1925年生まれ。京都府園部町(現・南丹市)の町議、町長、京都府議、副知事を経て、83年に57歳で衆院議員に初当選。自民党最大派閥の竹下派に所属。
小沢一郎氏が同派を割って離党した後も自民党にとどまり下野。自民、社会、さきがけの3党連立で政権に復帰。村山内閣の自治相・国家公安委員長として、阪神淡路大震災やオウム真理教事件に対応した。
自民党の幹事長代理を経て、小渕内閣の官房長官に就任。参院での自民党過半数割れ対策として、小沢氏率いる自由党との「自自連立」を経て、公明党を含む「自自公連立」を実現。続く森内閣では自民党幹事長を務め、加藤紘一元幹事長による「加藤の乱」を封じた。郵政の実力者として郵政改革を掲げた小泉首相と激しく対立した。
衆院当選7回。03年に政界を引退。いまも全国土地改良事業団体連合会会長。この組織の自民党色を薄めるため、民主党政権時に自民党を離党した。90年代から超党派の議員で訪中を重ね、中国共産党幹部と親交を深めた。
今だからこそ、この人に再び話を聞いてみたくなった。
ときに時代の流れに反しようとも、政敵・小沢一郎氏や旧大蔵省、小泉構造改革などに挑んできた。
激動の昭和を生き、90歳を前にしてもなお舌鋒衰えず、闘う姿勢をみせる野中広務さん。
「老兵」の目に映る、この国のいまと行く末は。
集団的自衛権行使
公明はなぜ折れた
ブレーキ役を担え
■安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。自民、公明両党も了承しました。
「内閣の解釈で憲法の基本を変えるなんて本末転倒でしょう。絶対にやってはいけない。
この問題の深刻さがようやく浸透してきて、この夏、地元に戻った国会議員は有権者の考えを肌で感じ取るはず。地方から大変な批判が出てくると思いますよ。それを、秋以降の国会論戦や個別法案の審議にどう生かせるか。
このままでは来春の統一地方選や次の衆院選で自民党は公明党とともに、必ず鉄槌をくらう。
現役の政治家の良識に訴えることが、私に残された仕事だと思うとるんです」
■白主憲法制定は自民党の党是です。手続きさえ踏めば、憲法は改正してもいいという考えですか。
「憲法を常に見直す態度は変えてはならない。ただ、すべての条文を同じように扱うべきではない。
9条があり、武力行使をしてこなかったから、戦後70年近く平和でおれた。9条は変えてはならないと思う」
■自民党と公明党の連立政権が最初に誕生してこの秋で15年。小渕内閣の官房長官だった野中さんが参院与党の過半数割れ対策として進めましたが、連立の生みの親として公明党の現状をどうみていますか。
「今回の集団的自衛権論議にしても、ある程度は自民党への歯止めになってくれたとみています。でも立党以来、平和を柱にしてきた党がどうして最後は折れてしまったのか、実は残念でならない。政権に居続けることを優先するような、そんなケチなことで動くとは思わなかったし、いまでも信じたくない。閣議決定前に会った創価学会幹部は『絶対に妥協しない』と本気だった。信じておったのに・・・」
「公明党側が『政権離脱』というカードを切れなかったどころか、逆に連立政権の組み替えの可能性や政教分離の問題というパンチを官邸側からくらってしまったんです。公明党の支持母体である創価学会の協力なくして自民党議員の8割は選挙で落ちますよ。公明以外との連立では自民は選挙に勝てない。今からでも遅くない。公明党が少しでもブレーキ役になってくれれば」
■かつての自民党は、宏池会(現・岸田派)に代表されるハト派が、タカ派的な勢力とバランスを保ってきました。今は、首相や内閣に注文や批判をすることはほとんどありません。
「自民党の多様性が失われてしまったんです。政治改革の名のもと、選挙制度を中選挙区制から小選挙区制に変えてしまったから。僕は守旧派というレッテルを貼られたけれども大反対した。
党本部が選挙区の調整やカネの配分に大きな権限を持ち、派閥の存在が薄れた。
党総裁である首相の意向に従う議員ばかりになり、党内の左右のバランスは崩れたんです」
「それを加速させたのが小泉(純一郎元首相)氏だ。あの時、自民党は大きく変わっちゃったね。
イラクへの自衛隊派遣に最後まで党内で反対したのは私と古賀(誠・元幹事長)さんら数人。私たちは孤立した。小泉氏が2度目の総裁選を制するとわかり、僕は政界引退を決意したわけですよ」
■田中派の流れをくむ党内最大派閥の「数の力」をバックに影響力を発揮した野中さんが、最後は「数の力」で引退に追い込まれた。なんとも皮肉ですね。
「もはや2人や3人のレベルで小泉改革の流れには逆らえなかった。ある意味、いいタイミングで引退したと思っている」
■ ■
■東西冷戦が終わり、米国での同時多発テロや北朝鮮の核開発、中国の海洋進出など、日本を取り巻く国際情勢が大きく変わってきています。現実に対応して日本の安全保障環境を整えることには、世論の一定の支持があるのではないですか。
「集団的自衛権の行使容認に至る道のりは、1991年の湾岸戦争から姶まっとるんです。日本の関与は当時、財政支援にとどまったけれど、次第に人的な貢献が課題になった。
僕が官房長官になった98年、公明党と連立を組む布石として『悪魔にひれ伏してでも』と当時の自由党党首の小沢氏(現生活の党代表)に連立を呼びかけた。しかし、彼は次々と危険な要求を突きっけてくる。そのひとつが、その後の自衛隊の活動範囲を広げる流れをつくった周辺事態法です。今さらいうても卑怯に聞こえるかもしれん。でも僕は金融不安の払拭に一生懸命で、法律が成立したあと『ああ、取り返しのつかんことをしたな』と。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない」
■野中さんは中国との太いパイプで知られます。軍備増強を続ける中国を日本が警戒するのはやむをえない面もあるのではないですか。
「日本人は中国とのつきあい方を知らんのですよ。いま議論されている内容が『抑止力』になるなんてまったく理解できません。かえって刺激するだけのことです。
いまの中国との関係悪化は、民主党の野田政権が尖閣諸島を国有化してから始まった。中国は国土全部が国有地だから、国有という意味を日本と同じような感覚では理解できず、絶対に認めることができないんです。いまの自民党が『あれは民主党政権時代にやったこと』と一線を引いておけば、妥協の道も採れたんです」
■前国家主席の胡錦濤体制で隠然たる力を持った曽慶紅・元国家副主席とは大変親しい。昨年の訪中で19回目の面会をしたそうですね。
「彼とは心の底から話し合える間柄です。お互い双方の立場を理解していました。
中国と韓国とは一刻も早く和解しなきゃだめなんですよ。
尖闇の在り方と、安倍晋三首相が『在任中は靖国には行かない』とはっきり言うこと。ただし、これには役者がいる。たとえば福田(康夫元首相)さんのような人を政府特使にするんであれば、僕はいくらでも陰で支えるつもりですよ」
「偶発的な接触から、いつ戦争が起きるかわからない。その可能性を除去しておかないといけない。自衛隊は戦争にいかない前提で入隊した人たちが多いから、実際に行けといわれたら辞める人も多いはず。その次に何がおきるか。国防軍ですよ。いずれ必ず徴兵制がやってくる」
■ ■
右向け右のこの国
たまには左向け
戦争の傷痕を見よ
■来年は戦後70年。終戦時に20歳だった人も90歳になる。戦争を知らない世代が戦争の悲惨さを実感するのはなかなか難しいことです。
「70年もたつんだから当たり前ともいえるし、70年も平和だったから教育を怠ってきたともいえる。このままじっとしているわけにはいかへん。学校教育や報道、アニメなどの作品を通して社会で戦争の記憶を語り継ぐしかない」
「去年、特攻隊を措いた小説『永遠の0(ゼロ)』を2度読んで泣き、映画館に足を運んで3度目の涙を流した。その後、この作品を描いた百田尚樹氏が反戦ではなく、強い日本という正反対の方向を向いているとわかって幻滅ですよ。泣いたことをすごく後悔した」
「日本はみんな右向け右なんです。たまには左を向けよ、と言いたい。これは島国DNAなんでしょう。結局、みんなと同じ方向を向いているほうが安心感がある」
■この秋で89歳になる野中さんも、かつては軍国青年だったのではないですか。
「だからこそ、わかるんです。いまの社会の空気はどこか似ている。1945年3月、召集令状を受け取り、僕は『いよいよ一人前になった』と思った。天皇陛下のために死ぬのが日本に生を受けた人間の責任だと。そんな教育ぽっかり受けとったわけだから」
「ちょうど大阪に焼夷弾が次々と落とされたころですよ。大阪鉄道局の職場仲間が涙を流して夜中の列車を見送ってくれた。本土決戦に備えて到着した高知では、内心『これで勝てるのかなあ』と。刀は竹、水筒はゴム製、軍靴は支給されたけど死ぬ時にはけといわれ、普段は地下足袋。中国へ出征すると聞かされていたけれど、船がなく、塹壕掘りばかり・・・。そして終戦です」
■集団的自衛権の行使容認を含め、安倍政権は戦後日本のありようを大きく見直そうとしています。
「戦争がどれだけ深い傷痕を国内外に残したか、もっと謙虚にあの時代を検証してほしい。
『戦後レジームからの脱却』いうてね、歴史を消してしまうようなやり方は間違っている。それは国際社会への復帰につながった東京裁判も否定する。だから安倍さんはA級戦犯が祀られている靖国神社に参るんですよ」
「政権批判をするたび『売国奴』などといわれ、家族を含めて大変な目におうてきた。
けど、僕がいわなければ誰がいう?
戦争が繰り返されたら、我々世代のつらい経験は『無』になってしまう。
あの戦争で亡くなった人々の無念さを伝えなければ、死んでも死にきれない」
(聞き手・梶原みずほ)
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・読み易さのため適宜段落を施した。
・文中に太字を付した。
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