2011年7月9日土曜日

樋口一葉日記抄 明治27年(1894)7月12日(22歳) 「かく計したはしく、なつかしき此人をよそに置て、おもふ事をもかたらず、なげきをももらさず、おさへんとするほどにまさるこゝろは、大河をふさぎてかへつてみなぎらするが如かるべし。」(樋口一葉「水の上日記」)

樋口一葉日記抄 明治27年(1894)
7月8日
八日 平田君来訪。田中ぬしが「かまくら紀行」、いづくの雑誌にか記載のこと頼む。「これより森鴎外君のもとに趣けば、同君にたのみて、『しがらみ草紙』などに出さばや」とてかへる。午後、中島くら殿来訪、物語多し。夜食を馳走してかへす。樋口のくらも来る。「明早朝、一番汽車にて帰郷したし」とあるに、今宵はみやげ物などとゝのふる為、本郷通へ諸共に行く。
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一葉は、友人田中みの子の紀行文の雑誌掲載を平田禿木を介して世話する。
「かまくら紀行」は、明治25年7月1日~5日、師匠の中島歌子と鎌倉に旅行した折の紀行文。
「しがらみ草紙」は鴎外が主宰する雑誌で、この年7月号(第58号)に掲載される。
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7月9日
九日 早朝、くらを送て上野に行。上野丁の小松星といへる旅店に、知人の待合せ居りて、共に帰県をなすよしに付、同家までゆく。上野よりにはあらで、新宿の汽車にて行よしなれば、我れはこゝより帰宅。朝飯をしまひて、無沙汰み舞に伊東、田中の両家を訪ふ。日ぐれまで遊ぶ。田中ぬしのもとにありける『艶道通鑑』とて、五冊ものゝ随筆めける、小出ぬしの蔵書のよしなるをかりる。
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7月10日
十日 禿木子より状(ふみ)あり。「森君のもとにて、田中ぬしの紀行よろしきよしに付、本名、宿処、報道あり度し」となり。返事つかはす。奥田君来訪。
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7月11日
十一日 師君のもとへ行く。田中ぬしも盆礼として来訪。雑誌の事を語るに、喜色あふるゝやう也。師君いかなるにか、衣類その他を質入して金子をとゝのへ給へるよしにて、加藤の妻より、我れは金子をうけとる。師君ははやく出稽古に趣給ひぬ。此日、日ぐれ前より雷雨、中々に晴がたし。夜に入りてより帰宅。佐藤、盆礼に来たりしよし。
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どうしたことか、師匠は、衣類などを質入れして一葉のお手当てを工面したようだ。
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7月12日 桃水を訪問
 十二日 到来物のありしかば、半井君を訪ふ。
めづらしくこゝろよげにて、にこやかに物がたらる。
されども、来客のありければ、長くもかたらで帰るに、「いづれちかくに御音(おおと)づれ申べし。十五、六の両日のうちに、雷雨なくはかたらず」といふ。
たけくをゝ敷此人のロより、かみなりの恐ろしきよしを聞こそをかしけれ。
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久しぶりに半井桃水を訪問する。彼は元気であったが、来客もあり長居はしなかった。
桃水は、「いずれ近いうちにお訪ねするつもりです。十五日か十六日のうち、雷や雨がなかったら必ずお訪ねしますよ」と言う。
強そうで男らしいこの方の口から、雷が恐ろしいなどと聞くのは、可笑しい気持ちであった。
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静かにかぞふれは、誠や、此人とうとく成そめぬるは、をとゝしのけふよりなり。
隔たりゆく月日のほどに、幾度こゝろのあらたまりけん。

一度は、これをしをりにして悟道(ごどう)に入らはやとおもひつる事もあり。

一度は、
「ふたゝびと此人の上をば思はじ。
おもへばこそさまざまのもだえをも引おこすなれ。
諸事はみな夢、この人こひしとおもふもいつまでの現(うつつ)かは。
我れにはかられて我と迷ひの淵にしづむ我身、はかなし」
と、あきらめたる事もありき。

そもそも思ひたえんとおもふが我がまよひなれば、殊更(ことさら)にすつべきかは。
冥々の中に宿縁ありて、つひにはなれがたき仲ならばかひなし。
見ては迷ひ、聞てはこがれ、馴ゆくまゝにしたふが如き我れならば、遂に何事をかなしとげらるべき。
かく計(ばかり)したはしく、なつかしき此人をよそに置て、おもふ事をもかたらず、なげきをももらさず、おさへんとするほどにまさるこゝろは、大河をふさぎてかへつてみなぎらするが如(ごと)かるべし
悟道を共々(ともども)にして、兄の如く妹のごとく、世人(よびと)の見もしらざる潔白清浄なる行ひして、一生を送らばやとおもふ。
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一葉は、変わらぬ桃水への思慕を語り、「潔白清浄」に生きて貞節を守ると願う。


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この人との間が疎遠になり初めたのは一昨年の今月からである。
その後、月日がたつにつれて私の心は何度変わったことか。

一度は、これを栞として悟りの道に入ろうと思ったこともある。

一度は、
二度とこの人のことは思うまい、思うからこそ色々の悩みが湧いてくる。
人生はみな夢のように消えるのだから、この人を思う現実の心も何時まで続くとも思われない。
こんな迷いの中に沈んで行くことの何とはかない事よとあきらめた時もあった。

しかし、あきらめようと思うこと自体が迷いなのだから、わざわざあきらめる必要もないように思う。
それぞれに前世からの因縁があって、 離れられないものならば、それも仕方がない。

逢っては恋しく、声を聞いてはますます焦がれて行く私は、一生を何もしないで終わるのだろうか。

慕わしく懐かしいこの人に対し、思う事も言わず、愚痴も言わずに、ひたすら気持ちを抑えてばかりいると、恋の心はかえって大きくなり、大河の流れを塞いでかえって水を溢れさせてしまう。

互いに悟りの道に志し、兄のように、妹のように、世間の人が誰も知らないような潔白清浄な関係でこの一生を送りたいと思う。
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「★樋口一葉インデックス」 をご参照下さい。
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