江戸城(皇居)東御苑 2013-09-18
*長暦4/長久元年(1040)
この年
・皇帝ハインリヒ3世、ベーメン大公ブレティスラス1世制圧のため遠征軍を派遣するが、ベーメン軍により敗退。
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・ビザンチン水軍の客将でノルウェー・ヴァイキングのハラルド・ハードラダ、暗殺計画を察知し、キエフ公国へ逃亡。キエフ大公ヤロスラフの息女エリザベス姫と結婚。
その後、ハラルド・ハードラダ、スェーデン王スウェインと同盟し、デンマーク王マグナス(ハードラダの叔父)を急襲。
後、ハードラダが寝返り、スェーデン王スウェインを敗走させる。
ハラルド・ハードラダ、ノルウェー王に即位。
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・シチリア、カルブ朝ハサン、シチリア総督の地位を奪還
ハサン:
1036年殺害されたカルブ朝シチリア総督アフマドの兄弟。位1040~1044。
ジール朝アブド・アッラーフ(ジール朝アミールのムイッズの息子)を破る。
地方君主4人が割拠し、カルブ朝の権威はシチリア全土に及ばず。
将軍アブド・アッラーフ。将軍イブン・アルハッワース。将軍イブン・マクラーティ。将軍イブン・アッスムナ
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・東ローマ軍、シラクーザ(シチリアの南東部)を征服。
シラクーザ陥落直後、アルドゥイヌスとノルマン人達は東ローマ軍と別れる。
ノルマン人、カンパーニアに戻り、サレルノ候グアイマリウス5世とアヴェルサ伯ライヌルフスに仕える(1035年頃、サレルノ候グアイマリウス5世が東ローマ軍を助けるためにノルマン人300人を派遣)。
アルドゥイヌス、アプーリアに戻る。
東ローマ、カテパノーのミカエル・ドケイアノスが、メルフィ地方のトポテーレーテース(地方役人)に任命。
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・この頃のアプーリア、東ローマの重税で極めて不安定な状態、多くの騒乱発生。
バーリでは、帝国役人の家が放火。メレースの息子アルギュロスがバーリ攻撃開始。
アスコリでは、カテパノーのニケーフォロス・ドケイアノスが暗殺。
各地で反乱勃発。
モットラ、マテーラ、アスコリ、ビトントでは無秩序。
まもなく、ミカエル・ドケイアノス(ニケーフォロス・ドケイアノス後任カテパノー)が、反乱鎮圧に成功。
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・アルドゥイヌス、まもなく、ランゴバルド人の反乱を支持、東ローマに敵対。
アヴェルサ伯ライヌルフスに援助要請。援助は引き出せず、鉄腕ギョーム・ドゥローゴら首領12人に率いられたノルマン人傭兵を雇う。
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・アンジュー伯フルク3世黒伯(70)、3度目のエルサレムへの巡礼の帰途、没(フルク・ネラ、970~1040、位987~1040)。
息子ジョフロワ2世・マルテル(34、鉄槌)、相続(1006?~1060、位1040~1060)。
ジョフロワ2世:
7年間、父フルク・ネラと内乱以上の戦い、サントンジュを獲得、ポワティエ伯を破り、ブロワ伯よりトゥーレーヌの一部を奪い、領地を拡大。
父没後、その領地とアンジェの町を入手。
オド伯の子・ブロアのティボー伯と戦う、フランス王アンリ1世よりトゥールの町を受け取るが、これによりティボー伯との戦いは一段と激化。
トゥールとアンボワーズの間の戦いで、ティボー伯と騎士千人を捕虜。
手中にした領地
(父から受け継いだ「トゥレーヌの一部」。トゥール。トゥール近辺の諸城(シノン、リール・ブシャール、シャトールノー、サン・テニャン)。)。
後、次の諸侯と戦う(これらの戦いで示した武勇のために「鉄槌」と呼ばれる。ノルマンディ伯ウィリアム征服公。フランスとブールジュの人々。ポワトゥのウィリアム伯。トゥアルのエメリ子爵。ナントのオエル伯。メーヌのユーグ伯(ユーグ伯はマルテルへの忠誠を放棄)。
死の前夜、聖ニコラス修道院で修道士となる)
ジョフロワ・マルテル時代にアンジュー伯の勢力が頂点に達する(一つの公国の成立)。
1050年頃、ジョフロワ伯の宮廷が開かれ慣習法が適用。
1031年フランス王アンリ1世即位時、2つの利益を引き出す
(伯の称号を強引に手に入れたヴァンドームの領主権。アキテーヌ公ギョーム5世未亡人アグネス(アニェス)との結婚、妻アグネス娘アグネス(義娘)が1043年皇帝ハインリヒ3世と結婚)。
1041年トゥーレーヌ司教区とル・マン司教区の支配権を取得(1040年フランス王アンリ1世の家族が謀反をおこしたとき王を支持した代償)。
1043年義娘アグネス、皇帝ハインリヒ3世と結婚。皇帝ハインリヒ3世との同盟成立(フランス王の比類なき支持者からフランスの中で最も危険な敵に変わる)。
フランス王アンリ1世のジョフロワ・マルテルに対する対策:
最初に、ノルマンディー公のアンジュー伯に対する敵意を利用。
1048年皇帝ハインリヒ3世をアンジュー伯との同盟より引き離し。ジョフロワ・マルテル、アグネスと離婚(時期不詳?)。
1049年ジョフロワ ・マルテル、メーヌのドムフロンとノルマンディーのアランソンを奪取。アンリ1世、ノルマン人とアンジューに侵入、ムリエルヌを占領。
1052年8月15日トゥーレーヌ、サント・モール近郊の戦い。アンリ1世、ジョフロワ・マルテルに勝利、ル・メーヌを平定。
1060年フランス王アンリ1世とアンジュー伯ジョフロワ・マルテル、ノルマンディー公に対抗し同盟締結
(ジョフロワ、フランス王との同盟によりベレーム家への特権を取得。結果、メーヌへの立場が好転しトゥーレーヌに対する勢力の確立・強化。但し、横取りしたヴァンドーム伯領を正当な後継者に返還)。
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・アンジュー伯ジョフロワ・マルテル、父フルク・ネラの城の庭園に3個の隕石落下を記念して、ヴァンドームに三位一体修道院を建立。
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・第1次ブルガリア帝国末期の皇帝ガブリル・ラドミル子ペタル・デリャン、ベオグラードでビザンチン帝国に反乱。反乱軍は一時期は広大な勢力を得るが、内部争いによって衰退、ビザンチン帝国軍により鎮圧。
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・トルコ系セルジューク族、ガズニ朝を攻撃、ガズニ朝はアフガニスタン・インドに後退。
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