2026年3月26日木曜日

大杉栄とその時代年表(790) 1908(明治41)年7月1日~3日 「七月二日 (略)もう十二時ですと女中に云はれて起きた。今日も雨、イヤな日。宿の人を呼んで、下宿料待つて貰ふことに談判調ふ。三時頃出掛けて、昨日来た五円を郵便局で受取つて、“趣味”の七月号、辞林、英和辞書、“Favourite poems”を買つて来た。紋付の羽織を質屋から受けて来た。(略)金の多少ある晩は、何となく気が暢然してゐる。」(啄木日記)

 

趣味 第3巻第10号 明治41年10月

大杉栄とその時代年表(789) 1908(明治41)年6月23日~30日 西園寺首相、原敬・松田正久に病気を理由に辞意表明。原、次期議会終了前の辞職に反対。 原は、「今日病気にて辞職するも誰も病気の為めと思う者」はいない、来春の議会が終わるまで、せめて秋に予算編成が終わるまで政権を維持することを主張(「原敬日記」27日)

1908(明治41)年

7月

栃木県、谷中堤内に河川法準用し残留民追出し図る。正造は県に不当性を訴え、内務大臣にも不当処分取消しを請願。

11月、県会議員碓井要作・白石荘蔵・木塚貞治らに働きかけ、碓井は県会に意見書を提出。県会議員多数の賛成により可決。

7月

(漱石)

「七月(日不詳)、『大阪朝日新聞』の鳥居赫雄(素川)から三度手紙を貰い、九月初旬から小説を書くよう依頼される。『三四郎』を書くこととなる。『東京朝日新聞』にも、島崎藤村『春』(一三五回。四月八日(水)-八月十九日(水))に続いて掲載する。」(荒正人、前掲書)


7月

若山牧水第1歌集「海の声」(生命社) 

7月

国木田独歩「独歩集 第二」(「彩雲閣」) 

7月

荒川製作所創立。東京。

7月

土橋電気製鋼所創立。長野県。

7月

~9月。ロレンス、フランスを自転車旅行、中世の城塞を研究

7月

汎スラブ会議、プラハで開催。

7月1日

児島惟謙(71)、没。

7月1日

電車事件被告(西川光二郎・岡千代彦・吉川守邦・山口孤剣・斉藤兼次郎・樋口伝・大杉栄・半田一郎・竹内余所次郎ら12名、一旦保釈出獄を許されるが、宮城控訴院命令により取り消され東京監獄他に収監(仙台監獄を出獄したばかりの山口孤剣は再度の収監となる。山口は桂内閣成立を知り、上告を取り下げ宮城控訴院判決の重禁固1年6ヶ月の刑期を務めることとする)。

17日、大審院(裁判長は大審院長横田国臣)は上告棄却・宮城控訴院支持の判決(第1・2審無罪が逆転)。

7月1日

西園寺、伊藤に宛てて、「近日にいたり病勢更に甚し」く、大任を果たせないので4、5日内に辞表を提出すると知らせる。また、種々の事情もあり、「遺憾の点」もないわけではないが、つまるとこ「区々小事に過ぎず」とも、付け加える。

7月1日

(漱石)

「七月一日(水)、『夢十夜』の「第一夜」を『大阪朝日新聞』に郵送する。『夢十夜』を一回分ずつ掲載する。高浜虚子宛手紙に、「『文鳥』十月號に御掲載被下候へば光榮の至と存候十月なれば東朝へ承諾を求むる必要も無之かるべくと存候。」また、「小生夢十夜と題して夢をいくつもかいて見様と存候。第一夜は今日大阪へ送り候。」と書く。同じ手紙で、ドーデの「サツフォー」を勧める。九段の能楽堂へは例によって行かぬとも伝える。

七月二日(木)、小宮豊隆来て、人生の悩み訴える。そんなに充実してたまるものか、くだらぬことを苦にしなくてもよい、と答える。小宮豊隆泊る。

七月三日(金)、朝、小宮豊隆帰る。小宮豊隆の下宿している小吉館(本郷区森川町一番地、現・文京区本郷六丁目十四または十六番)に立ち寄る。


『文鳥』は、『大阪朝日新聞』だけに、六月十三日(土)から六月二十一日(日)まで九回に亘って連載される。『ホトゝギス』明治四十一年十月に転載の件については、『大阪朝日新聞』の許可、または『東京朝日新聞』で掲載するかしないかを確かめてからと推定される。」(荒正人、前掲書)


7月1日

「七月一日

与謝野氏から振替貯金で五円届いた。六月に少し沢山明星に書いたからであらう。

(略)

此日も終日の雨、頭がよくない。イヤな日だ。寝てみたり、起きてみたり。嘗て三枚許り書きかけておいた“朝”を書直してみたが、イヤになつた。夜になつてから、“刑余の叔父”を書き初めて六枚許りかいた。

(略)


七月二日

(略)

もう十二時ですと女中に云はれて起きた。今日も雨、イヤな日。

宿の人を呼んで、下宿料待つて貰ふことに談判調ふ。三時頃出掛けて、昨日来た五円を郵便局で受取つて、“趣味”の七月号、辞林、英和辞書、“Favourite poems”を買つて来た。紋付の羽織を質屋から受けて来た。

(略)

“趣味”で正宗白鳥の“世間並”を読んだ。うまい。“下手な嘘をいふと時々心の中で嘲りながら”、女の苦労話をきいたといふ句がある。

早速正宗氏へ面会を求める手紙をかいた。

金の多少ある晩は、何となく気が暢然してゐる。


七月三日

午後一時頃、フト思出して、麹町隼町に蒲原有明君を訪うた。取留のない気焔、詩を読むことをイヤになつたと言つた。芝居は見た事がないけれども、一幕物の現代劇を書くと言つた。明治の真の詩人は、透谷と独歩の二人きりだと言つた。此人もモハヤ抒情詩にアキが来てゐる。……

(略)

此夕、時事新報は号外を出して、西園寺首相病気のため、内閣総辞職を報じた。元老の圧迫の結果であらう。(啄木日記)


7月1日

銚子無線電信局(後の銚子無線電報サービスセンタ)開局

7月2

清国、スウェーデンと修好通商条約締結。

7月2

西園寺首相、全閣僚に辞意伝える。

7月2

この日付の原敬日記。

元老山縣が直系の陸相寺内正毅に辞職を迫り西園寺内閣を内部崩壊させる企て。寺内は「内閣破壊の張本人」になりたくないため拒否。「山縣の陰険は、実にはなはだしというべし」。この手口は後の軍閥が用いる。

7月2

麹町六丁目猟奇事件の犯人野口男三郎の死刑執行。

7月2

アルビノ・ハラによる反乱。政府崩壊。

7月3

森近運平、「農民のめざまし」事件で2ヶ月禁固。

8日入獄。

9月6日出獄。一旦、岡山へ帰郷。

7月3

マケドニアのレジナ(テッサロニケ、サロニカ)、トルコのニアジ・ベイ(アフメット・ニヤーズィ少佐)と連繋した将校の反専制反乱。イスマイル・エンヴェル少佐もこれに続く。

13日、統一と進歩の委員会(青年トルコ党)、武装蜂起決定。反乱はサロニカの第3軍団からエディルネの第2軍団にまで飛び火。スルタン、アブデュルハミト2世はアナトリアの軍団を送り込むがこれも反乱軍に同調。

21日、反乱軍はスルタンに憲法復活を求める最後通牒を突き付ける。

24日、スルタンは反乱軍の要求受け入れを表明、1発も撃たないままの革命が実現。 


つづく


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