入国制限が遅れた代償は 五輪開くため聖火到着待ち、ウイルス拡散 https://t.co/iHXBartUYQ #西日本新聞— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) June 25, 2020
政府が欧州からの入国拒否に踏み切ったのはその3日後だった。既に欧州各国から帰国した旅行者らを通じてウイルスは都市から地方へ拡散、感染経路をたどれない状況が水面下で進行していた
2020年6月25日木曜日
入国制限が遅れた代償は 五輪開くため聖火到着待ち、ウイルス拡散(西日本新聞);「政府が欧州からの入国拒否に踏み切ったのはその3日後だった。既に欧州各国から帰国した旅行者らを通じてウイルスは都市から地方へ拡散、感染経路をたどれない状況が水面下で進行していた」
慶応4年/明治元年記(4) 慶応4年(1868)1月12日~14日 慶喜、江戸城入り、歩兵頭に駿府警を、古河藩主に神奈川警備増員を命ずる 相楽総三、「(幕領での)年貢半減」「勅諚書」を受取る 桑名藩、藩主(松平定敬、会津藩主容保の弟)不在で恭順決定
より続く
慶応4年(1868)
1月12日
・相楽総三、太政官に歎願書・建白書を提出。赤報隊の正式官軍としての認可と正規の官軍先鋒命令、すみやかなる関東への進出、幕領への租税軽減布告。13日、官軍の関東進出時に官軍の印を授ける、それまでは東海道鎮撫使に従うこと、幕領への「租税半減」を回答。
総三の建白に答える形で、坊城大納言から「勅諚書」として受け取る。「是迄幕領之分、総テ当年租税半減仰せ付けられ候。昨年未納之分も同様たるぺし。来巳年以後之処ハ御取調ノ上御沙汰あらせらるぺく候・・・」。)
・慶喜、江戸城入り
昼近く。4年2ヶ月ぶり。13日、歩兵頭に駿府警備命ず。14日、古河藩主に神奈川警備増員命ず。17日、目付を箱根・碓氷関所に配備。17日、松平慶永・山内豊信に周旋依頼。19日、ロッシュと会見。20日、松本・高崎藩に碓氷関警備命ず。21日、再び慶永らに手紙。23日、幕府の職制を改め「家職」の組織とする。
軍艦奉行勝海舟は浜御殿まで出迎え。ここで初めて鳥羽・伏見戦の顛末を聞く(幕府最高責任者の慶喜は開戦に伴う対策、戦況などを留守政府に送っていない)。
勝は、会津侯(松平容保)・桑名侯(松平定敬)にその「詳説を間わんとすれども、顔色土のごとく、互いに目を以てするのみにて、ロを開く者」はなく、ようやく老中板倉勝静から戦争のあらましを聞くことができた。
主戦派は勘定奉行兼陸軍奉行並の小栗上野介や会津・桑名藩士。敵を箱根以東に誘い込み、海軍は駿河湾から敵の退路を絶ち、陸軍フランス式歩騎砲隊で敵を粉砕する作戦。小栗は15日に罷免。
主戦論。
「鳥羽・伏見の戦況を聞き、目のあたり公の東帰を拝し、又負傷兵の続々送還せらるゝる見ては、弥切歯に堪へず。皆日く、『大坂の事、固より毫末も朝廷に敵するの意あるにあらず、君側の奸を掃はんと欲するのみ、不幸にして軍破るといへども、其の誠心は天地に質して疑なし、誓って挽回の策を立て、日月をして、光明ならしめざるべからず』と。又日く、『彼れ官軍といふとも、錦旗の蔭に隠れたる薩長勢のみ、いかでか頚さし延べて打たすべき』と。宣言・檄文・投文など、府の内外に旁午たり。其の一に日く、『内府天朝に対して二心なきは、天下万民の知る所なるに、内府の弟なる因備二侯、さては井伊家を始め、譜代の諸大名をして東征軍に加はらしむるは、名分の廃滅之より甚しきはなし。今天下幼冲にましまして、奸臣権を窃み、詔を矯めて追討の令を下す、苟も人心ある者は、決死して百諌千争するこそ、皇国の大綱・人臣の大義なれ。然るを狗鼠の輩此の大義を知らず、甘んじて姦徒の駆使を受け、東に向ひて旗を翻さんとす、我等は速に義兵を挙げて、君側の奸を誅し名分を正すこと、人臣の大節何者か之に過ぎん。若し然らずして賊徒に駆使せられなば、己不義に陥るのみならず、又天朝を不明に陥らしむるものなり。庶幾くは気節の士之を四方へ伝へ、天下の義心を鼓舞作興して、綱常を護持せよ』と。・・・陸海軍、殊に海軍副総裁榎本和泉守陸軍奉行並小栗上野介歩兵奉行大鳥圭介及び新選組の人々などは、概ね戦を主とし、兵を箱根・笛吹に出して官軍を待たんといふもあれば、軍艦の新組織法を建白し、或はは輪王寺宮を奉じて兵を挙げんといふもあり。」(「徳川慶喜公伝」)。
恭順論。
「徳川氏の領国邦内四方に散在し、その総高おゝよそ四百万石、此の内、蔵入を以て養ふ所の旗下数千におゝよそ二百万石を給す。所謂蔵米取なり。残り二百万石、此の他諸税金おゝよそ百万両計り。その領地半ば関西に在り。若し一朝戦争に及ばば、此の分敵の有とならむ。関東・奥羽に在るは、関西の如く豊ならず。此の区々たる関東を守て何をか成さん。其の結局土地を割きて抵当とし、西洋人に借らざるを得ず。其の抵当として出すべきは、唯横浜・箱館のみ。若し誤て此の事に及ばば如何ぞや。同胞憤争して、他人の為に邦地を失う。豈恐れざるべけんや」(「海舟全集」)。
・桑名藩、藩主(松平定敬)不在で恭順決定、老臣連名で朝廷に歎願書提出。27日、藩士一同771人が寺に入って謹慎。28日、政府軍に城を引渡す。政府軍は本丸3層の楼に放火。
桑名藩主松平定敬は、元治元年(1864)京都所司代に就任して以来、兄の会津藩主・京都守護職松平容保(兄弟は美濃高須藩生まれ、養子となって入封)と共に、京都政局に睨みをきかせ反幕運動の矢面にたち、鳥羽・伏見戦争でも幕府軍主力となる。敗戦、藩主定敬の東帰行、兵士逃走の報に接した留守を預かる桑名藩城中では、強硬派・恭順謹慎派に藩論が二分。そこで藩祖の神前で神籤をひき、いずれかに決することにしたところ、正月10日の抽籤では藩士一堂東下ということになる。しかし翌日、恭順派が強く異論、江戸に行っても、慶喜や藩主定敬が恭順を表明すれば藩士一同の東行は無駄になる、それよりは従来王事に勤めてきた功を失わない為にも、定敬の代りに先代遺子万之助をたて、朝廷に対し恭順謝罪の意志を明らかにすべきと主張。
12日には、討議のすえ、藩論は転換し恭順に定まる。定敬が江戸で恭順謹慎した場合、全藩あげて恭順に一致したことになり問題ない。定敬があくまで抗戦に出た場合、主戦派は脱藩して定敬の許に走るのは妨げられないし、幕府側に勝機が見えれば、再び薩長軍に抗戦すればよいし、その場合恭順に決めた首謀者が責任をとれば藩内部の問題として片がつく。また万一、定敬が抗戦し再び敗れても、それは定敬や一部主戦派の勝手な行動の結果であり、桑名藩は一貫して恭順に変りはいと釈明できる。爾後いかなる事態となっても、桑名藩の滅亡を避けられる、朝廷・政府と幕府の双方に顔を向け、いずれからも逃げ道を用意する策。それ故に、主戦派も恭順論に同調できる。
12日、桑名藩老職一同は、尾張藩に寛大な処置を朝廷に周旋してもらいたいとする欺願書を差し出し、藩主定敬の身代りとして万之助が隣藩亀山藩に抑留となり、27日、藩士一同771人が寺に入って謹慎。家族は町在へ立ち退かせ、身分幼老男女の別なく1人に2両2分を与える。28日、政府軍が城を接収、正午頃、城受渡しを終えた政府軍は、本丸にある3層の楼に放火して、祝砲21発を放つ。
・新政府参与岩倉具視、尾張藩家老成瀬正肥ら重臣を招集、「尾藩士中には慶喜に内通している者がある。かかる次第では、東征軍はまず尾張で砲火を開かざるを得ない。早急に善処せよ」と厳重に申し渡し。13日、「早々に帰国の上、姦徒を誅戮」せよと沙汰。14日、重臣協議。15日、藩主慶勝、重臣ら300率い名古屋に向う。20日、名古屋着。佐幕派粛清「青松葉事件」となる。
・小浜藩主酒井忠禄、当初、旧幕側に加担した弁明・謝罪の為上京。朝廷、北陸道先鋒を命じ、15日、請書提出。
・新撰組残り40名、軍艦富士山丸で江戸に向かう。
1月13日
・慶喜、歩兵頭に駿府警備を命じ、翌14日、土井利与古河藩主に神奈川警備増員を命じる。
・新撰組山崎烝、大坂八軒屋の京屋で没(或いは、富士山艦に乗り込み、出航後間もなく没、とも)
・前侍従錦旗奉行四条隆謌、大坂征討府より軍事参議兼中国四国征討総督に任命され、下坂。
・朝廷、太政官代を九条道孝邸に設置。
・迅衛隊進発。乾退助率いる迅衛隊600・弾薬隊等千余(将来の東征軍主力)、高知発。/19.丸亀着。
・(新2/6)パークス、木梨精一郎に江戸攻撃反対を表明。
・伊達宗城、伊予松山藩追討願いを新政府に提出。
・この頃、相楽総三、自分の建白に答える形で、坊城大納言から「(幕領での)年貢半減」を「勅諚書」として受取る。
1月14日
・新政府、神戸で外交団と会談。条約引継約束(2/14も)。
・新政府、大坂の惣年寄に対し、「早々立帰り、市中取締致スべキ事」と布告。
大坂は「官軍」突入とともに、城は炎上、大坂城代・町奉行は脱走、町役人は姿を隠す。新政府は、更に1月21日、「当分ノ内、惣年寄ニテ取締仕り置キ候事」と旧状維持の指令を発す。
京都は、京都所司代・町奉行が去り権力の空白が生れたため、「京都御取締」に近江膳所6万石、丹波篠山6万石、亀山5万石があたり、見廻りには石見津和野4万3千石以下が参加し、その「加勢」に島津、毛利、山内、前田ら7藩が加わる。
江戸(東京)は、旧江戸市中(武家地60%、社寺地20%、町地20%)の武家地が、旧大名引きあげ、旗本・御家人の徳川家静岡移転に伴う離散によって、一気に荒廃地と化し、人口100万以上が、明治2年には50万に落ち込む。新政府は、ここでも旧名主を、新しく作った番組支配の中年寄・添年寄に横すべりに採用すかことによってしか、町を維持することができなかった。東京府知事には薩長出身者を避け、初め由利公正(越前)、更に大久保一翁(旧幕若年寄)を任命。明治2年以来、東京府の政策は開墾となり、東京の武家地は、桑畑と茶畑に化す。
・山内容堂、朝廷より内国事務総裁に任ぜられる。
・山内豊福、本藩と幕府との板挟みに悩み江戸麻布邸に自刃。
・長崎奉行河津伊豆守祐邦、ロシア船へ逃亡。土佐佐々木三四郎・薩摩松方助左衛門筆頭に在留諸藩代表合議体長崎会議所と改称。
・この日夕刻、新選組搭乗の富士山艦ら、横浜港に投錨。島田魁を添人として戦傷者は上陸、医学所に入る。
森友学園 交渉記録の不開示は違法 国に賠償命じる 大阪地裁(NHK);「大阪地方裁判所の松永栄治裁判長は「財務省は国民主権の理念に反する極めて不適切な動機で記録を廃棄し、残っていた文書も意図的に不開示にした。違法行為は明らかで、相当に悪質だといわざるをえない」と批判し、33万円の賠償を国に命じました。」
森友交渉記録「故意に隠した」 国に33万円賠償命令―大阪地裁:時事ドットコム https://t.co/oMbL3Sqa75 @jijicomより
— 森田文弥 MORITA Humiya (@moritaespera) June 25, 2020
森友学園 交渉記録の不開示は違法 国に賠償命じる 大阪地裁(NHK) https://t.co/VGo5hyL9Yb— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) June 25, 2020
裁判長は「財務省は国民主権の理念に反する極めて不適切な動機で記録を廃棄し、残っていた文書も意図的に不開示にした。違法行為は明らかで、相当に悪質だといわざるをえない」と批判し、33万円の賠償を国
2020年6月24日水曜日
慶応4年/明治元年記(3) 慶応4年(1868)1月9日~11日 東征先鋒隊(赤報隊)編成 大阪城爆破炎上 朝敵処分 山国隊進発 王政復古の通告 神戸事件 慶喜、品川沖着
より続く
慶応4年
1月9日
・長州藩先鋒、大阪城入りし留守居の目付妻木多宮より城受取る。妻木、長州兵入城前に20万両運び出す。
・東上途中の長州藩、備後福山藩を恭順させ、家老に勤皇誓書を出させる。
・近江松ノ尾山妙寿院、東征先鋒隊編成。軍裁鈴木三樹三郎、湯川錬三郎、相楽総三。軍監科野東一郎、篠原泰之進。10日、赤報隊として再編成。
・相楽総三、金輪五郎と京都に向かう。太政官坊城大納言から勅定書下る。15日、松ノ尾山に戻る。相楽の不在中、山科能登ノ介が主導して彦根城(井伊家)より武器を調達。
・鷲尾侍従隊田中顕助の東1番隊、大阪敗兵と遭遇戦。/10.大阪出陣(300)。/13.大阪着。
・土佐藩6番隊40人(隊長箕浦猪之吉、軍監林亀吉)、皇軍総裁仁和寺嘉彰親王護衛のため大坂に向かう。伏見街道を南下。淀城に宿泊。仁和寺宮は枚方に発った後のため、翌日これを追うことにする。
・総裁の下に副総裁を置き、三条実美・岩倉具視が任命される。25日、総裁顧問局設置、木戸孝允・大久保利通が就任(大久保は2月2日小松帯刀と交替)。
・外国事務総裁・外国事務取調掛を設立(総裁、嘉彰親王)。
・大津代官石原清一郎正美、政府参与・東海道鎮撫総督橋本実梁を訪れ、今後は朝廷の御役儀を務め、これまでどおり大津町支配を願い出る。11日、橋本は従来どおり旧管地の管理を石原正美に命じる。3月7日、大津裁判所設置、議定長谷信篤が裁判所総督に就任。閏4月25日、大津県が成立。
1月10日
・大阪城爆破炎上。目付妻木多宮の仕掛けたもの?
・朝敵処分
慶喜・容保・定敬・勝静以下27名の官位剥奪。会津藩・桑名藩の京都藩邸没収。旧幕領を新政府直轄地とする(「農商布告」)。
第1等:徳川慶喜、第2等:会津松平容保・桑名松平定敬、第3等:予州松山松平定昭・姫路酒井忠惇・備中松山板倉勝静、第4等:宮津本荘宗武、第5等:大垣戸田氏共・高松松平頼聴。3等までが重罪で追討・開城・城領地没収。4・5等は藩主が帰順を誓い、上京し先鋒を願い出れば許される。
・東征先鋒隊、赤報隊名乗る。約300人。1番隊長相楽総三、2番隊長鈴木三樹三郎、君側頭取・参謀山科能登ノ介。
・山国隊進発
山国、水口市之進ら会合。農民隊組織決定。11日、東軍・仁和寺宮へ参加27人、西軍・西園寺への参加76人、出発。
・新選組、近藤芳助らの負傷者は富士山艦に搭乗。可動隊士は順動丸に搭乗。
・王政復古の通告。
「明治元年一月十日付 日本国天皇、各国帝王及び其の臣人に告す。さき将軍徳川慶喜政権を帰するを請い、制してこれを允し内外政事これを親裁す。乃ち日く。従前の条約、大君の名称を用いると雖も、今より以後、まさに天皇の称を以て換ふべし。しかして各国交際の職専ら有司等に命ず。各国公使この旨を諒知せよ」。
1月11日
・新政府、内乱発生を理由に諸侯会議を中止し、諸侯に対して国力相応の兵士を率い上京命令(16日、東北諸藩は率兵・上京に及ばず、とする)。
王政復古政府の公議政体派の目指す諸藩連合政権構想を完全に否定。鳥羽・伏見の戦いで、薩長倒幕派と公議政体派との力関係が逆転。2月末には相当数の諸侯が上京。
・神戸事件
備前岡山藩家老日置帯刀隊、西宮警備の途中、神戸居留地(神戸三宮)で外人兵と接触、2人殺害。英米仏陸戦隊と交戦。外国兵神戸占領。2月10日、家老日置謹慎・砲兵隊長滝善三郎の切腹で決着。
事件後、英米仏普、兵庫碇泊の諸藩所有船6隻拿捕、略奪。1/16.に船は戻るが金品は戻らず。1/12.迄。宇治川口、生田口一帯を砲で固め検問、軍事占領状況。
・土佐藩に譜代松山藩・高松藩討伐の勅下る。
・慶喜、幕府軍艦開陽で品川着。
・土佐藩6番隊(箕浦隊)、大坂着。大坂には幕兵はおらず、仁和寺宮も帰京の様子。午後、新任務として堺に向かう指令出る。紀州街道を南下。2時間後、堺元奉行所に到着。
・新選組搭乗の富士山艦ら、兵庫沖を出帆。その夜は紀州由良港へ停泊。
・三野村利左衛門、5ヶ月ぶりに小栗上野介忠順を訪問。
・竹沢寛三郎(阿波の儒教・国学・神道家、草莽志士)、岩倉具視に呼出され、美濃の笠松と飛騨地方を鎮定し王政に帰属させること、岩倉具定らと東山道鎮撫総督に協力するよう口達を受ける。竹沢は即日150余の門弟を率い、自費で戦費を賄い出発。竹沢は正式沙汰書を要求するが、多忙との理由で断られる。後、正式な許可なく、岩倉の個人的了解で、私的に行動したとされることになる。14日、笠松陣屋入り、美濃・伊勢の天領12万石を接収。飛騨に向う。
・清水紫琴、岡山県和気郡に誕生(京都生まれ?)。
景山英子と共に政談演説など女権運動に没頭、植木枝盛・大井憲太郎らと親しむ。古在由直(後、東京帝国大学総長、農学)の妻となる。古在がドイツ留学中主に「女学雑誌」「太陽」等に小説や随筆を書いて文名を上げるが、古在帰国後に小説の執筆を禁じられ、明治34(1901)年1月以降筆を絶つ。昭和8(1933)年7月31日没。
鎌倉散歩 東慶寺の紫陽花 2020-06-24
今日は朝のうち小雨、そのあと曇り、午後すぐに晴れとなった。
午後から北鎌倉の東慶寺に行った。
6/20に行ったばかりだったけど、この時は土曜日で人も多く、ゆっくりできなかったので出直し。
鎌倉散歩 北鎌倉駅~円覚寺~東慶寺~亀ガ谷坂経由~鎌倉駅 まだまだ元気な紫陽花がいっぱい 2020-06-20
東慶寺の後はいつもの亀ケ谷坂経由で鎌倉駅へ。
今日の総歩数は1万2千歩。
▼長寿院~亀ガ谷坂
▼小町通り
エジプト軍閥の“子飼い"小池百合子の運命 ①「カイロ大学声明」を出した組織の正体 / ② 「私は100%エジプト人なの」 (特別寄稿)(浅川芳裕)
【東京都民必読!】こういう人物を都知事選で当選させることが、いかに恐ろしいことか。「戦慄」させられる記事!【エジプト軍閥の“子飼い"小池百合子の運命①「カイロ大学声明」を出した組織の正体】 https://t.co/SE0HVI8duU— 郷原信郎【「深層」カルロス・ゴーンとの対話 起訴されれば99%超が有罪となる国で】 (@nobuogohara) June 24, 2020
「エジプトは私に対し、長い間、投資してきたと思っています。今では私への投資が有益で、成功であった」➡ 本当に、こんな人物の再選を許してよいのか。明日の都知事選で都民の良識が問われる‼【エジプト軍閥の“子飼い”小池百合子の運命② 「私は100%エジプト人なの」】 https://t.co/RmxYe6cK7g
— 郷原信郎【「深層」カルロス・ゴーンとの対話 起訴されれば99%超が有罪となる国で】 (@nobuogohara) July 3, 2020
米外交の呆れた内幕が露呈 トランプと習近平が日本で「密約」、金正恩にCDギフト─“ボルトン暴露本”の衝撃(COURRiER) / エルトンジョンのサイン入りCDをギフトに、ロケットマンは誉め言葉だと言い訳(大笑い!)
このCDにはエルトンジョンの直筆のサインが入っていて、トランプは、「ポンペイオは、キム総書記に、CDを渡せたのか」という事ばかり気にしていたそうです。これ一部では好感度が上がってしまうのでは。https://t.co/2WHFv7ebdZ
— ほのぼのさん (@2003Zgf) June 24, 2020
《“裏会費”リストを入手》“買収”が常態化 菅原一秀前経産大臣に新疑惑(文春オンライン)
また練馬のコンビニから文春が消えるのかな— こたつぬこ (@sangituyama) June 24, 2020
《“裏会費”リストを入手》“買収”が常態化 菅原一秀前経産大臣に新疑惑 #菅原一秀 #週刊文春 #スクープ速報 #文春オンライン https://t.co/EE90FkVDwK
明日発売の「週刊文春」。東京地検はまだ捜査を続けています。 pic.twitter.com/TxE0LGupWf
— 有田芳生 (@aritayoshifu) June 24, 2020
新型コロナで大阪の医師2人死亡(6/24共同); “新型コロナの診療は担当しておらず、医師会幹部は「一般の患者を診ていて罹患した可能性がある」との見方を示した” ← 吉村大阪府知事は誤報だと、マスコミに責任押し付け(自分も同じ会議に出席しているのに.....) ← 大阪府医師会長「コロナで医師3人死亡」 感染者を診断(朝日)
新型コロナで大阪の医師2人死亡 | 2020/6/24 - 共同通信 https://t.co/F05O0Ie3kN— 踊♥ウタマロ(医療.行政.物流.生活必需品提供の方々に感謝と応援!) (@utamaro_) June 24, 2020
“新型コロナの診療は担当しておらず、医師会幹部は「一般の患者を診ていて罹患した可能性がある」との見方を示した”
コロナで死亡の医師は「2人」 大阪府医師会長が訂正 #新型肺炎 #新型コロナウイルス https://t.co/QxFSqkgo8j
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) June 24, 2020
大阪府の新型コロナ対策に興味・関心のある人は、ぜひこの会議の模様をご自身でご覧いただくのがいいと思います。全部で3時間以上ありますので、僕もすべて見ていないのですが、問題の所だけでもちゃんと自分で見て確かめるというのが大事です。 https://t.co/c8DY8eLy9L— 住友陽文 (@akisumitomo) June 24, 2020
やはり誤報ではありませんでした。22日の大阪府新型コロナウイルス専門家会議で茂松大阪府医師会会長が「一般の診療所でおそらく3人のドクターがコロナで亡くなっている」と発言されています。そのお隣に知事が座っておられますね。1時間56分50秒~です。 https://t.co/XE3CevWBmm https://t.co/Fvtme4nG91— 住友陽文 (@akisumitomo) June 24, 2020
誤報の可能性あり。死亡者86名全員の個票を再調査、全保健所長に聞き取りしたが、確認できず。1名70代の医療従事者がおられるが、発覚時点で重傷だったのでコロナ患者に接した事実は不明。当該診療所からコロナ患者が出た事実は無し。マスコミは再取材の上、正確な報道を。 https://t.co/1bTtdZnajI— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) June 23, 2020
「10万円給付」大都市圏で遅れ 東京23区で平均3割 給付作業に手間取り(産経); 給付率が3.1%の大阪市の担当者は「世帯数が多く事務量も多い」と話す。
「10万円給付」給付作業に手間取り大都市圏で遅れ https://t.co/wEtWAsX3c6— SankeiBiz (@SankeiBiz_jp) June 24, 2020
給付率が3.1%の大阪市の担当者は「世帯数が多く事務量も多い」と話す。大阪市のように連日、数万から数十万単位の申請書類が届く人口の多い自治体では届いた書類の開封作業だけでも一苦労だという。 #給付金 #給付金10万円
西さん
— 🍀みーーこ(๑•̀ㅂ•́)و 🌈 (@ACEONE30977) June 24, 2020
「全国平均でも皆さんの生活を緊急的にお支えするという意味がある給付金ですから決して早いとは言いがたいが、大阪市は突出して低い」
村瀬先生
「どこの自治体も初めてのことだったのでいかに準備をしていかに早く給付をするという準備をしていなかったのは批判されても仕方がないのでは」 pic.twitter.com/vQrT9aMrz3
村瀬先生
— 🍀みーーこ(๑•̀ㅂ•́)و 🌈 (@ACEONE30977) June 24, 2020
「今回の給付金は本当に困っている人からすると一刻一秒争うぐらい欲しいのにこの悠長さは…」
西さん
「どんなスケジュールを立てたんですか?“人口が多いと処理能力に限界がある”横浜の方が人口多いんです。横浜の方が給付率高いんですよ。ちょっとこれはいいわけにならない感じがします」









