「40歳定年制」
国家戦略会議フロンティア分科会の報告書にある概念である。
大衆増税、原発再稼動、規制委員会人事、オスプレイ配備、・・・
挙げればきりのない野田政権の反大衆的でキケンな性格の
その極めつけは、この国家戦略会議フロンティア分科会の報告書に現れている。
さわりは、コチラで記事にした(↓)
国家戦略会議フロンティア分科会、TPP推進や、憲法解釈を変更しての集団的自衛権行使容認、40歳定年制などを提言
その中の一つ、憲法解釈については、さすがの民主党ファンの山口二郎氏までも、怒っている(↓)
「マニフェスト無視が憲法解釈にまで及ぶならば、もう許せない。野田首相・・・。誰もあなたに憲法論議を委ねた覚えはない。」(山口二郎)
40歳定年制について、日経ビジネスオンラインで河合薫さんが以下のように批判している。
これはなかなか良かった。
日経ビジネスオンライン
河合 薫の新リーダー術 上司と部下の力学
「本音は解雇の自由化?」 急浮上した“40歳定年”の波紋
企業と働く人の信頼関係を取り戻す「職務保障」の意義を再考しよう
ラストの部分で
「(略)
そう。自分を客観的に見られる人ほど、おのずと「人のため」に働いている。「自分の限界」を知った人ほど、次の世代を育み、世話をすることに関わることで、人生の新たな喜びを見いだしているのである。
こういった人たちの存在こそが、日本企業の競争力の1つとされた、長期雇用に支えられたスキルの蓄積や団結力を支えていたのだ。ただでさえ、そういった「支え」は失われつつあるご時世だ。ただただ、人材の流動化を目指したいがために定年年齢を引き下げ、「支え」を完全に断ち切る制度を作ることが本当にいいことだとは、私には到底思えないのである。
組織は人と人のつながりで回っていくものだ。「自分のため」ではなく、「他人のため」に働く人がいて、初めて組織は回っていく。組織とは、機械のように目に見える業務をこなす個人の集合体では決してない。同じ方向を向いた人々が、目に見えない結びつきを武器に、全員で1つの業務を成し遂げる集団になって、初めて機能する社会的な集団なんじゃないだろうか。
人をコストとしか見ないから真理を見失う
「無用の用」──。無用のように見える人ほど、実は大切な人材であるかもしれないのに、人をコストとしか見ることのできない浅はかな人たちは、物事の真理を見失ってしまうのである。
つまり、「若者」「女性」「高齢者」に加えて、「40代」も潜在的に持っている力を十分に発露しきれていない人たちと考え、活用していく制度を考えていく。それが、坂を転げ落ちないためにも必要だと思うのだ。
(略)」
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懐の浅い財界たぬき、と
近視眼の政界たぬきの合作であるが、
「人をコストとしか見ないから」、
組織の活力が萎えて自滅するよ
という警告である。
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組織は多くの無名の人たちによって
代々受け継がれてきた幾多の「暗黙智」
によって成り立っている(部分が大きい)
ことを知るべきである。
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