生活保護申請直後に一家心中、行政の責任論だけで語れない深層 - 生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ https://t.co/vxyQmofp0V— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2016年7月14日
2015年11月、困窮の末に生活保護を申請した高齢の夫妻と娘の一家3人が、申請から4日後に入水心中を試みた。なぜ、一家は保護開始を待てなかったのだろうか? 生き残った娘は、どのような判決を受けたのだろうか?
生活保護を申請した一家は
なぜ4日後に一家心中を決行したのか?
2016年7月10日の参院選は、改憲勢力の圧勝に終わった。私が最も気になるのは、日本国憲法第25条に定められた「健康で文化的な最低限度の生活」の今後だ。
何らかの理由によって実質的に「使えない」あるいは「使いにくい」社会保障・社会福祉は、人を殺す。あるいは人を傷つけ、部分的に殺す。これは「言葉のアヤ」ではなく、現在の日本で、現実に起こりつづけている出来事だ。
今回は、2015年11月に埼玉県で発生した一家心中未遂事件と、生き残った娘・Nさん(47)に対する裁判および判決を、生活保護ケースワーカー経験・社会福祉を専門とする大学教員経験を持つ寺久保光良氏のコメントとともに見てみよう。
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利根川介護心中未遂事件 「本当は生活保護なんて受けたくなかった」。逮捕後、三女が漏らしたという言葉の意味 (雨宮処凛) https://t.co/zcSjXNJ3u6 @HuffPostJapanさんから— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年7月15日
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11月22日未明、この川に、親子三人を乗せた車が突っ込んだ。同日朝、81歳の女性が川に浮いているのを近隣の人が見つけるが、既に死亡。その近くでは、女性の三女(47歳)が座り込んでおり、低体温症で病院に運ばれた。また、そこから約400メートル上流の浅瀬では、三女の父親(74歳)が遺体で発見された。
母親は長年認知症を患い、三女はその介護のため、3年前に仕事をやめていたという。一方、父親は74歳という高齢で新聞配達をして家計を支えていたものの、事件のちょうど10日前、頸椎損傷からくる手足の痺れなどを理由に仕事を辞めていた。
年金収入はなく、貯金もない。母親に対する殺人、父親への自殺幇助の疑いで逮捕された三女は、働けなくなった父から「一緒に死のう」と言われ、一家心中するつもりで川に入ったことを供述。これが「利根川介護心中未遂事件」の大まかな概要である。
この事件の報道を追っていくと、老いた両親を2人抱え、三女がいかに献身的に介護をしていたかを伝えるものが圧倒的に多い。十年ほど前にクモ膜下出血で倒れ、それをきっかけに体調を崩し、認知症が悪化していった母。三女は介護のため離職し、朝から晩までトイレやお風呂、食事の世話などに明け暮れた。
母親は大きな声を出すことなどがあったようだが、三女は声を荒らげることもなかったという。一方、父親はと言うと「気丈」という言葉がぴったりの、どこか昔気質の男性像が浮かんでくる。自らの妻の介護も介護サービスなどを一切使わず、「俺が最後まで面倒みる」と言っていたそうだ。
文字通り、「助け合って」いた家族は、なぜ死の道へ進もうとしたのか。この心中未遂事件で、もっとも解せないことがある。それは「事件直前に生活保護申請をしていた」ということ。「水際作戦で申請できなかった」などではなく、ちゃんとできていた。役所による家庭訪問も行われていた。その2日後に、一家三人を乗せた車は利根川に車で突っ込んだのである。
一体、何があったのか。そんな思いに取り憑かれていたところ、反貧困の活動をしている人々の間で「利根川の事件の調査をする」という話が持ち上がった。しかも生活保護申請をした役所の職員の方から話も聞けるという。そうして12月17日、私は都内から電車で1時間以上の、埼玉県深谷市まで向かった。
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https://t.co/XBMqrF6Afu「困窮している人が、困窮によって「惨め」「恥ずかしい」という思いを募らせ、「恥を受け入れるか、生きるのを諦めるか」の究極の選択を迫られる。これが、まっとうな先進国の姿だとは、私には思えない。」— 本田由紀 (@hahaguma) 2016年7月15日
生活保護の申請は権利。福祉事務所は申請を受理する義務がある。一緒に行ってくれる支援組織リスト付き。https://t.co/n4P6bpqOQY
— 宮武嶺 (@raymiyatake) 2016年7月18日
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