アメリカ社会がハマった「分断」の袋小路〜噴出する「反知性主義」 ”オバマの夢”が迎えた皮肉な結末 (森本あんり 国際基督教大学教授 現代ビジネス)https://t.co/Ybrzq0vWVh— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年7月15日
■オバマはムスリム!?
アメリカでは、教会の説教師は政治家のように語り、政治家は説教師のように語る、と言われる。しかし、近代の大統領でオバマ氏ほど自分の信仰について多くを語った大統領はいない。それは、彼ほど自分の信仰について執拗に尋ねられ、疑問を投げかけられた大統領もいないからである。
バラク・フセイン・オバマは、ケニア出身でムスリム系の父をもち、ハワイに生まれ、インドネシアのムスリム社会で育った。母方はカンザス州の伝統的なキリスト教系家庭の出身だが、オバマ氏がキリスト教徒になったのは成人して後、1985年にシカゴの地域組織化活動に携わってからのことである。
彼は、黒人教会が歴史的に果たしてきた役割の大きさを知り、シカゴのプロテスタント教会で洗礼を受けた経緯を、選挙の前にも後にも繰り返し語ってきた。
にもかかわらず、彼がイスラム教徒だと思っているアメリカ人は今でも少なくない。
昨年の調査では、29%がそう思っており、その数は共和党員に尋ねると43%、ドナルド・トランプ氏の支持者では54%にものぼる。教育程度の差も色濃く反映されており、オバマがプロテスタントだと知っているのは、大卒者では63%だが、そうでない人では28%にまで下がる。
ネット上には、オバマ氏本人や周囲の人が何を言おうとも、彼が「隠れムスリム」だと固く信じて疑わない人びとがいて、数々の「証拠」を論じ立てている。日本ではほとんど報道されなかったが、オバマ氏の結婚指輪が大問題になったこともある。
曰く、そこには「アッラーの他に神はいない」というアラビア文字の信仰告白が刻まれている、というのである。彼がイスラム教徒に好意的なのもそのためだ、という陰謀論である。
■反知性主義の発現形態
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■「国家の祭司」のような役割
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■統合への願いがはらむ皮肉な力学
7月7日に起きたダラスでの銃撃事件は、またしてもアメリカの根深い人種間分断を全世界に見せつけることになった。問題が深刻なのは、それが単発の出来事でなく、先行するいくつもの事件の上に重ねられたさらなる悲劇だという点である。
昨年6月にサウスカロライナ州チャールストンで起きた黒人教会銃乱射事件では、9人の犠牲者の中に同教会牧師で上院議員のクレメンタ・ピンクニー氏が含まれていた。オバマ氏はその葬儀で式辞を述べたが、彼はその機会を、銃規制の強化などといったいつもの政治的アジェンダを推進するのに利用することもできただろう。
だが、そうはしなかった――。
彼の心を深く捉えていたのは、母を殺害された娘が犯人に語りかけた「わたしはあなたを赦します」という言葉であり、息子を喪った母が語った「わたしの全身は痛みに呻いています。でも神があなたを慈しんでくださるように」という言葉だった。
オバマ氏は30分以上にわたる式辞を黒人教会の説教壇にふさわしく語り、赦しと和解こそが信仰の本質である、と締めくくったのである。それは、憎悪に分断された国を再び一つにしたいという、彼の政治的信念の中核でもあった。
ところが、まさにそのようなメッセージこそが、彼の反対者たちを苛立たせることになる。なぜなら、「赦し」は犠牲者の側からしか与えることができないからである。
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■和解の政治学
オバマ氏自身もそのことに気づいていないわけではない。
だから彼は、大統領になってからは、「人種カード」を切ることがほとんどなかった。アメリカの大統領は、黒人の代表ではなく、全アメリカ人の代表でなければならないからである。そして、これも彼を支持してきた黒人たちに不満を抱かせる原因となっている。
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時代は今、「理念による統合」を願ったオバマから、「利害による分断」を恥じないトランプへと向かっているようである。もしオバマが統合に失敗したとすれば、それはアメリカの失敗であり、アメリカのキリスト教の失敗なのである。
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