2023年6月4日日曜日

〈藤原定家の時代381〉建仁3(1203)年8月5日~8月23日 後鳥羽院、俊成(定家父)の90歳祝賀を提案(俊成九十賀屏風) 摂政左大臣良経までもが卿三位藤原兼子のもとで家司のように扱われている 「近日、偏ヘニ家務ヲ行フガ如シ」 定家、後鳥羽院水無瀬御幸に参仕        

 


〈藤原定家の時代380〉建仁3(1203)年7月20日~8月4日 頼家発病 「御病悩既に危急」 運慶・快慶の東大寺金剛力士像完成 叡山の学生と堂衆の争乱 より続く

建仁3(1203)年

8月5日

・早旦、良経の許に参ず。午の時に退出。浄衣を着して、広隆寺に参ず。昨日より、中納言御坐す。見参して、一首を賦す。日入り、騎馬して帰る。(『明月記』)

8月6日

・院より俊成九十賀屏風歌を詠進すべき由仰せあり。

未の時、法性寺殿に参ず。いささか伺い申す事あるによるなり。御前に召し、仰せを蒙る。申終許りに女院に参ず。日入るの程、九条の宿所に入る。

昨日辰の時、この屋根に白鷺がいて、不吉なので、尼上は他所に移りたいというが健御前は、移る所がないので困り、定家に相談するので、鷺は渡殿の上にいるのではないから、大丈夫だといった。

夜更けて、清範奉書に、俊成の九十の賀を、和歌所に於て賜るので、屏風の歌を詠進すべしという。この事につき、俊成は恐れ多く、深く辞退している。「入道殿深ク謙退セシメ給フ」。どうしたものだろうか、お受けすべきかと(『明月記』)

8月7日

「将軍家御不例太だ辛苦すと。」(「吾妻鏡」同日条)。

8月7日

・良経の召しにより参上、すなわち院参。叡山の僧衆、騒動、夜前合戦に及び、堂衆はもはや利あらず退くと。この事により、俄に公卿を召された。(『明月記』)

8月8日

・良経の許に参ずるも、来客中にて見参せず。太秦の中納言中将殿に参ず。御供して法輪寺に参ず。勒韻又和歌の序あり。申の時、広沢の池に行く。又勒韻あり。昏黒、広隆寺に帰りて、退出。数奇の窮屈なり。(『明月記』)

勤韻 ; 

「はじめに韻を分け定めて詩をつくること。たとえば平声東韻で中・翁・風・空というように、一韻の中で数個の字を取り、その字の次第順序を定め、その順のままに一編の詩をつくること。」(『精選版 日本国語大辞典』)

8月9日

・放生会に勤仕の召しあり。巳の時、束帯して院に参ず。卿三位の堂供養へ向う。権門の催しにて、左府禅門さえこのことに日来奔走、「近日、偏ヘニ家務ヲ行フガ如シ」。密儀にて院も臨幸。(『明月記』)

摂政左大臣良経までもが卿三位藤原兼子のもとに行ってまるで家司のように扱われている

8月11日

・良経の許に参じ、御供して院に参ず。昨今、政務は山大衆の事のみ。座主参入して、諸卿を召される。(『明月記』)

8月14日

定家、俊成九十賀屏風歌を詠進。良経の歌を見る。自詠の歌を見せる。

小瘡なお煩いありて籠居。九十の賀の屏風歌、今日詠進すべきの由、夜中に重ねて仰せらる。

放生会を営むの間、風情いよいよ泥(なず)む。良経より召しあり。午終に参入す。御歌を給わりて見る。愚詠を又御覧ず。今度の作者は、御製・良経・慈円・有家・定家・雅経・讃岐・丹後・宮内卿・俊成卿女。明日撰定、その座に候すべきの由なり。清範仰せていう、放生会に相撲を執る、奏定めて深更に及ぶかの由、申し終ると。この役の勤仕、もっとも然るべからざる由、今更に御気色ありと。未の時許りに退出す。

小時ありて、八葉の車に乗り、京を出づ。東寺の辺りにて日没。鳥羽の北門に於て、船に乗り、差し渡る。八幡別当、車を儲く。月に乗じて、宿所に入る。予、又人々に馬を借りる。(『明月記』)

8月15日

・定家、石清水放生会で出居を勤める。京極殿で俊成九十賀屏風歌の撰定あり(定家不参)。当座歌会に出詠、講師を勤める。

未明に装束、天明くる程に、別当の車にて参上す。八幡放生会出仕。儀式遅々、違例多く、神人等群れで路なし。予、ひそかに逐電し宿所に入る。浄衣を着けて、馳せ出づ。供の者等来らず、ただ小童一両人を以て、渡し船に乗り、馳せ帰る。夜半に及ばず、冷泉に入る。

布衣を着し、京極殿に参ず。屏風の歌を撰ばれる。題を出す人々、沈思するの間なし。あきのつき、五文字を頭の上に置く、五首の歌なり。詠み終り、各々これを置く。定家を召す。参上して読み上ぐ。終りて退下す。ついで院入御。良経の御供して、三条坊門に参じ退出す。作者は院・良経・慈円・有家・予・雅経・具親・家長・秀能等なり。今日、右将、杖を取り、弓に取り副えず、未曾有の異例なり。又沓を第二級に脱ぐ、進退物忩なり。猿犴に異ならず。(『明月記』)

8月16日

・足の瘡痛みて、出で行かず。(『明月記』)

8月17日

・良経若君御百日、所労により不参。(『明月記』)

8月21日

・定家のもとに将軍頼家より小阿射賀御厨のことで返書到来。

所領の小阿射賀の事、尋常の返事あり、悦ぶ。(『明月記』)

8月22日

・定家、後鳥羽院水無瀬御幸に参仕。~23日。後鳥羽院水無瀬御幸は30日まで。

申始許りに、為説・清範等、水無瀬御幸一定なりと示し送る。すなわち車に乗り、鳥羽に赴き、船に乗る。船を下る、直ちに御所へ参ずるの間、入りおわします。秉燭の程、退下す。風烈し。(『明月記』)

8月23日

・巳の時許りに参上す。午終許りに、出でおわします。江口の遊女、着座す。神崎未だ参ぜず。退下するの後、向殿におわします。退出し、船に乗り、京に帰る。日入りて鳥羽に着き、九条に宿す。(『明月記』)


つづく

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