2023年5月5日金曜日

〈藤原定家の時代351〉正治3/建仁元(1201)年10月13日~15日 後鳥羽院熊野御幸(定家随行) 滝尻王子歌会(10/13) 近露王子歌会(10/14) 發心門泊(尼南無房宅、10/15) 「此ノ王子ノ宝前、殊ニ信心ヲ発ス。紅葉風ニ翻ル。」    

 

神坂次郎『藤原定家の熊野御幸』(角川文庫)


正治3/建仁元(1201)年

10月13日

・天晴(てんはる)。定家、天明御所に参ず。御先達参じて御拝所を儲く。近臣の人々未だ出でざるの間、早く出でて前陣。

秋津の王子に参ず。春宮権太夫(とうぐうごんのだいふ)が参会する。又山を超え、丸の王子、三栖の王子、ヤカミの王子、稲葉根の王子に参ず。ついで昼養の宿所に入る。

馬、此所よりとどめ、師に預け置く。これより歩みて、石田河を指して渡る。先ず、一の瀬の王子に参じて、これを渡る。ついで鮎河(あいか)の王子に参ず。河の間、紅葉浅深の影、波に映ず。景気殊に勝る。河の深き処、股に及ぶ。

ついで崔嵬嶮岨を昇りて滝尻の宿所に入る。河瀬の韻、巌石を犯すの中なり。(川瀬の音が岩石を犯すような瀬音のなかにある宿所である)

夜に入りて題を給う。滝尻王子歌会。即ちこれを詠み、持ちて参ず。例の如く、披講の間に参入、読み上げ終りて退出、此の王子に参じて、宿所に帰る。

一寝の後、輿に乗る。師沙汰するの力者十二人、あらかじめこれを示しつく。件の法師原の装束十二、相具す。師に布施を送る。紺の藍摺りの上衣ばかりなり。頭巾同じく相具す。

今夜、昼養の山中に着く。此の所不思議奇異の小屋なり。寒風甚だ堪え難し。

この日は、歌の会が終ってから、夜中に輿に乗って、山中の宿に赴いている。
10月14日

・晴天。定家、天明に山中の宿を出て、重照の王子、大坂本の王子に参ず。

ついで山を超え終りて、日出づるの後近露の宿所に入る。

滝尻より此処に至りて、崔嵬(さいかい)陂池(ひち)、目眩転し、魂恍々(茫然)たり。昨日河を渡りて、足いささか損ず。よってひとえに輿に乗る。

午終の時許り御幸。

題を給わる。近露王子歌会。只今の披講、長房朝臣注してこれを送る。驚きて即ち持ち参ずるも僻事なり。供御の間と。即ち退出す。

秉燭以後に又参上す。やや久しくして召しあり、御前に参ず。又読み上げ終わりて退出す。

亥(午後10時)の時、輿に乗りて河を渡る。即ち近露の王子に参ず。ついで比曾原、継桜、中の河、イハ神に参ず。

夜中に湯河の宿所に着く。路の間、崔嵬、夜行甚だ恐れあり。寒風なす方なし。時ならぬ水コリ。

この日もまた、歌会後、輿に載って夜中に移動。
10発15日

・天晴。

定家、天明の後、水(コリ)、御所を見て禮し了る。

又出道今日の王子は湯河、次に猪鼻、次に發心門。

午時ばかり發心門に着き、尼の南無房(なむぼう)宅に宿す。此の宿所、尋常なり、件の尼京より参会。相逢いて会釈す。着る所の袖を給う。

此の道の間、常に筆硯を具せず。又思う所ありて未だ一事をも書かず。他の人大略、王子毎に署を書く。此の門の柱に、始めて一首を書きつく。

「此ノ王子ノ宝前、殊ニ信心ヲ発(おこ)ス。紅葉風ニ翻ル。」。宝殿の上に、四五尺の木、隙なく生う。これ多く紅葉なり。
社の後、尼南無房の堂此れ有り、此内に又一首書き付く、後に聞くに「此ノ尼制止シテ、物ヲ書カシメズ上云々。知ラズシテ書キ了ンヌ。」

夕に又水わたりて、王子に出づ。月、山を出づるの間なり。

今日の道、深山樹木多し、苺苔あり、木の枝に懸りて、藤が枝の如し。遠見するにひとえに春の柳に似たり。

つづく

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