永禄6年(1563)
4月1日
・フランス、カトリーヌ・ド・メディシス、オルレアン入城。コンデ公、モンモランシー公、コリエ提督など
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4月2日
・京都東寺五重塔、雷火によって焼失。
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4月3日
・松尾社の例祭が4月上旬にあり、言継の妻の里方の葉室氏の在所に近く、この年は、葉室一家と松尾社社頭において神輿還御、巫女の具足渡、神供などを見物(「言継卿記」4月3日~7日条)。
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4月10日
・イギリス、エリザベス1世、職人規制法、制定。
農業人員確保の為、労働可能で無職の者に労働を義務づけ、雇用者は治安判事の許可なくして解雇を禁止。
治安判事は毎年州・都市の代表らを招き、有識者と共に労働者の賃金を裁定し、全産業部門で徒弟期間を最低7年と定める。
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4月15日
・上杉輝虎(謙信)、小山秀綱の立て篭もる小山城(栃木県小山市城山町)を攻略(小山城攻め)、次いで佐野昌綱の唐沢山城(栃木県佐野市富士町)を攻め(唐沢山城攻め)、6月に帰国。
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4月17日
・信長、斎藤龍興との戦闘にあたり尾張妙興寺へ全3ヶ条の「禁制」を下す(「妙興寺文書」)。
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4月22日
・スペイン、フェリペ2世、エスコリアル宮殿の造営に着手
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4月24日
・信長、美濃斎藤氏被官高木貞久へ、市橋長利を仲介に内応した旨を喜ぶ意思を通達。
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5月
・毛利隆元、周防・長門の守護に任ぜられる。
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・この頃、比叡山僧徒が京都で布教を始めたイエズス会やガスパル・ヴィレラの活動に脅威を感じ松永久秀にバテレン追放を迫る。
ヴィレラ(2回目の布教で堺に滞在)は、松永久秀配下の結城山城守忠正(進斎、前の幕府作事奉行)から、「デウスの話を聞きたいので、来てもらいたい」との連絡をうける。
日本人修道士ロレンソが大和へ赴き、結城山城守・清原枝賢2人に談義、2人はキリシタンになる
(山城守は、久秀から、キリスト教が有害である証拠を探り出すよう指示されロレンソを呼んだが、逆に高名な学者2人が改宗し洗礼を受ける結果となる)。
檜牧城主で摂津高山(大阪府豊能郡豊能町)の土豪高山飛騨守(松永配下)がそのことを聞き、奈良でロレンソからデウスの事を聴聞し受洗、霊名ダリオとなる。
飛騨守は沢城へ帰り、一家・家臣にもキリスト教の偉大さを伝え、更に詳しく聴聞するため、翌7年6月、ロレンソを沢城へ招く。
ここで、右近(12)が受洗。
(フロイス「日本史」3、1564年10月9日付の修道士ファン・フェルナンデスの平戸発書簡)
清原枝賢(しげかた、1520~90):
キリシタン公家。唯一神道確立者・吉田兼倶の曾孫。娘マリアは細川忠興夫人侍女、セスペデス司祭の指導の下にガラシャの霊名で洗礼を授けた。
結城山城守忠正の長男結城左衛門尉(三好長慶被官)も、父が受洗した際、奈良に滞在していて、ヴイレラの説教を傍聴して感銘を受け、同行中の武士7名と共に入信。
左衛門尉は、戦国期畿内の最大の教会に発展する河内キリシタンの最初の入信者となった。
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5月10日
・北條氏康・氏政、安保氏に上野の地を宛行う
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5月24日
・筒井衆、信貴山城を攻め、「本ツフ」を焼き落とす。
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5月27日
・フランス、国会開催。イングランドとの戦費は教会財産売却で充てる決議。
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6月
・木下藤吉郎の働きにより犬山城信清の宿老和田新介・中新左衛門、信長方につく。
藤吉郎、俸禄50貫・足軽鉄砲隊百人組頭。
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・飛騨の豪族江馬輝盛、上杉謙信と結び越中進出。
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・フランス、カトリーヌ・ド・メディシス、ユグノーに襲われる。無事。
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6月1日
・ロバート・セシル、エリザベス女王重臣ウィリアム・セシルと2度目の妻ミルドレッドの間に誕生。 生まれつき障害を持つ矮小な身であったが、才能にあふれ父の後継者として政界に進出。
エリザベスの信任を得て14年間国務長官、更に大蔵卿も勤める。
エリザベス没後、スコットランド王ジェームス6世を支持、その見返りにクラボーン子爵領・ソールズベリー伯爵の地位を与えられる。1612年5月没。
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6月4日
・フランス、ギョーム・ポステル、サン・マルタン・デ・シャン修道院で終身軟禁宣告。
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6月23日
・上杉輝虎の師、天室光育禅師、没。
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6月25日
・フランス、モンモランシー大元帥指揮国王軍、ノルマンディー進撃
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7月
・織田信長、小牧入り。東美濃攻略のため本拠を清州から小牧に移す。
この頃、犬山城の織田信清(信長の従兄弟)は美濃斎藤氏と結んで信長に対抗、小口(丹羽郡大口町)・黒田(羽栗郡木曽川町)を支配。
小牧に移った信長は、翌年、丹羽長秀に小口・黒田を降参させる。
信長は当初、父信秀同様、西方から美濃攻め(美濃稲葉山の齋藤義龍)を行うが、大垣城が齋藤方のため捗らず、東美濃の占領を優先する。
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・武田晴信、関東へ出陣
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7月3日
・朝廷、京都醍醐寺堂舎再建を督促(「続史愚抄」)。
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7月6日
・松平元康(22)、家康と改名。今川氏康との断交を内外に表明。
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7月6日
・イエズス会のルイス・フロイス、肥前横瀬浦(西彼杵半島北端の漁港)に入港。
8月中旬、大村領主大村純忠の身辺で異変が起き、横瀬浦に波及して大混乱に陥る。
病臥のフロイスと老齢のトルレスは、豊後の商人達に捕われ、ポルトガル商人が商品を引き渡すまで抑留される。
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7月27日
・ル・アーヴルのイングランド軍8千、降伏。損害・死傷者を出すことなく帰国。
国王軍司令官ルイ・ド・コンデ。
ユグノー軍、コンデ共々、国王軍に合流。
母后カトリーヌの権利確立。プロテスタントの精神的敗北。
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7月31日
・北方7年戦争開始。デンマークとスウェーデン。
スウェーデン王エーリック14世、弟ヨハン(3世)の拠るトゥルク城を陥落。
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「★織田信長インデックス」 をご参照ください。
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