2011年7月24日日曜日

「原子力が人類の生死に関わるということ、そして『ひとつの地球』という動かしがたい事実・・・」(坂本義和)

「朝日新聞」7月20日付けに、国際政治学者の坂本義和さんの「知識人とは」というタイトルでのインタビュー記事がありました。

インタビューの中の原発事故に関連する部分をご紹介します。

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----国際政治における核の問題を考えてきた学者として、原発事故をどう考えていますか。

「3月11日は、私たちが持つ核問題の意識を変えました。
冷戦時代には、米ソの全面戦争と人類の破滅というグローバルな脅威が消えず、ある日、一瞬にして私たちの日常生治を無にしてしまう『非日常的な破局』が迫っていました。

冷戦が終わってからは、グローバリゼーションの下で、カネ、ヒト、モノ、情報が国境を超える平時の流れのなかで、原発は『豊かな日常性』の支えだという宣伝を信じがちでした。

3月11日を機に事態は一変し、被災者の苦難はもとより、圏外でも毎日の節電、工場の操業時間の制限、食の安全、子どもの健康など、『不安の日常化』が生活の底流となりました。

世界の反応をみても、これは国境を越えるグローバルな脅威だと身にしみて意識されることになりました」

 ----では、この危機を受けて、新しい市民的知識人は、何を考えるべきなのでしょうか。

「原発が世界中に林立したらどうなるのでしょうか。
原発は自国中心の極度に人工的な発電装置ですが、いくつもの国が事故を起こすことになれば、影響は国境を越えて、地球を居住不能な廃虚と化する危険があります

原発は国家のプロジェクトでありながら、制御不能になると、その国家ばかりでなく、国家間・領土間の境界を無意味にするのです。

今回の原発事故で私たちがあらためて自覚したのは、原子力が人類の生死に関わるということ、そして『ひとつの地球』という動かしがたい事実です。

地球上のすべての命とグローバルな正義を基盤として考えねばならない時です」、

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折角なので、他の部分も以下にご紹介します。

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(前文)
かつて「知識人の時代」があった。「戦後知識人」といわれた学者たちが専門を超えて問題を提起し、世論をリードした。平和研究などで知られる国際政治学者の坂本義和氏は、その最後の世代かもしれない。いまその役割はだれが担っているのか。「人間と国家 ある政治学徒の回想」を刊行した坂本氏に知識人とは何かを聞いた。

----知識人とは、どういう役割を担っているている人でしょうか。
「様々な議論があるでしょうが、知識人には二つの軸が不可欠だと思います。
ひとつは現状に対する批判力。
もうひとつは構想力。構想力とは、間違った現状を超える、まだ存在しない社会のあり方を積極的に想像する力と言えます」

「日本の場合、かって『戦後知識人』という言葉がよく使われましたが、だいたいは大学人でした。理由があって、戦時中も日本だけでなく外国について学び、外国と比較して日本の現状を批判するだけの知識を蓄積していた人が、大学以外にあまりいなかったからでしょう」

----それがどう変わったのでしょうか。1960年代の大学紛争などを経て、現在の大学はエリート機関とは違うと思います。

「知識は大学の独占物ではありません。教育水準が上がり、市民が自分なりに勉強して、外国のことも学び、日本と比較しながら、これでいいのだろうかと考えるようになった。層が広がったために、わざわざ知識人という言葉が使われなくなったのです」

「知識人という言葉はなくてもよいのですが、知識人がかつて示した批判力と構想力は必要です。そうした力は、市民レベルで議論をしながら、急速に積み上がっているのではありませんか。市民の小さなグループがあちこちに出来て、地方にも広がり、それなりの成果を上げている。
他方、国家を超えて、世界中の人たちとインターネットを通じて直接意思を通じ合い、同じ人間として、どういう社会をつくるのか議論をしている。
新しいタイプの市民的な知識人が生まれている」

----知識人の裾野が広がり、あり方が変わってきたとも言えますね。

「主体だけでなく、取り上げるトピックも変わりました。たとえば、戦後初期の知識人は、戦争の経験と記憶を共有し、その歴史を背景にすえて新しい戦後日本をつくろうとしたのです。
しかし時間がたつと、戦後そのものが歴史になる。新しい世代は戦時との比較ではなく、戦後日本をそのまま見て、これでいいのだろうか、と議論するようになった」

「違いが一番明確なのが戦争責任です。戦後知識人にとって戦争責任とは、戦争を止められなかった『悔恨』に根ざした自己批判の問題でした。今は戦後の批判のあり方自体が問われるようになった。背景にはアジアの人たちの声があります。
90年代ごろからアジアの民主化が始まると、反共一本やりで日本の戦争責任を問わなかった人たちが、戦時の日本の罪を問いただすようになる。それを受けて、日本でも良心的な新しい世代により、今の自分たちの責任をどうとるのかという自己批判が出てきたのです」

----新しい世代には、そのほかにはどのような違いがありますか。

「スタイルも違いますね。主に大学人が知識人だった時代は、伝える手段は総合雑誌や新聞などに執筆する論文が主で、論理的説得力が重んじられた。
今は、歌や映像や漫画など感覚で訴えるものの比重が大きい。また、かつて大学人が果たした役割を、作家や芸術家が果たすことが多くなった。

そうした広がり自体は非常によいことだと思いますが、知識人の第2の条件である構想力になると、まだ弱い。構想力には論理あるいは理論が必要ですから、感覚に訴えるものだけでは、構想にはならないのです」

----構想力が不足しているのは、日本だけなのでしょうか。

「それは、非常に大きな問題ですね。たとえば、今日の世界で代表的な政治家と言ったら、だれを思い浮かべますか。一時期はオバマ米大統領だったでしょうが、今やその輝きはありません。
しかし、それは単に政治家の力量が足りないのではなく、いま世界全体で構造的な変化が生じていて、国家とか市場という20世紀の枠組みではとらえきれない問題が起きているからです。
しかし、新しい発想や構想はまだ模索中なのが実情です。
新しいビジョンがなければ、優れた指導者も出ない。こうした時代の政治家は気の毒ですが、みんな小者に見えてしまう」

----20世紀から21世紀にかけての世界の構造変容をもうすこし説明してください。

「国家はなくなるわけではありませんが、経済や金融、科学技術、情報が非可逆的にグローバル化する時代には、国境の意味は低下し、国家は脱力化して来ています。
市場も、格差や抑圧の構造を生み出し、グローバルな不平等や不公正を解決できていません国家や市場では対処できない世界になっている

----でも、依然として大国化を志向する動きもあります。

「たしかに中国やインドは、20世紀型の大国志向を強めています。はたしてそれが続けられるのか、資源・環境問題ひとつとっても私には疑問です。
中国には外国の介入で国を分割された歴史への警戒感があるのでしょう。しかし、チベット、ウイグル、内モンゴルなどに対するやり方は、漢民族中心の支配の域を出ていません。
それに中国の指導者は、抵抗や暴動が起きても、それが何を意味するのか、中国民主化という不可避の未来を読む力が弱い
21世紀は、文化的多様性と社会的公正さが、どこでも求められる世界です

----では、どうやってそういう世界が築けるでしょうか。

「これからの主体となるのは、市民だと思います。

国家や市場が何のためにあるかというと、結局は人間が人間らしく生きられるかどうか、そのための手段ないし道具なのです

NGOの活動などを見ても、国境を超えて交流し、現地の人の自立を支援する高い能力を持つ市民のネットワークが生まれています。しかし、市民の動きは単位が小さく、力をグローバルに結集し切れていません。市民の連帯をどうグローバル化していくかが、重要な課題でしょう。
21世紀に求められる市民的知識人とは、国を超えた連帯をつくりあげ、人間の尊厳を互いに認め合うような立場に立つ人だと思います

----国を超えた連帯といえば、東日本大震災では、世界中の人々から援助や激励が寄せられました。

「コミュニケーションの発達により、福島であれ、アフリカであれ、中東であれ、同じ人間が存在し、人間らしく生きるために闘っていることを、世界の無数の人が日常的に実感できます。
これは歴史上初めてのことです。
21世紀の市民社会では、こうした他者の命に対する感性を共有することを重視していくべきだと考えます」

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