2013年3月24日日曜日

イラク戦争10年 大量破壊兵器「我々に情報はなかった」(当時の官房長官・福田康夫)

イラク戦争10年

当時の意志決定者たちが知らぬふりをしている中では、率直な回想なんだろう。
全てを小泉に帰してはいるが・・・。
「朝日新聞」3月20日付け
(「天声人語」は3月21日)

検証は基本的な義務だろう。









イラク戦争10年のフラッシュバック(NEWSWEEK 中東徒然日記 酒井啓子)
より
 日本にとってのイラク戦争は、もっと振り返られていない。イラク戦争後、日本が自衛隊を派遣したときの目的は、表向きは「イラクの復興支援」だが、実際には「対米協力と戦後のイラク復興景気に預かる」だった。大産油国イラクの戦後復興に参与するには、戦後イラク政治の主導権を握るであろう米国に恩を売るのが第一だ。とりあえず治安が落ち着くまで対イラク関係を自衛隊の駐留でつないでおけば、数年したら米主導のもとで日本企業が悠々と進出できる――。

 そんな目論見は、いつまでたっても回復しない治安と、必ずしも米国のいうことを聞かないイラク政府の成立によって、打ち崩された。あるコンサル会社によれば、イラクでの復興事業全体のうち日本が受注したのは、2011年時点で1パーセントに過ぎない。大型案件の受注国は、米企業が最多(110件中16件)とはいえ、仏、独(ともに14件)、中国、韓国(13件)が続いている(http://www.iraq-jccme.jp/pdf/20110810-1.pdf)。10年前、あれだけ米国と角突き合わせて開戦に大反対した仏、独や中国の企業の進出を見れば、「米国主導のイラク復興でシェアにありつく」ことが完全に夢物語だったことが、わかる。





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