正治3/建仁元(1201)年
11月2日
・頼家、「御所の御鞠。」回数は360回。(「吾妻鏡」同日条)。
11月3日
・後鳥羽上皇、勅撰集(『新古今和歌集』)編纂の勅(「上古以後ノ和歌、撰進スベシ」との院宣)。選者は藤原定家・藤原有家・源通具・藤原家隆・雅経・寂蓮の6人。通具は内府通親の名代、有家は六条家を代表、定家は御子左家を代表、雅経は歌才によって、という勢力分布。
11月4日
・定家、嵯峨に行く。6日帰京。
11月8日
・定家、『仙洞句題五十首』詠進
11月13日
・定家、向殿に参じ、両羽林殿と終日雑談。あるいは馬を見、或は書をみる。咳病又発る。心神甚だ悩む。~19日。
11月13日
・佐々木経高、鎌倉に到着。頼朝の月忌を迎え法華堂で法華経六部を供養。
「佐々木中務入道経蓮御気色の事免許を蒙るに依って、これを賀し申さんが為、去る比参着す。」。
11月14日
・定家、咳病更に増し、為す方なし。腹痛・風病計り合う。「是レ物詣デノ水ノ所為カ」。沐浴平臥す。
11月18日
・定家、咳病いささかよろし。よってたちまち思い立ち、精進を始める。
11月19日
・定家、咳病昨日に同じ。為家、夕より発熱、終夜苦しむ。
11月20日
・朝後、為家、別の事なし。定家、日吉社に参詣、夜宮廻りして通夜。
11月21日
・山雪飛びて甚だ寒し。定家、日出づる程に帰宅す。咳病頗るよろしきに似たり。よって節会に参じる。
11月23日
・定家、鳥羽殿の美福門院月忌仏事に参仕
11月24日
・定家、良輔家作文
11月25日
・定家、院影供歌合。景勝光院の仏事に参仕。
11月26日
・定家、安楽寿院の仏事に参仕。
11月28日
・定家、後鳥羽院鳥羽御幸に参仕。12月22日の還御までの間、しばしば参仕。
11月29日
・定家、御堂、鳥羽殿の仏事に参仕。
宰相中将通具と、今夜閑かに雑談、新妻の事等を語る。誠に当初の本意を失するといえども、旧妻更に離別すべからざるの由、会尺の言葉などあり、もしくは実儀たるか。恨みをなすべからざるか。近代の法、只権勢を先となす。何をかなさんや。
通具は、述懐して、父通親の命により、権門の新妻を入れたが、旧妻俊成卿女と離別する気はないと言いわけをする。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿