2011年7月16日土曜日

樋口一葉の手紙 明治27年(1894)7月20日(22歳) 「世間のうくもつらくもお前様おハしませバと 心丈夫にさだめて 大海を小ぶねにて渡る様な境界 ミ捨給ハゞ波の下草にこそ候はめ」

丸山福山町に移ってからの一葉の日記を順次ご紹介してますが、今日はこの頃、半井桃水に宛てた一葉の手紙をご紹介。
前回ご紹介した日記に続く時期に相当するもので、実物は台東区の一葉記念館にも展示されています。
一葉記念館については、コチラ と コチラ
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7月12日、一葉は2年ぶりに桃水を訪問し、その日の日記には彼への思慕の情を記しています(前回)。
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そして今回は・・・。

雷さえ鳴らなければそのうちにお宅に行きますとの桃水の言葉を頼りに、一葉は今か今かと桃水を待ちます。
そして、7月15日に待ち焦がれた桃水が一葉を訪ねて来ます。
しかし、桃水は初めからゆっくりとする気もないらしく、外に車を待たせていました。
また、あいにくこの日は兄が来ており、桃水は早々に一葉宅を引き上げました。

桃水の余りの素っ気なさによるものか、7月20日頃、一葉は桃水に手紙を書きます。
「強気の夏子」にしては、すねたような甘えたような手紙です。
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明治27年(1894)7月14日

十四日 小石川稽古にゆく。榊原家よりゆかた地、中村君より帯止、はんけち到来。
此夜更(ふく)るまでねぶり難し
あすの雷雨いかにや
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7月15日 桃水が鶏卵の折を持って一葉を訪れる

十五日 はれ。早朝、芝の兄君来訪。

少し物がたるほどに半井君参り給ふ。
少し面やせたれども、その昔しよりは、いげんいよいよ備はりて、態度の美事なるに、一楽織(いちらくおり)のひとへに嘉平次のはかま、絽(ろ)にてはあるまじき羽織のいと美事なるをはふり給ふ
門に車をまたせ給へるは、長くあらせ給ふべきにあらじとて、しゐてはとゞめず。
鶏卵の折到来。

兄君は日ぐれまで遊び給ふ。夜に入りてより、西村の礼助来る。

此夜の月、又なく清し。
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7月17日
十七日 平田君より書状来る。避暑として奥羽の旅にのぼりしよし。雑誌のこと申来る。
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7月19日

十九日 小説「やみ夜」の続稿いまだまとまらず。編輯の期近づきぬれば、心あわたゞし。此夜、馬場孤蝶子のもとにふみつかはし、「明日の編輯を明後日までにのはし給はらずや」と頼む。
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7月20日頃 一葉の桃水宛の手紙
暑さはげしく候所 いかゞいらせられ侯や 御様子伺度 

朝鮮もやうやうけしきだつ様に承り侯間 もしおぼし召立もや 

御ちかくながらつねに拝姿(はいし)も得がたければ 人のうわさのさまざまに 驚かされて胸とゞろかれ申候

よは虫と笑はせ給ふな 一筋に兄上様と頼ミ参らする身の心ぼそさ故に御坐候

もしその後の御立寄もやと待わたりまゐらせ候日数も 今日はいくかに成候ハはん

御めにかゝらばしミじミお話も申上 御をしへにもあづかりたしとはかねての願に御坐候を 此ほどのやうに他人行儀の御義理合ひに御出(いで)下され候ては 何事を申上らるべき 

さりとは御恨(うら)ミにも存じ候

御心もしらず御詞(おことば)一つをたのみに我れ一人妹気取のおろかさ よしや世間のうくもつらくもお前様おハしませバと心丈夫にさだめて大海を小ぶねにて渡る様な境界 ミ捨(すて)給ハゞ波の下草にこそ候はめ

はるかに成し月日をかぞへ候へば 私はお前様の御怒にふるゝ様なる事斗(ばかり)かさね申居候

罪は心浅き我れにあれば 今更に人ハうらまねど 後悔のおもひにかきくらさるゝ朝夕を せめてはおもふほどのこと御聞にいれて御詫(わび)のかなはゞうれしかるぺく 

それむつかしくハよそながら我心のうちにだけ兄上様とたのミ参らするを御ゆるしいたゞき度(たく)

さりとて夢さらあやしき心ありてにはあらず 

かねての御気質をしれバ 何としてその様なこと申上らるべき 

唯(ただ)々隔てなき兄弟の中ともならバと これのみ終生の願ひに御坐侯を 

けふ此ごろのおぼしめし斗(はかり)がたさにおもひ侘(わび)申候

夕風すゞしからんほど 御そゞろあるきのお序(ついで)と申様な折に御はこびは願ハれまじくや 

しゐては申がたけれど これは欲の上の欲に御坐候
                                       かしこ
                                       夏子
師之君
    御前
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桃水は対馬藩藩医である父に従い少年の頃から釜山の倭館で過ごし朝鮮語は堪能。
壬午事変(軍乱)に際しては、大阪朝日新聞の海外特派員として活躍し評判を得た。
この手紙の頃は、甲午農民戦争の頃であり、一葉は桃水の目下の最大関心事であろう朝鮮の情勢を、その手紙の冒頭に置いている。

そのあと、15日の素っ気無い他人行儀な訪問に対して、「その後の御立寄」を心待ちにしていたのに、とその残念さを訴えている。

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「★樋口一葉インデックス」 をご参照下さい。
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