正治3/建仁元(1201)年
10月7日
・定家、遅明に松明を取って、路に出で、井口の王子に参ず。此所にて御幸を待つ。忠信少将、輿に乗りて来会し奉幣、語りていう、昨日足を損ずと。
小時ありて臨幸。騎馬にて池田の王子に参ず。此所に於て琵琶法師を引かれ、物を給わる。
これより先陣、浅宇(あさ)河の王子に参ず。御幸を待たず、又前陣して鞍持の王子に参ず。昼養の所に駈け入る。
食終りて、胡木(こぎ)の王子に参ず。これより御所、昼の御宿。サ野の王子に参ず。ついで籾井の王子に参じ、御幸を相待つ。
良々(やや)久しくして臨幸。御奉幣、里神楽、乱舞拍子相府(大臣)に及ぶ。ついで白拍子加わり、五房・友重が舞う。ついで相撲三番。騎馬して厩戸(うまやど)の王子に参ず。
即ち宿所に馳せ入る。例の如く萱葦三間の屋あり。御所いささか近し。かえりて恐れをいだく。
戌の時(午後8時頃)許りに、召しありて参上、御前に入る。厩戸王子歌会。二首を講ぜられる。御製又もって殊勝。
夜に入りて二首当座あり。愚歌。
詠み上げ終りて人々詠吟。すなわち退出す。通親・通具・大弐・三位中将・定家・定通・長房・通方・信綱・家長・清範等なり。
10月8日
・晴天。定家、払暁道に出でて、先達一之瀬の王子に参ず。又坂の中にて祓。ついで地蔵堂の王子に参ず。次にウハ目王子(馬目王子)に参り、次いで中山の王子、山口の王子、川辺の王子、中村の王子に参ず。ついで昼養の仮屋に入る。所従等の沙汰なし。その所甚だ荒る。この所に於て非時の水コリあり。御幸を相待つ。
先ず出でて、御禊所を儲く。日の前の宮(日前(ひのくま)・國懸(くにかかす)大神宮)に御奉幣なり。定家、御幣使となる。神馬二匹を引かしむ。社頭甚だ厳重、浄衣折烏帽子甚だ凡なり。ただし道の習い、何をか為さんや。
御幣を取る。黄衣(冠)の神人を以て、中門の戸の内に入らしむ。庁官御詣経の物を相具す。僧等貧乏の由を申す。先例に似ずと。頗る非興なり。
遠路を凌ぎて道に出で、なくちの王子、松坂の王子、松代の王子、菩提房(ぼだいぼ)の王子・祓戸(はらいど)の王子に参ず。松代の王子あたりで乳飲み子を抱いた盲女(「有盲女懐子」)を見る。
ついで藤代の宿にいる。窮屈、平に臥す。
10月9日
・晴天。定家、朝の出立、頗る遅々の間(朝寝坊をしてしまった)、(藤白)王子に出づ。すでに王子の御前にて御経の供養などありと。営み参ずるといえども、白拍子の間、雑人多く立ち隔てて路なし。あながちに参ずるあたわず、逐電す。
藤代の坂を攣じ昇る。道崔嵬(さいかい)あやうく、恐れあり。又眺望の遠海、興なきにあらず(和歌ノ浦、雑賀崎、友ヶ島、淡路島、四国の島かげが望める)。
坂の頂上である塔下(とうげ、峠)の王子に参ず。ここからは道は下り、橘下(きつもと)の王子、所(トコロ)坂の王子、一壺(いちつぼ)の王子に参ず。ついで蕪坂(かぶらざか)峠を昇り、蕪坂塔下(とうげ)の王子に参ず。また崔嵬。ついで山口の王子に参ず。ついで昼養所に入る。
ついで有田川を渡り、糸鹿(いとが)の王子に参ず。又峻岨を凌ぎて、糸鹿山を登る。山を下るの後、サカサマの王子(水逆流す)に参ず。
次いで又今日の御宿(湯浅)三四町許りを過ぎ、小宅の宿所に入る。
上(国)より例の仮屋ありといえども、この家主、雑事を儲くるに依り此所に入る (文義知音の男と)。これより先、又文義従男宿所を取るにより、先ず小宅に入るの間、件の宅憚りあるの由これを聞きつく。
よって騒ぎて出で、此所に宿る。この憚りは、父の喪、七十目許りという。先達は憚りなしという。然りといえども、臨時に水をかきて(水をかけ、水コリ)、景義を以て祓わしめた。又思う所あるにより、潮垢離をとりてかく。これ臨時の事なり。
「此の湯淺の入江の邊り松原之勝景竒特也り」
湯浅王子歌会。家長題二首を送る。詠吟窮屈の間、甚だ術なし。秉燭以後、又立烏帽子を着け、一夜の如く参上。小時ありて、蔀の内に召し入れられる。仰せによりて講師。
今日また二首の当座。
つづく
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