まず、ブログ「シジフォス」さんの記事
3.11を方針にどう反映?長崎平和宣言起草に学ぶ
に、
宣言文の起草委員(全員で18人)になっていた方の話(メール)が転載されている。
「脱原発を入れないように」との圧力があったことも書かれているが、
皆さんが信念を持ってしっかり行動されたことがよくわかる。
結果として発表された宣言文には、実のところ大いに失望していただけに、
この方たちの頑張りには救われる。
爽快感がある。
是非、ご一読を。
長崎の宣言文起草の裏面については、
ブログ「黒古一夫BLOG」さんの記事
にも少し記載されている。
一部転載させて戴くと。
「・・・昨夜のニュースで、8月9日に読み上げられる長崎市長の「平和宣言」に「脱原発」を盛り込むかどうかで、平和宣言起草委員会(? 平和宣言は、市長(市役所)が勝手に書くのではなく、有識者を集めて検討委員会のような場で議論してその骨子を決めるのだという)が揉めた、ということを報じていたが、被爆地ナガサキで開催されたその委員会においても、現在の「政治」が縮小されたかのように、「脱原発派」から「容認派」、「慎重派」が侃々諤々の議論をしたという。
結局は、市長の決断で「エネルギー省察を見直し、将来的には脱原発を実現する」といった内容を持つ平和宣言になるようだが、余談になるが「慎重派」の中に、幌延に建設が計画された核廃棄物処分場に猛反対した三浦綾子の研究者である上出恵子活水女子大教授の顔があったこと、市長の後ろに「原爆文学」の書き手でもある芥川賞作家青来有一氏(長崎市平和推進室長)の顔も見え、なるほどこれが現在の「核」を巡る状況か、と改めて思わざるを得なかった。」
(8月11日)
上記の起草委員の一人の方のメール
6.9長崎市「平和宣言文」に関しての疑問・・・他/原発とめよう!九電本店前ひろば第479日目報告から
から転載。
「長崎の平和宣言文、起草委員会の文案では「原子力にかわる再生可能なエネルギーを」だったのに、宣言文では「放射能に脅かされることのない社会を」に変わっていました。
冒頭には「たとえ戦争であっても許されない行為があります」という一文が、やはり3回の起草委員会が終わったあとに入れられていました。
じゃあ戦争なら許されるのか、ともとられかねない、こんな表現をなぜ委員会にはからずに入れるのか。
今日の長崎新聞は「委員会が形骸化していないか」と疑問を呈しています。」
という。
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上記の起草委員の一人の方のメール
6.9長崎市「平和宣言文」に関しての疑問・・・他/原発とめよう!九電本店前ひろば第479日目報告から
から転載。
「長崎の平和宣言文、起草委員会の文案では「原子力にかわる再生可能なエネルギーを」だったのに、宣言文では「放射能に脅かされることのない社会を」に変わっていました。
冒頭には「たとえ戦争であっても許されない行為があります」という一文が、やはり3回の起草委員会が終わったあとに入れられていました。
じゃあ戦争なら許されるのか、ともとられかねない、こんな表現をなぜ委員会にはからずに入れるのか。
今日の長崎新聞は「委員会が形骸化していないか」と疑問を呈しています。」
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