元久2(1205)年
2月21日
・藤原親経、撰集真名序を奏覧する。
和歌所に参ず。晩、家長又杯酌。左大弁、撰集の序を持ちて参ず。今日奏覧。(『明月記』)
2月22日
・恋部、釈教部の部類を終る
巳の時、和歌所に参ず。宗宣・家長・具親・秀能これを切り継ぐ。良経参ず。障子を開きて御覧ず。この間、院神泉苑に御幸。良経退出。具親破子を取り出す。酒を巻物の如き竹筒に入る。秉燭に退出す。
今日、恋の部、釈教の部を終る。雑の部多きの間、人数多きの時を相待つ。神祇の部を取り出す。予、喪中の身にて憚るにより、この部恐れある由、家長に示す。神の歌、甚だ多し。又神の歌の次第、もっとも測り難し。一旦の沙汰をなすといえども、万代の証拠に備うべし。暗に神の御名字を列する、恐れ極まりなし。よって手を交えず。(『明月記』)
2月23日
・定家、酒肴を儲ける(和歌所に酒肴を持参)。25日に定家が担当する饗宴の準備(和歌所から食器類を借りている)。20日に家長が、22日に具親が、夫々担当して実施した。
今日、院中御神事の由、昨日これを聞く。籠居せんと欲するの間、午の時、家長、御神事延引参ずべき由を示す。家隆・総州・宗宣等あり。又切り継ぐ。小暗ありて大炊殿に御幸、御鞠と。
此の間、予、酒肴等を儲く。即ち参じて、これを取り据える。家長、清範等帰り来りてこれを見る。饗応の詞を加え、取り破らず、院の見参に入るべき由、相議す。予、左右を答えず。遂に破らずしてこれを置く。長檀一。酒肴の様、土高器を小さき折敷に据える。柏を敷き、海松を盛って柏を覆う。其の柏に、(わだつみのかざしにさすといはふもも)の歌を書く。又折敷に絵かきて盃を据う。瓶子、紅の薄様を以て口をつつみ、実には鳥の汁を入れる。花橘を小さき外居(ほかい)に入れ、外居の紙立(こうだて)に、〈昔の人の袖の香〉の歌を、文字木にて書く。その下を三重、中を分けて菓子六種を入れる。ひじきを又外居に入れる。ひじきの物には、袖をの歌を書き、その下に魚島六種を菓子の如くに入る。青き瓶は口をつつまず、藤の花をさす。これは糸を以て結び、その房、殊に長し。件の瓶に酒を入れる。下絵を描いた檀紙を立文に作りて、その中に箸を入れる(表書に、武蔵あぶみと書く)。外居に飯を入れ、その上に錺(かざり)ちまきを積み入れて、飯をかくして見せず。以上を取り据えた。この外、密々に土器酬等を相具し、閑所に置きて取り出さず。伊勢物語の内の物なり。昏黒、雑の上の部、切り入れ終りて、各々退出す。此の間に、院還御と。(『明月記』)
定家の酒肴は、まさしく趣向にて、風流を尽くしたものである。非常に繊細な美しい儲け様である。撰歌も、この様な息抜きの遊びがあってこそ、長期に捗って進められたのであろう。
〈堀田善衛による現代語訳〉
「・・・饗応の品々は長櫃(ながびつ)一箇に入っている。その中の酒肴の様子、以下の如し。
土の高器(たかつき、坏=脚つきの台)を小さな折敷(をしき、檜の片木で作った角盆)の上に置き、そこに柏の葉を敷き上に海松(みる、海藻の一種)を盛って、伊勢物語中の「わたつみのかざしにさすといはふ藻も」の歌(海神が冠に飾るために清め守っている藻を客のために惜しまずにわけてくれた))を書いた柏の葉で覆った。また折敷に絵を書いて、盃を置いた。瓶子(へいじ、口の小さい徳利様の器)は紅の薄様の紙でその小さな口をつつみ、中に鳥の汁を入れた。肴である花橘の実を小さな外居(ほかい、三つの脚つき円筒型塗り物の調度)に入れ、これの飾りの折り紙には、木を燃した炭状のもので、「昔の人の袖の香」(伊勢物語六十段)の歌を書いた。花橘を外居の懸子(かけご、外居の内側に入れ外の縁に懸けてつり下げる箱)の上に置き、その下を三重に分けた。一番上に菓子六種、次に「ひじきものには袖を」の歌を書いたひじきを入れた(ひじき、海松などの海産物はありふれたものではなく、歌は伊勢物語三段の「思ひあらば葎(むぐら)の宿に寝もしなむひじきもの(引敷物、夜具)には袖をしつつも」という歌)。其の下にまた魚島六種を菓子のように敷いた。青瓶は口はつつまないかわりに、藤の花を指した。藤は糸で固定し、藤の房はことのほか長く垂れている。この瓶に酒を入れた(伊勢物語百一段、在原行平の家に良酒があり、宴を催した際、瓶(かめ)に藤の花をさしてもてなしたが、その花の垂れた房が三尺六寸ばかりあったとの故事による)。下絵を描いた檀紙(だんし、上質の和紙)を、書状形式に作って箸入れとした。その表書に、「武蔵あふみ」と書いた(伊勢物語十三段、武蔵に住みついた男が京の女のところへ、便りをするも恥ずかしく、せぬのも苦しいとて、上書に「武蔵鐙(あぶみ)」と書き送った故事による)。他の外居に飯を入れ、その上に飾りちまきを置いて飯をかくした(ちまきもまた同物語五十二段に故事をもとめている)。そのほかに土器酬(かはらしう、酒をくみかわす重ね盃らしい)等を密々にそなえ、これらのものを閑所に置いて(廿三日は)取り出さなかった。以上の飾り付けは伊勢物語から採ったものである。」(堀田善衛『定家明月記私抄』)
2月24日
・定家、清原良業より『尚書』を授けられる。兼実より『源氏物語』の話を聞く。
巳の時許りに、大外記良業真人来り、尚書の祝を受ける。黄牛を送る。
兼実の召しにより、昏黒、法性寺殿に参ず。御前に召して、源氏物語のことを仰せられる。
ついで女院、良経の許に参じ、見参移漏。夜半を過ぎて帰り、又女院に参じ、女房に謁する。暁鐘以後、家に帰る。(『明月記』)
2月25日
・巳の時許りに、和歌所に参ず。かれこれ語りていう、一昨日の定家儲けの酒肴、御前に取り出したところ、皆召し入れられ、柏の高器ばかりを、和歌所に返し給うと。籠居凶服の者初めての出仕、事に於て恐れをなすの間、かくの如き事、いささか以て安堵す。御気色の程を知るか。慈円参ず。家隆と切り継ぎを見る。暮に、雑の下を切り継ぎ終る。昏黒に退下。
吉富の百姓、門外に来て愁訴、召し籠むべき由、文義に下知す。(『明月記』)
2月26日
・巳の時許りに、和歌所に参ず。家隆参入。雑の下の部を切り継ぎ直す。恋の一二の部、今日又少々切り継ぎ直す。人定めて悪気に処するか。恋の部は、極めて優なるべし。存外に又多し。よって憚りを忘れて直すの間、日暮れる。有家又読み出すところの巻々を見る。各々退出す。家長を以て、仰せ事にいう、神祇の部、神に次第を立つるは、熊野の御列次、その恐れあり、よって春の部を先となし、四季に立つべしと。神の歌の事、惣じて事の恐れあるによって、事を身の憚りに寄せ、これを知らず。夜に入り、招請により、通具邸に向う、清談、亥の時、家に帰る。(『明月記』)
2月27日
・巳の時、良経の許に参ず。相ついで、和歌所に参ず。有家・家隆参入す。家長を以て仰せていう、撰びつかわす歌、なお見落すところあるか、なお所存あれば、挙げ申すべしと。今日又少々これを継ぎ直し、小々見合す。秉燭に帰る。(『明月記』)
2月29日
・定家、嵯峨に行き舎利講を修す
未の時許りに嵯峨に行き、黄昏仏前に入る。(『明月記』)
つづく
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