2012年8月12日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(25) 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その5)

東京 北の丸公園 2012-08-04
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(25)
 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その5)

キャメロンの実験の手口
患者の心を空白の状態にするため、キャメロンはさらなる武器を使った。
感覚遮断長時間にわたる睡眠である。
この二つのプロセスにより、患者の「心的防衛がさらに減じられ」、テープに録音されたメッセージに対する受容性が増すと彼は主張した。
CIAの資金が届くと、キャメロンはこれを使って病院の裏にあった古い馬小屋を隔離小屋に造り変え、さらに病院の地下を巧妙に改装して「隔離室」と呼ばれる部屋を造った。防音装置が施された部屋にはホワイトノイズが流され、照明は消されて、患者は黒いゴーグルとヘッドホンを装着させられる。腕から手の先までは筒状の段ボールですっぽり覆われるが、これは「自分の体をさわることができないよう、つまり自己イメージを阻害するため」であると、一九五六年の論文でキャメロンは書いている。だがヘップの学生がこうした徹底した感覚遮断に二、三日以上は耐えられなかったのに対し、キャメロンは何週間にもわたって患者を感覚遮断状態に置いた。なかには三五日間も隔離小屋に閉じ込められていた者もあった。

キャメロンはさらに患者の感覚を遮断するため、彼らを「睡眠室」と呼ばれた部屋に入れて、薬物で一日二〇~二二時間眠らせた。床ずれ防止のために二時間ごとに看護師が体の向きを変え、目を覚ますのは食事とトイレの時間だけだった。患者はこうした強制的な睡眠状態に一五~三〇日間も置かれたが、キャメロンによれば「患者のなかには、長ければ六五日間連続して睡眠状態に置かれる者もあった」という。病院のスタッフには、患者には口をきかせないよう、また睡眠室に何日間ぐらい入れられるかを教えないよう指示が与えられた。この悪夢のような処置から逃げ出すことができないよう、キャメロンはある患者グループには麻痺作用を持つクラーレという毒物を少量授与した。これによって患者たちは文字どおり自らの体の中に閉じ込められたのである。

「時間的・空間的イメージ」の除去
一九六〇年に発表した論文のなかで、キャメロンは「時間的・空間的イメージを維持する」 - 言い換えれば、私たちが自分は誰であり、どこにいるかを知るためには、「(a)継続した感覚入力、(b)記憶、という二つの重要な要素」が必要だとしている。
電気ショックを与えるのは記憶を除去するためであり、隔離小屋に閉じ込めるのは感覚入力を無効にするためだった。
時間的・空間的に自分がどこにいるかに関する患者の感覚を完全に失わせること。キャメロンは確固たる決意を持ってこれを達成しようとした。
出される食事を手がかりに時間の感覚を保っている患者がいることがわかると、キヤメロンは食事の時間を変えたり、内容を入れ替えさせたりした(朝食にスープ、夕食におかゆ、といった具合に)。「食事の間隔を変えたり、予測された内容とは違うメニューにすることによって、われわれは患者の時聞感党を崩すことに成功した」と、キャメロンは満足げに報告している。だが、こうした努力にもかかわらず、ある患者は毎朝九時に病院の上空を飛ぶ飛行機の「かすかな爆音」に気づくことで外界との関わりを維持した。

拷問と同じ手口
拷問の生存者の証言を見聞きしたことのある人なら誰でも、この話に胸が締めつけられる思いがするにちがいない。何カ月あるいは何年にも及ぶ孤独と残忍な仕打ちにいかに耐えて生き延びたのか、囚われの身になった人々に尋ねると、遠くの教会の鐘の音や、祈りの時間を知らせるイスラム寺院のアザーン、あるいは近くの公園で遊ぶ子どもたちの声を聞いていたと答えることがしばしばある。四方を壁で囲まれた独房で生きることを強いられた人にとって、こうした外の世界の音やリズムは一種の命綱、すなわち自分がまだ人間性を失っておらず、拷問以外の世界が存在することを確認するよすがとなるのだ。・・・

軍関係者へのアプローチ
キャメロン自身、拷問と同じ状況を作り出していた事実を十分自覚していたこと、また筋金入りの反共主義者であった彼が患者を冷戦への取り組みの一環として捉えていたことを示唆する材料はいくつかある
一九五五年、大衆雑誌によるインタビューのなかで、キャメロンは自分の患者を尋問を受ける戦争捕虜になぞらえ、「共産主義者に捕らえられた捕虜のように(治療に)抵抗する傾向が見られたため、精神的にまいらせる必要があった」と話している。
その一年後、キャメロンはデパターニングの目的は「心的防衛を実際に「減退させる」こと」だと書き、「これは継続的な尋問を受けた人間が神経衰弱に陥るのと似ている」としている。
一九六〇年には、キャメロンは感覚遮断に関する研究についての講演を精神科医だけでなく軍関係者を対象に行なうようになる。テキサス州のブルックス空軍基地で行なわれた講演で、彼は自分が精神分裂病の治療にあたっていることにはひとことも触れずに、感覚遮断は幻覚や強い不安感、現実感の喪失など、「精神分裂病の初期症状を引き起こす」と認めている。この講演のためのメモには、感覚遮断のあとに「過負荷入力」を施すと書かれているが、これは電気ショックと録音テープを際限なくくり返し聞かせることを指しており、さらにその後、尋問戦術が収られることを暗示している。

無意味で、愚かで、冷笑すべき過ちで済ませてしまおう
CIAは一九六一年までキャメロンの研究に資金を提供したが、アメリカ政府が彼の研究紡果を何に使ったのかは、長年不明なままだった。
七〇年代末から八〇年代にかけて、CIAがキヤメロンの研究に資金を提供していたことを示す証拠がようやく上院の公聴会で明らかにされ、患者たちがCIAを相手取って画期的な集団訴訟を起こすと、ジャーナリストや議員たちの多くはCIA側の説明をすんなり受け入れた。
すなわち、CIAが洗脳技術の研究を行なったのは、捕虜になったアメリカ兵を守るためである、と。マスコミの関心の大半は、政府が「アシッド・トリップ」(LSDによる幻覚)に金を出していたというセンセーショナルな部分に集中した。
実際、スキャンダルがついに明るみに出たとき、話題の大部分はCIAとユーイン・キャメロンがまともな理由もなしに多くの人々を実験台にし、その人生を台無しにしてしまったということに終始していた。
その時点では「洗脳」が冷戦時代の神話だというのは誰もが知ることであり、そんな研究は無意味なものだったと受けとめられた。CIA自身も、この筋書きを積極的に奨励した。
権威ある大学の拷問実験、しかも大いに効果を上げた実験に資金を出したと非難されるより、SFマニアどもが犯した失敗として冷笑を買ったほうがよほどましだったのだ。
最初にキャメロンに接触したCIAの心理学者ジョン・ギッティンジャーは上院の合同公聴会の証言台に立たされたとき、キャメロンに資金提供したことは「愚かな過ち……ひどい過ち」だったと述べた。この公聴会に召喚された(MKウルトラ)の元責任者シドニー・ゴツトリーブは、二五〇〇万ドルもかけたプロジェクトの関係書類をすべて廃棄するよう命じた理由について説明を求められると、「(MKウルトラ)プロジェクトはCIAにとって、なんらプラスの価値のある結果を生み出さなかったから」と答えている。
八〇年代、(MKウルトラ)に関する主流メディアの暴露記事においても、その実態を究明する書籍においても、キャメロンの実験は常に「マインドコントロール」や「洗脳」という一言葉で表現され、「拷問」という言葉は一度として使われていなかった。

(つづく)


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