1908(明治41)年
5月
清国、阿片禁止令公布。
5月
高畠素之、遠藤友四郎、新村忠雄ら「東北評論」(群馬、高崎)創刊。新村、高畠の後をうけ署名人となる。第3号の新聞紙条例違反により前橋監獄入獄。2ケ月。
5月
古河力作、滝野川の川田倉吉主催社会主義クラブ「愛人社」入社。
5月
元老山県、西園寺内閣の社会党取締り不充分と上奏。天皇、徳大寺侍従長に下問。原敬は病中。
5月
内田魯庵「悲劇?喜劇?」(特集「平塚明子の心理解剖」(「女子世界」)。
「あれは断じて純潔なものである。・・・学生の思想界、精神界の進んだ事、それは矢張祝すべきことであろう。」。
西崎(のち生田)花世の回想(座談会「「青鞜」の思い出」(「国文学 解釈と感想」)):
当時、徳島県板野郡上板町泉谷在住、村長をやっていた父が「大阪毎日新聞」で事件を知り、「東京にはすごい女が出現した、・・・とにかくすばらしい、すごい女が東京には出現したよ、といういうことを父がわたくしに申した・・・」。花世は父没後、窮迫の中で家出して上京、4年後に明子と「青鞜」に出会う。
5月
島村抱月「自然主義の価値」(「早稲田文学」)
5月
(漱石)
「五月(日不詳)、森田草平の小説を『煤煙』と題名をつけて、春陽堂から出版するよう取計らう。寺田寅彦、穏やかに反対意見を述べる。森田草平、失望する。」(荒正人、前掲書)
5月
日本硬質陶器株式会社設立。金沢市、資本金80万円。
1920年 朝鮮硬質陶器株式会社と合併。資本金375万円。
5月
東京音楽学校、グルック作曲歌劇『オルフォイス』の上演企画中、文部省は風教上弊害ありとして中止を命ずる。
5月
経営不振におちいったセントラル鉄道とナショナル鉄道(いづれも米国系)を買収、メキシコ国有鉄道設立。
5月
ウガンダ、深刻な飢饉。
5月
プラハにて汎スラブ会議開催。
5月
米、映画に著作権法適用。
5月1日
駐ロシア日本公使館を大使館に昇格。本野一郎公使を大使に昇任。
5月1日
大日本紡績連合会、第5次操業短縮を強化。以後6ヵ月中3ヵ月間夜業休止、または6ヵ月間連続2割7分5厘給錘とする。実際には1909年10月末まではこの操業短縮率で継続。
5月1日
(漱石)
「五月一日(金)、小宮豊隆帰る。
五月二日(土)、小宮豊隆来る。夜、筆は小宮豊隆に伴われ、幟を買いに行く。
五月三日(日)、小宮豊隆来る。中勘助(推定)の妹を貰おうという。鏡、反対する。(五月六日(水)小宮豊隆宛手紙に、「あの女はほかに行く處がきまってゐる由御失望御察し申候へども一方にては大いに賀すべき事に候學校を卒業もしないうちからさう萬事が思ひ通りに運んでは勿體な過ぎますさうして人間が一生グウタラになります。」と書く。)」(荒正人、前掲書)
5月1日
啄木(22歳)、森田草平と出会う。
「五月一日
朝、隣りの生田長江君を庭伝ひに訪ねる。昔に変らぬ弁舌のさはやかさ。カイゼル式の短かい髯を撚るのが一種の愛嬌を現はす。新夫人は銀杏返しを結つて居た。
それはそれは元気のよい気焔で、話が我知らずはづんだ。クラシカルな態度から急変して、二三ヶ月前に長い自然主義論を書いた此人は、今日は頻りと英雄崇拝主義――天才主義をとなへて、来るべき新ロマンチシズムの鼓吹者は自分だと云つた。“僕は必ず次期の新機運を起します。”と胸をそらした。真山青果の経歴なども話した。予は此人の此日の議論によつて益せらるる所は少しも無かつたが、対新詩社の関係や其他についての親切なる語には感謝した。
午后金田一君を訪ねて夕刻かへる。松原正光といふ人が来て、頻りに牛の話や豚の話をした。八時頃森田白楊君が来た。平塚明子といふ女と二人日光の山に逃げた事について、二週間前に各新聞に浮名を謳はれた人……その故か、随分と意気沮喪して居た。然し自分は怎してか此人が昔からなつかしい。今は夏目氏の宅に隠れて居るとの事。(新詩社にて)」。
5月1日
駐ロシア日本公使館を大使館に昇格。本野公使を大使に昇任。
5月1日
片山潜(48)、浦賀ドックでメーデー記念の講演。
5月1日
尼崎紡績、東洋紡績を合併。
5月1日
大杉栄「ツルゲーネフとゾラ(二)(ツルゲーネフ)」(『新声』掲載)
5月1日
ヒジャーズ鉄道、ダマスカス(シリア)からメディナ(サウジアラビア)に達する。
5月2日
花袋、真山青果(30)と共に「二十八人集」(新潮社。西園寺公望題字、徳富蘇峰序文、田山花袋・小栗風葉共編)を持って茅ヶ崎南湖院に独歩を訪ねる。
青果は独歩の話相手になるべく、8日、海岸の宿に移ってくる(2ヶ月間)。独歩とのやり取りを「国木田独歩氏の病状を報ずる書」として読売新聞連載(10回)。花袋ら古くからの友人が見離し、青果だけを頼っているような書きぶり。
5月中旬、病床の独歩の言行録を纏める約束を新潮社社長佐藤義亮と交わす(6月23日独歩没後、7月15日、青果編「病状録」刊行)。
この頃の自然主義文学:
主流は①島村抱月主宰「早稲田文学」、
②田山花袋主宰「文章世界」、
③「太陽」の文芸時評担当長谷川天渓、「読売新聞」文芸欄日曜付録編集正宗白鳥。
出版社は博文館・早稲田文学社が主流。
小出版社たる新潮社は傍系(硯友社系残党)小栗風葉・真山青果と結ぶ。
つづく

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