2023年5月19日金曜日

〈藤原定家の時代365〉建仁2(1202)年6月14日~29日 定家、「水無瀬釣殿当座六首歌合」で後鳥羽が定家の歌に合わせたのを知る 「炎暑の間、衆病競い起り、甚だ術なし」(「明月記」) 定家、為家を伴い日吉社に参籠(6/21~27)    

 


〈藤原定家の時代364〉建仁2(1202)年6月5日~13日 定家、水無瀬御幸に供奉(5/28~6/13) 「水無瀬釣殿当座六首歌合」 おもひつつへにける年のかひぞなきたがあらましのゆふぐれのそら(後鳥羽院) 水無瀬の御所に洪水が及ぶ それでも後鳥羽院は遊覧に出かける遊狂ぶり より続く

建仁2(1202)年

6月14日

・雨を凌ぎて、大内に参ず。陽明門の内、牛を放ち飼うの間、ひしめきあいて、甚だ狼籍す。殿舎を破壊し、雨露留まらず。露台傾け破る。怖畏多端なり。

人の見ざるにより、ひそかに宣仁門に入り、東階を昇り、長橋を通る。不当の路か。蔵人を尋ね、御膳を朝夕供し終る。掌侍に謁して、追出す。(『明月記』)

6月15日

・定家、『水無瀬釣殿当座六首歌合』の定家詠と御製を番え勅判を付した一巻を賜る。

八条殿に参じ、先ず中将殿に参ず。見参するの間より、家より小冠奔り来る。清範相尋ねるの由を示す。仍て馳せ帰りて参ず。清範いう、参ずるの由を申すの処、此の一巻を給わり、見るべき由の仰せ事あり、よって尋ね申すと。水無瀬の愚詠、御製に合せられ、御判ありと。面目過分、畏み申すの由、申し候い終りて退出す。(『明月記』)

6月5日の「へにける年」の歌は、後鳥羽院が、定家の歌と合せたということがわかる

6月16日

・定家の妻、不食・痢病を病む

今日籠居。昨今、妻不食の気あり、又痢気あり。特に病の如きものでない。しかし殊に恐ろしく思う。(『明月記』)

6月18日

・夜月明し。出で行かず。河上に御幸と。推参の心ありといえども、馬なきによりて参ぜず。

酉の時許りに、八幡別当俄に入来、これ好士によりて、かくの如き芳心あり。やや久しく閑談す。

夜に入りて、妻は三条坊門に宿る。明日より、日吉の精進を始めるためである。(『明月記』)

6月19日

・定家、脚痛む。六社奉幣に参仕。

6月20日

炎暑の間、衆病競い起り、甚だ術なし。少輔入道(寂蓮)来る。相乗りて俊成宅に参ず。(『明月記』)

6月21日

・定家、為家を伴い日吉社に参籠。~27日。

日吉社に参詣。大雨にて、大津辺の湖水、室字に及ぶ。よって吉富庄の卜井丸を召し出し、船に乗り、戸津より騎馬す。為家相具し、乳母共に輿で行き、馬場大路角の小屋に入る。雨の隙を待って宮を廻る。これ四五日、病気不快、不食の間、身甚だ弱く、歩行なす方なし。終夜、病悩す。通夜するあたわず。(『明月記』)

6月22日

・心神甚だ悩み、別の病の如し。これ日来の風邪か。

午の時許りに、小浴し発汗、いささか起居す。

夜宮を廻る。通夜に参ず。(『明月記』)

6月23日

・心神又悩む。「今日ノ暑気甚ダシキノ間、小屋煮ルガ如シ」。

夜に入り相扶けて宮廻り。通夜せず。伊勢の小屋に宿す。いささか涼しきに似たり(『明月記』)

6月24日

・定家、法華八講を修す

心神頗るよろし。巳始ばかりに御前に参ず。八講を修するによるなり。今夜仏教供養を継遂ぐるため、全くここに参籠す。しかれども、身病殊に不快なり。講師什円に定めあり、燭を遣わすのところ、重病にて下山するあたわず。宿願、その事によるべからずといえども、この事を相期して来らざるか。延ばすべきの由、心中にこれを存ず。すなわちその儀を止めて、ただ八講を修す。王子宮の彼岸所を借りて、これに宿る。炎暑術なきによる。心神頗るよろし。夜に入り、宮廻りて通夜。(『明月記』)

6月25日

・「尼御台所左金吾の御所に入御す。これ御鞠会連日の事たりと雖も、未だ行景以下上足を覧玉わざるに依ってなり。」(「吾妻鏡」同日条)。

その後の御所での酒宴の際、政子は、頼家の傍らにいた壱岐判官知康(いきのはんがんともやす)の傍若無人の振る舞いを見て、知康は義仲の後白河御所襲撃の原因を作り、義経にも同意をした人物で、頼朝の憤りも深く、官職から罷免して追放するよう朝廷に申請した経緯のあるにもかかわらず、頼家が寵愛するのは、頼朝の本意に背くものだといって、その翌日、御所から帰ってから不興を示す。(『吾妻鏡』6月26日条)

6月25日

・病気なお不快。夜に入り、宮廻りて通夜せず。今夜、ひとえに病を事とし、日数を過す。(『明月記』)

6月26日

・夜に入りて宮廻り、又通夜せず。終日、身甚だ弱し。(『明月記』)

6月27日

・夕に奉幣、夜通夜す。(『明月記』)

6月28日

・暁、社頭を出づ。船に乗り、大津に於て騎馬。午の時以前に、冷泉に帰り着く。八幡別当鴇毛の馬を引き送る。芳志の甚だしきなり。(『明月記』)

6月29日

・定家、不食を病む。7/7

巳の時許りに、院に参ず。不食所労。数日を経、無力殊に術なし。よって早く退出。

今夜、荒所の祓、例の如し。

近日巷説、狂事により、家毎に仏を摺りて供毒すと。此の家、昨日これを遂げる。今夜、鬼気祭を修す。但馬の国の僧の夢想によると。(『明月記』)


つづく


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