建仁2(1202)年
8月27日
・定家、妻の所縁の尼上が冷泉邸に同居。新仏堂を造って迎える。
健御前、奈良人を相具し、九条に渡らる。
「今夜、坤(ひつじさる、西南)の新屋に尼上渡り宿さる。女房年来この事を懇望す。仍て日来形の如くに造営せしなり。半作と雖も、宿し始められ了んぬ」
為家、なお所悩軽からず、資元朝臣を以て、痢病の祭を修せしむ。(『明月記』)
8月29日
・去る夜の夢に、家長・重輔等があらわれ、家長が定家に鳥の足を与える。定家が食べようとすると、それは雁の足であった。
「雁ノ足は、書帛(しよはく)、愁ヲ述ベテ天子ニ達シ、其ノ賞ヲ蒙ル者ナリ。今、之ヲ得、心中ノ本望叡聞ニ達シ、悉ク成就スベキノミ。忠臣ノ心ヲ表ハシ、聖主ノ恩ヲ蒙ル。何ノ疑ヒカ在ラン。」
(定家の愁いが天子に達する夢占と解く。雁足は、漢の蘇武が匈奴に囚われ、帛(絹)に書いた手紙を雁の足に結んで漢帝に送った故事に基づく。)
夕、九条に向う。奈良人尼上に謁す。
院より清範をもって十五首の題を給わる。明日詠進せよと。(『明月記』)
8月30日
・卯の時、和歌を書きて清範の許に送る。
日吉に参ず。健御前を相具す。竜寿御前又昨日参籠、相謁す。夜に入りて宮廻り、通夜。(『明月記』)
9月1日
・定家、日吉社にて小仏・仏経供養の後、帰京。
9月2日
・定家、八条院の鳥羽院月忌仏事に参仕。終わって、寂連の旧跡に向かい仏事。
院に参ず。退出して八条院に参ず。退出して故寂蓮の旧跡に向う。良経の許に参じ、見参の後、宜秋門院に参じ、九条に宿す。(『明月記』)
9月4日
・心神甚だ悩む。相扶けて院に参ず。(『明月記』)
9月5日
・招請により、典薬頭来る。灸点を加う。馬を引きて与う。(『明月記』)
七ヶ所の灸。馬は治療代である。7日まで灸治。
9月6日
・定家、後鳥羽院より歌合せ二巻(「千五百番歌合」)を賜り、判を付すことを求められる。
今日又、腹股肩などに灸。
「長房朝臣奉行し、歌合二巻をたまはり判を進ずべき由仰せらる。去年の百首歌なり。判者十人と云々。その人を知らず。」(『明月記』)
9月7日
・膝脚などに灸。近日、小瘡甚だ術なし、これ風の致す所か。小浴して発汗。心神殊に悩む。(『明月記』)
9月9日
・定家、越中内侍を通じて、翌日の水無瀬御所への御幸に父子で同行するよう指示され、これを俊成に伝える。また、6日には、前年の「『千五百番歌合」の2巻(「秋四」「冬一」)の歌の判をすべき旨命じられている。
参院。明日、水無瀬一定と。今日、御供人を別に仰せられる由。但し、越中の内侍をもってうかがうの処、参ずべきと仰せられる。又十三夜の歌合の料、俊成参ぜせしめたまうべきの由、仰せ事ありとのことである。よって俊成の許にゆき、この由を申すところ、咳気ありといえども、参候すべぎの由、仰せられる。このこと書を以て越中の内侍に達し帰宅。(『明月記』)
9月10日
「三嶋社祭、江間の四郎主奉幣の御使いたり。今日御鞠三箇度有り。」。(「吾妻鏡」同日条)。回数は、朝270回、160回。昼280回、230回。夕方130回、390回、550回。
北条義時(39)、鶴岡宮放生会に頼家に供奉。
9月10日
・定家、後鳥羽院の水無瀬御幸に参仕。~16日。(院の水無瀬御幸は30日まで)
早旦、法性寺の御堂に参ず。灸治所労のため、仏事不参の由、信光を以て申し入れ退去。九条にて輿に乗り、閑字多幾路(かうだきち)より直ちに水無瀬に参じ、宿所に入る。
未の時許りに参上す。今度は、遊女参ぜず。出でおわしますの後、退下す。(『明月記』)
9月12日
・通夜。早旦、宝寺に行きて沐浴(灸治、術なきにより住僧に語る)。未の時ばかりに宿所に帰る。
酉の時許り、俊成入りおわします。御船を道清法印に借り、御輿にてこれより進め船を下す。すべてのところ甚雨にて漏湿し、甚だ堪え難し。(『明月記』)
9月13日
・夜、『水無瀬殿恋十五首歌合』
前日から俊成が参じ、判者をつとめる。良経・慈円は、この日に参上。歌合終って後帰洛した作者は、後鳥羽院・良経・慈円・公継・俊成卿女・宮内卿・有定・定家・家隆・雅経。講師は、家隆と定家。
「朝、天漸ク晴ル。雲靄、悉ク尽ク。夜、月清明ナリ。巳ノ時許リニ参上ス。人々多ク雁衣ヲ着ス。左大臣殿、御早参アルペシト云々。午終許リニ、布衣ヲ着シテ、頻リニ彼ノ御参リヲ相待タル。遊女ノ宿屋ヲ以テ、彼ノ御休息所トナス。時刻漸ク移ル。申始許リニ、御参りト云々。僧正御房先ヅ参ジ給フ。次デ大臣殿(御車)・有家・資家御共シテ、直チニ弘御所二参ゼシメ給フ。入道殿、早ク参ジ給フベキノ由、仰セ事アリ。頻りニ其ノ由ヲ申ス。御参リノ後、出デオハシマス。
十五首ノ恋歌ヲ合セ講ゼラル。予、例ノ如クニ之ヲ読ム。有家朝臣・雅経伺候ス。作者ノ外、内府着座セラル。漸ク秉燭ニ及ブノ後、評定了り、当座ノ題ヲ出ダサル。小瘡ノ灸治、旁々術無シ。
題、月前秋ノ嵐、水路ノ秋月、暁月ニ鹿ノ声。詠ジ出ダシ了リ、仰セニ依リテ又之ヲ読ミ上グ。又折り句アリ(ジウサムヤ)。十三夜、詠ジ出シ了リテ、又之ヲ讀ミ上グ。又隠シ題アリ。ミナセガハ。又詠ジ出シ、読ミ上ゲ了リテ、入リオハシマス。
人々退出ス。入道殿出デシメ給ヒ訖ンヌ。予、大臣殿ノ御宿所ニ参ズ。御膳アリ(御所ニ儲ケラルト云々)。此ノ間、御馬御牛ヲ引力ル(大臣殿御馬、僧正御房牛)。各々出デテ御覧ズ。長房御使、畏ミ給フ由ヲ申サシメ給ヒテ、還リ入ル。御膳了リテ即チ入ラシメ給フ。騎馬シテ、御船ニ参ズ。下りテ宿所ニ帰ル。心神ナス方無シ。」
白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く 定家
面影の霞める月ぞ宿りける春や昔の袖の涙に 俊成卿女
定家の「白妙の袖」は、『新古今集』入集、『新古今集』恋五の巻頭に、院の命によって置かれた幽玄きわまる歌。
つづく
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