2009年4月24日金曜日

東京駅 浜口雄幸首相襲撃現場




昭和5(1930)年11月14日、浜口雄幸首相が右翼の佐郷屋留雄(23歳、ロンドン軍縮反対の愛国社(岩田愛之助主宰))に狙撃され重傷を負った現場。
当時の軍部・右翼の常套句は、「統帥権干犯」。
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現場は当時の4番ホームで、今はなく、現場の直下に当たる中央コンコース(新幹線中央乗換口辺り)の床にマークがあります。
また、壁にはプレートがある筈ですが、現在駅全体が改修中で壁も工事準備のために覆われており、発見できず。
また、丸の内南口には原首相襲撃現場のプレートがある筈ですが、これも同様理由により発見できず。
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佐郷屋留雄は、死刑判決ののち、恩赦で無期懲役となり15年で仮出獄。その後、岩田愛之助の娘婿となり、敗戦後も右翼活動を継続。
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翌昭和6年3月9日、浜口首相は、おぼつかない足取りで参内、10日から登院を伏奏。この日、幣原臨時首相代理解任。10日、初登院。
この浜口の復帰により、宇垣を戴く軍部クーデタ計画実行(大川周明画策の3月事件、20日発覚)は潰える。
しかし、浜口の容体は悪化し、4月4日には再入院。13日総辞職、14日第2次若槻禮次郎内閣成立となる。
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その4ヶ月後の8月26日、浜口、没(62歳)。

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