昭和16年の永井荷風「断腸亭日乗」を順次ご紹介してます。
今回は7月上旬のもの。
6月には意気軒昂、「闘う荷風」ぶりを発揮しましたが、今月はイマイチ体調が優れない様子。
それでも、7月8日条の日付の前には、しっかりと「・」が付してある。
この年は、「荷風散人年六拾三」である。
昭和16年(1941)7月1日
七月初一。晴。ひる頃門前に郵便局の制帽冠りたる男四五人手に手に大きなる皮袋を提げ君は何番地から何番地を廻れ乃公は此の崖下を一まはりするなどゝ何やら打合せをなしゐる体、債券押賣と見たれば門には鍵をかけ裏口より買物にと谷町へ行きぬ。歸り來れば門巷寂寞たること平日の如し。夜淺草に行く。
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昭和16年(1941)7月2日
七月初二。晴れてむし暑し。牛後大塚といふ怪し氣なる女電話をかけ来る。今年正月五六日ころなりしと覺ゆ。兼て知りたる派出婦何がしの紹介にて夜九時頃始て尋ね來りし女なり。自ら語るところによれば一個月百圓にて或人の妾となり、大塚邊のアパートに住居し毎日丸ノ内の或會社に通勤すれど、旦那の來る晩は月に四五回にてその他の日は勝手次第なればとて、初めての夜も十一時近くまで居たりしが、この三月頃ふとまた尋ね來り、會社の事務員は月給わづか四拾五圓にてそれより以上になる見込みもなければ、二月かぎり止めてしまひましたから、この後は晝でも夜でも電話さへかけて下さればいつでも参ります、旦那には従前通り會社へ通勤してゐる事にしてありますからと、自分から先に帯解捨て、翌日は夜も十時過迄まめまめしく働きて後また一寐入りして立ち去りしなり。その後引つゞき四五月中は月に三四回來りて泊り行きぬ。實家は甲府にて商家の由さして貧しき様子もなし。何故東京に來り私娼同様の生活をなせるにや殆ど解すべからず。六月中は一度も來らざりし故いかゞせしかと思ひしに、旦那と二人連にて温泉巡りをなし居たりとてたわいもなき話に夜をふかし二三日中に泊りに参りますとて笑ひながら歸り行たり。震災よりこの方世の風俗みだれみだれてこの両三年殊に若き女の大膽になりしこと唯只驚くより外はなし。
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昭和16年(1941)7月3日
七月初三。晴。昨夜より俄に涼しくなれり。
晝頃米屋の男配給米を持ち來りて言ふ。お米はだんだんわるくなるばかりです。これまでは精白米六分に外米四分のところ此の度は外米六分に日本米は四分、しかも外米の品質もいよいよわるくなり、彼の産地では��や豚に食はせる下等米で人間の食ふものではないと云ふ話です。ぢき虫がつきますから五升だけ持つて來ました。云々
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****「𨿸」:鶏のつくりが「ふるとり」です。
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昭和16年(1941)7月5日
七月初五。晩間驟雨雷鳴。
夜に入りて四鄰のラヂオ喧騒を極む。毎年暑中となれば夕方六時日の未沒せざる頃より夜は十時過まで軍人輩の政論田舎なまりのラヂオドラマ浪花節など止む時なし。
驚くべき都と云ふぺく實に住み憂き國といふぺし。
燈下徒然のあまり近年世變の次第を左に録して備忘となす。
一毎月一日及七日を奉公日とやら科して酒煙草を賣る事を禁じ、待合料理屋を休みとなせしは昭和十四年七月七日を以て始めとなす。
其の原因は戦地より歸來りし士官發狂し東海道列車中にて剣を抜き同乗せし車内の旗客を斬りし事あり。又淺草公園にて兵卒酒に酔ひて通行人を傷けし事ありし爲、軍人への申譯にかくの如き禁欲日を設くるに至りしなり。
以後この日は藝者と女給の休業日となり、熱海をはじめ近縣の温泉旅館連込の男女にて大に繁昌するに至れり。
遂に十五年四月頃より温泉場の手人となり新婚の夫婦まで督察署に拘引せらるゝの奇観を呈したり。
〔欄外墨書〕
一圓タク遠方に往かず夜十二時過客を断るやうになりしは十四年三四月頃よりなり
一燈火管制といふ事は昭和八年七月より始まる。
一煙草二割値上となる。ヒカリ十一錢なりしを十三錢となす。
一十二月一日より市中飲食店半搗米を炊きて客に出す。
一舶來の酒化粧品殆どなくなる 十二月中
一市中自働車夜十一時限りとなる。
一昭和十五年四月二日よりカフェー飲食店夜十一時限り。遊廓及玉の井亀戸は十二時までとなる。
一六月より砂糖マッチ切符制となる。七月六日奢侈品制造並に販賣禁止の令出づ。
一八月二日より市内飲食店夕飯は夕五時より八時頃迄。晝は十一時より二時頃迄。この時間以外には米飯を出さず。九月一日より酒は夕方ばかりなり。待合玉の井吉原あたり、夕五時より晝遊禁止となる。
一十月より自働車は芝居の近處また盛場淺草公園附近にて客の乗降を禁ず。
一十一月かぎり市中舞踏場閉止。
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七月初六 日曜日 暁明俄に腹痛を催し下痢二三回に及ぶ。終日困臥夜わづかに葛湯を啜る。平井君小包郵便にてアンクルトムの家其他一巻を送らる。此日くもりで蒸暑し。
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七月初七。溽暑九十度に近し。下痢歇む。終日門を出でず。
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***(華氏九十度は、摂氏では32.3度。当今の我々に比べればまだマシ?)
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・七月初八。快晴。終日アンクルトムを讀む。夜月佳し。
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七月九日。溽暑に苦しむ。住友氏の園林に新蝉の鳴くをきく。鴎外先生の忌日なれど拝墓に出る気力もなし。
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七月十日。薄暮土州橋よりの歸途銀座にて偶然高橋邦氏に逢ふ。深更大雨。
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七月十一日。雨ふりつゞきて晩に霽る。銀座に飯して淺草に行く。深更に至りまた雨。
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七月十二日。雨はげし。終日家に在り。
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七月十三日 日曜日 天候猶定らず。腹具合殊にわるし。
一腕くらぺ 第六板ノ一 七千五百部 金参百圓也
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七月十四日。雨始で霽る。
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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