2023年5月8日月曜日

〈藤原定家の時代354〉正治3/建仁元(1201)年11月2日~29日 頼家の蹴鞠への執着続く 後鳥羽院、『新古今和歌集』編纂の勅(「上古以後ノ和歌、撰進スベシ」との院宣)   

 


〈藤原定家の時代353〉正治3/建仁元(1201)年10月19日~27日 後鳥羽院熊野御幸(定家随行) 那智にて歌会二座(10/19) 本宮泊(10/20) 近露泊(10/21) 田辺泊(10/22) 湯浅泊(10/23) 信達泊(10/24) 水無瀬泊(10/25) 帰京(10/26) 日吉社参詣 より続く

正治3/建仁元(1201)年

11月2日

・頼家、「御所の御鞠。」回数は360回。(「吾妻鏡」同日条)。

11月3日

・後鳥羽上皇、勅撰集(『新古今和歌集』)編纂の勅(「上古以後ノ和歌、撰進スベシ」との院宣)。選者は藤原定家・藤原有家・源通具・藤原家隆・雅経・寂蓮の6人。通具は内府通親の名代、有家は六条家を代表、定家は御子左家を代表、雅経は歌才によって、という勢力分布。

11月4日

・定家、嵯峨に行く。6日帰京。

11月8日

・定家、『仙洞句題五十首』詠進

11月13日

・定家、向殿に参じ、両羽林殿と終日雑談。あるいは馬を見、或は書をみる。咳病又発る。心神甚だ悩む。~19日。

11月13日

・佐々木経高、鎌倉に到着。頼朝の月忌を迎え法華堂で法華経六部を供養。

「佐々木中務入道経蓮御気色の事免許を蒙るに依って、これを賀し申さんが為、去る比参着す。」

11月14日

・定家、咳病更に増し、為す方なし。腹痛・風病計り合う。「是レ物詣デノ水ノ所為カ」。沐浴平臥す。

11月18日

・定家、咳病いささかよろし。よってたちまち思い立ち、精進を始める。

11月19日

・定家、咳病昨日に同じ。為家、夕より発熱、終夜苦しむ。

11月20日

・朝後、為家、別の事なし。定家、日吉社に参詣、夜宮廻りして通夜。

11月21日

・山雪飛びて甚だ寒し。定家、日出づる程に帰宅す。咳病頗るよろしきに似たり。よって節会に参じる。

11月23日

・定家、鳥羽殿の美福門院月忌仏事に参仕

11月24日

・定家、良輔家作文

11月25日

・定家、院影供歌合。景勝光院の仏事に参仕。

11月26日

・定家、安楽寿院の仏事に参仕。

11月28日

・定家、後鳥羽院鳥羽御幸に参仕。12月22日の還御までの間、しばしば参仕。

11月29日

・定家、御堂、鳥羽殿の仏事に参仕。

宰相中将通具と、今夜閑かに雑談、新妻の事等を語る。誠に当初の本意を失するといえども、旧妻更に離別すべからざるの由、会尺の言葉などあり、もしくは実儀たるか。恨みをなすべからざるか。近代の法、只権勢を先となす。何をかなさんや。

通具は、述懐して、父通親の命により、権門の新妻を入れたが、旧妻俊成卿女と離別する気はないと言いわけをする。

つづく


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