瀬戸内寂聴さんの『炎凍る 樋口一葉の恋』の中の「日記の謎」と題する項で、明治24年11月24日付けの一葉日記(『よもぎふ日記 二』)に焦点を当てて、興味深い記述がある。興味深い記述とは、一葉と師の桃水との関係がどの線まで行ってたのだろうか、というまあちょっと下世話な部分に関するものである。さすが寂聴さん、この手の考察はなかなか鋭い。
さて、この日付の日記の最後の部分は以下である。
「廿四日 (略)かくて十二時にも成ぬ。ひる飯、本宅よりもて来たりぬ。辞しかねて、こゝにてたべぬ。「君は、など、さは打とけ給はぬ。おのれはかゝる粗野なるおの子なれど、恐れ給ふにはたらじを」などいふに、「などかはさること侍るべき。こはおのれが性(しやう)ねにこそ侍れ。年久しく相馴(あいなれ)たる友はみなしることにて、かくかたくなゝるが本色(ほんしよく)にさふらふ」といへば、君も少し打笑ひて、「さることにや。されば猶ぞかし。おのれもみる所こそかゝれ、心は君がの給ふごとなるものに侍るを。哀(あはれ)、友とし給ひて、隔てなくものし給へよ」といふ。「そは今はじまりたることかは。おのれはたゞ、師の君とも兄君とも思ふなるを」といふに、君また少しものいはず成ぬ。少しありて、「哀(あはれ)、我身こそ幸(さち)なきものなれ」(以下散佚)」(『よもぎふ日記 二』)
この日の日記は、比較的長い記述になっているが、最後、上の下線部分で唐突に終わっている。続きは、一葉が処分したらしい。
〈現代語訳〉
(二十四日 (略)
こうしているうちに十二時にもなった。昼飯が本宅から届けられる。お断り出来ずにここでいただく。
「あなたはどうしてそんなに打ちとけて下さらないのですか。私はこんな粗野な男ですが、こわがりなさることは何もないのですよ」
などとおっしゃる。
「どうしてこわがったりいたしましょうか。これは私の生まれつきなのです。長年つき合っている友達はみな知っていることで、こんなに固くなるのが私の本性なのです」
と言うと、先生も少しお笑いになって、
「そうでしたか。それではなおさら楽になさって下さい。私も見た目には普通の人と違って粗野ですが、心はあなたがおっしゃるように裏も表もないものですよ。どうぞ私を友達と思って、何の気兼ねもなさらないで下さい」
とおっしゃる。
「私はただあなた様を先生とも思い、またお兄さまとも思っているのですよ。これは今に始まったことではありませんのに」
と言うと、先生はだまってしまわれた。しばらくして、
「あゝ、本当に私は不幸な者です。……」)
瀬戸内寂聴さんの『炎凍る 樋口一葉の恋』より当該箇所を引用すると、、、
「日記の謎
一葉の日記は、所どころ、ページを切りとったところや、故意に捨てたと見える箇所も多い。そしてそれは桃水に関することが多いと指摘する研究家も少なくない。
明治二十四年十一月二十四日、一葉十九歳の最後の日記の突然の異様な切り方は何を憲味するのだろうか。
一葉と桃水の間に肉体関係があるという観点に立つ和田芳恵氏は、
「自分を守ることに周到な女性が、何を好んで、ここで筆を擱(お)かねはならなかったのであろう。一葉ほどの達意の文を書き得るものが、行きつまってここで止めたものではあるまい。(略)もし、作家の棲(す)む世界が政治性だけで動くものであるならば、この日の日記に触れずに済ますべきである」
しかし、それにしては、あまりにも一葉にとって貴重な一日であったのであろう。
だからこそ書かずにはおられなかったのである。
「一葉にとっては永遠と変えてもよい一瞬であったかもしれないのである」(「樋口一葉研究」)
と評している。
一葉をあくまで純潔な処女と見る研究家も多い。塩田氏などもその最たる人である。
日記に探すかぎり、一葉は自分の貞操について純潔を守ったように繰返し書いている。
(略)
万一、一葉に男との性的交渉があったとしても日記には記さないだろう。生前、一葉は日記をくにに焼いてくれと命じて死んだそうだが、くには焼くつもりはなかった。だが、焼くつもりの日記だから、すべて真実ばかりだろうと思うのも早計である。
(略)
一葉が周到にかくしている以上、そしてこればかりは肉親でさえあざむき通されたとしたら、われわれに真実がうかがわれないのは当然だろう。
ただ、この日から間もなく、一葉は桃水に借金を申しこんでいる。
日記のちぎれた日から二十五日はど経た十二月十九日付の桃水の手紙が残っている。それによれば、「お約束のものは二十五日の晩こなたより持参する」とあり、更に、自分のことで面白い話があって、聞かせたいので来てほしい。今明日中、夜分でもよいが、人前で話しにくいことなので、明日の日曜は人が来るかもしれないから、今晩のほうが郁合がよい、というような文面である。若い男と女のつきあいなので、つきあいにくいなと、交際のはじめに要慎(ようじん)深いようなことを言った桃水にしては、ずいぶん不用恵な、誤解をまねく誘い方である。
少なくとも、この一カ月たらずの間に、一葉は借金を申しこみ、桃水はそれを引き受け、夜、人に聞かせたくない内緒話をしたいほど打ちとけた仲になっていたことが察せられるのである。
もちろん、一葉は出かけたにちがいない。
別にはじめの部分がちぎれている日記の断片が残っている。それによれば、桃水の話は、たいそう言いにくいことだがなどと前置きをくだくだして、家事手伝いの約束で来てもらう人の妻君を断ったことなどを切りだした。「家政改革の物語り等あり」とだけで、「おのれは直(ただち)ちに暇乞(いとまごひ)しでかへる」と書きつけているので、家政改革がどんなことか詳細はわからないが、後に一葉が、伊東夏子に向かって、
「この間、嫁の申し込みを断りましたよ」
と言っているのをみると、金銭の援助の自然なかたちとして、桃水がどうせアルバイトの、人の妻君に金を払うなら、一葉に金を払って家事を手伝ってもらおうかと思った話を持ちかけたのを、一葉が性急に誤解したのかもしれない。
桃水が言いにくそうにしたのは、一葉の自尊心を傷つけまいと気をつかったのかもしれないが、それにしては、十九日の誘いの手紙は、ずいぶんくだけでいるし、夜、人けのないところで逢いたいというのは穏当ではない。
日記のちぎられた十一月二十四日から二十五日ほどの間に、二人の仲は急速に切迫し、一葉もすっかり桃水に心を開いていたことは確かであろう。
塩田氏が桃水関係者に調査したところでは、約束の十二月二十五日には、桃水が弟子の小田久太郎を通して十五円を届けたといわれる。
この間、一発の金の催促の下書が残っているが、それはずいぶん切迫した調子と、強制的な感じのものである。そういう調子で金の無心をしていい仲になっていた、という見方をされでも仕方がないだろう。
「余りくどく申上候やうにで、御もと様にも御都合のいらせられ候事ならんをおしはかり無く、自分勝手のみ申(まうす)は、実におそれ入る次第に候へども、かねて願ひのもの、何分とも御尽力のほどいたゞき度(たく)、さし当り困り居(をり)候まゝ、なるべきだけ御はやくと奉待候。かさねがさねの我(わが)まゝ、平(ひら)に御ゆるし下され度(たく)、何も御願ひまで
草々 かしこ
御兄上様御もとに
夏 子」
御兄上様という甘えた呼びかけも、誤解の種になりそうである。」
「日記の謎」の項は以上で終わって、次に「雪の日」に移っていく。この「雪の日」の項もなかなか意味深長なので、早い時期に取り上げることになりそうだ。
つづく
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