに明け暮れた。長渕はかつて「復興支援活動の中で、次は自分の音楽だ! とはっきり使命感を抱き、今を生きている。この一瞬は永遠ではない。だからこそ『今』に命をささげて生きる。俺はステージ上で死んでしまってもいい」と話した。この日は左足をテーピングし、ジャンプもした。事故を即興で歌にしてファンを笑わせた。
新アルバム「Stay Alive」の収録曲など20曲を時には絶叫し、拳を突き出し歌った。長渕の魂を込めたステージが、暑い夏をさらに熱くした。【笹森文彦】
Stay Alive
スポーツ報知
シンガー・ソングライターの長渕剛(55)が12日、福島・郡山市民文化センターでライブを行った。先月22日の公演中、左膝内側側副じん帯を損傷するアクシデントに見舞われ、全治6週間と診断されていた。が、東日本大震災で被災した東北のファンに対する強い思いから公演を強行。「福島、帰ってきたぞ。マジで会いたかった」と叫び、福島第1原発事故の影響で避難生活を余儀なくされている浪江町の小学生とも再会。同町の情景を歌う「カモメ」などを熱唱した。
ライブ中盤だった。浪江町の子供たちへの思いをつづった「ガーベラ」で、長渕は15人の小学生をステージに上げた。緊張しながらも笑みを浮かべて、子供たちは長渕を囲んで聴き入った。そして、浪江町、原発への思いを歌った「カモメ」の歌唱前、長渕は素直な思いを語り始めた。
「子供たちとの約束を守るために、2月に浪江町に行ってきた。俺は言葉をなくした。つい、この間までは自然豊かで素晴らしい光景だったと聞いた。腹が立つよね。腹が立つよね」
1曲目の「日本に生まれた」から約2000人の客席は総立ちに。日の丸が打ち振られる。「福島、帰ってきたぞ。会いたかったな。マジで会いたかった。だから、足、治ったよ」と笑顔で語り掛けた。けがを題材にした弾き語りの即興曲で「ズキンズキン―」と歌い、沸かせた。震災後、福島での本格的なライブは自身初。公演中に福島中通りで震度5弱の地震が発生したが、けがを感じさせない躍動感あふれるパフォーマンスでファンを沸かせ、全20曲を歌い切った。
先月22日、神奈川県民ホールでの公演だった。ギタリストの足元にスライディングした際、左膝を負傷。松葉づえでの歩行を余儀なくされる重傷だったが、約3週間、地元・鹿児島で懸命のリハビリを行った。この日はテーピングで患部を固定。驚異の精神力でライブに間に合わせた。
東北のために、浪江町の子供たちのために―強い思いが、復活を後押しした。昨夏、鹿児島に同町の小学生20人を招き、無人島で一緒に遊び、元気づけた。無邪気な笑顔を見て「子どもの世代に向けて生きていく」と誓った。別れ際、涙を流す児童に「必ず、お前たちのふるさとに行くから」と約束していた。その言葉通り、今年2月に警戒区域の浪江町を訪問。人けのない壮絶な光景を目の当たりにした。この日、約1年ぶりに子供と再会し、客席で拳を振り上げる姿から、力をもらった。
震災復興のため、自衛隊慰問など積極的な支援活動を続けてきた。音楽家としての使命は何か、と考え約1年半ぶりのツアーで震災、原発事故への怒りを伝えた。
「俺がやらなきゃ、誰がやるんだ?」
鎮魂の思いを込め、13日に岩手、15日には宮城で公演を行う。15日のステージは全国163の映画館でも生中継される。
[2012/8/13-06:00 スポーツ報知]
下記のブログより
浪江の街の請戸の港
カモメの群れが飛んでる
秋のコスモスが咲いて
子供たちがはしゃいでる
請戸の海から魚たちも
川を上ってしぶきをあげてる
長渕剛 カモメ Lyrics
浪江の街の立野の丘に
牛たちの群れが生きてる
立ち並ぶ朝の牛舎から
生き物の匂いがあふれてる
男たちは藁を運び
毎日牛たちの背中をさすってる
だけど全てが消えてしまった
全てが無くなってしまった
子供の声も消えちまった
漁師の声も消えちまった
農夫の声も消えちまった
牛たちの姿も何もかもが
やせ細った野良牛たちの
瞳をどうやって見つめればいいの
僕が歩いてきた道は 正しかったのか!
したたり落ちてく命の
最後の最後の一滴を
コメカミに突きつけてみた
今一度問いかけてみた
僕たちが歩いてきた道は 本当に正しかったのか!
浪江の街の駅前の
ひしゃげたまんまの商店街
パン屋も床屋も雑貨屋も
命の音が聞こえない
全滅していた暮らしの中
壊れた信号機だけが点滅していた
僕はただ立ちつくし空を見上げて泣いた
男は牛たちの乳を泣きながら搾っている
来る日も来る日も毎日
泣きながら乳を搾ってる
捨てては搾って搾っては捨てて泣いてる
男は牛舎でつぶやいた
「原発さえなければ…」
秋のコスモス畑で
も一度君たちと会いたい
秋のコスモス畑で
も一度君たちと唄いたい
秋のコスモス畑で
君の背中を追いかけたい
請戸の海から昇る朝陽に
も一度抱かれて泳ぎたい
生きたいと叫びながら
消えてった農夫たち
生きたいと叫びながら
消えてった漁師たち
生きたいと叫びながら
消えてったあの時の夕焼け
やせ細った野良牛たちの
瞳をどうやって僕は見つめればいいの
浪江の街の請戸の港
カモメの群れが飛んでる
4本の煙突の向こう
何も知らずに飛んでる
低く垂れこめた真冬の空
ハラハラと白い雪が降ってた
止めてくれ
原発を
止めてくれ
今すぐ
母親から子供を引き裂き
子供から母親を裂く
乳房をくわえる赤子の
瞳をどうやって僕は見つめればいいの
帰りたいなあ
wow wow wow wow
帰りたいなあ
wow wow wow wow
生まれた場所へ
wow wow wow wow
帰りたいなあ
wow wow wow wow
命の音を抱きしめて
浪江のカモメが空を飛んでゆく
カモメよ
飛んでくれ
カモメよ 空高く
高く 高く 高く 高く 高く
飛んでくれ
母親から子供を引き裂き
子供から母親を裂く
乳房をくわえる赤子の
瞳をどうやって僕は見つめればいいの
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「カモメ」の背景についてはコチラが(↓)
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