北の丸公園 2013-03-08 カワヅザクラ
*昭和18年(1943)
3月1日
三月初一。晴。タキシ夜九時切上。電車十一時年頃切上となり、世間益暗黒に陥る。待合茶屋勘定税金二十割と云。
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3月2日
・三月初二。晴。鄰家の梅花満開なり。昏暮淺草に至る。
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3月3日
三月初三。晴れて風甚寒し。午後土州橋より淺草に行く。露店の古本屋にて文政天保年間の綬暦十餘冊を獲たり。夜金兵衛にて凌霜子より蜀山人序文集を借覧す。文行堂と竹清子との編輯せしもの也。
(略)
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3月4日
三月初四。晴。花鏡をよむ。夜金兵衛にて清潭翁と語る。
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3月5日
三月初五。晴。毎夜の如く金兵衛にて歌川相磯其他の人人と款語す。池上邊にては庭木も軈て材木にするため強制的に伐り倒さるゝ處あるに至れりと云。歸宅後火鉢にて豆煮ながら花鏡をよむ。此書伊藤圭介翁の蔵書印あり。
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3月6日
三月初六。晴。春風日に日にあたゝかなり。午後オペ館楽屋に行く。この比公園の興行場午後より夕方近くいづこも満員大入。夜は却て見物少くなりしと云。歸宅後枕上に假名垣魯文の合巻物格蘭(グランド)氏傳倭文賞をよむ。
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3月7日
三月初七 日曜日。道源寺の庭に蠟梅の花既に盛を過したり。むかしわが大久保の庭に此花二株あり。其一株は移居の折雑司谷の墓田に移植せしが今はいかゞなりしや久しく展墓に行かざれは知らず。
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3月8日
三月初八。半陰半晴。凌霜子より古き文藝倶楽部を借覧す。其中に余が筆にせし琴古流の尺八と云ふものありたればなり。明治三十四年
流言録
築地三丁目に河庄といふ待合あり。おかみさんは大正の初頃浦子と云し新橋の妓なり。この待合上海戦争の頃より陸軍将校等の遊場となれり。塀外に憲兵の立番をなしゐる晩は軍人中にても大あたまの者攀柳折花(*芸者遊び)の戯に耽る時なりと云。今年三月一日は藝者買に二十割の税かゝる最初の夜なるに、軍人の宴會あり。東条大将は軍服のまゝにて公然自働車を寄せたりと之を目撃したるものゝ話をこゝにしるす。
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3月9日
三月九日。風甚寒し。夜惣菜物を得むとて淺草仲店に行き江川劇場楽屋に少憩してかへる。
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3月10日
三月十日。風猶寒し。早朝より飛行機の音轟然たり。今日は市民一般外出の際は男は糞色服にゲートル。女は百姓袴を着用すべき由其筋より御觸ありし由なり。夜金兵衛にて凌霜子より𨿸卵砂糖煮豆を貰ふ。
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3月11日
三月十一日。晴。やゝ暖なり。午後淺草公園を歩みでオペラ館楽屋に休む。女優なにがし詩をつくりたり、昨夜稽古おそくなり電車バスなくなり暗き町を歩みて鶯谷の家にかへる道すがら作りしなりとて書きたるものを出して示す。商女不知亡國恨の慨あり。淺艸は何かにつけて忘れがたき處なり。
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3月12日
三月十二日。午後箱崎邊散歩。
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3月13日
三月十三日。晴。午後阿部來話。餅を貰ふ。夜淺草漫歩。
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3月14日
三月十四日 日曜日晴。晩間金兵衛にて凌霜子より野崎左文著私の見た明治の文壇を借覧す。櫻痴居士自傳仮名垣魯文傳其他珍重すべきもの多し。
〔欄外朱書〕平田禿木歿行年七十一卜云
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3月15日
三月十五日。春風漸く暖なり。オペラ館女優踊子等と木馬館裏のベンチに笑語す。露店の甘酒、店毎に價を異にす。一は金八銭、一は拾銭、また拾弐銭といふもあり。いづれを味ひても薄くして甘味に乏しきは同じなり。角のビヤホールの前には夕方五時の開店を待ちて行列の人長蛇をなせり。
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3月8日「流言録」は巷での軍人への怨嗟の声。
「東条大将は軍服のまゝにて公然自働車を寄せたりと之を目撃したるものゝ話をこゝにしるす。」と敢えて記している。
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